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J&H日記特別編

  『ジキル&ハイド』日本初演の初日の夜、即ち2001年11月5日(月)の公演終了後、私はレスリー・ブリカッスさんご夫妻と会食する機会を得た。その時の様子を採録したのがこの『J&H日記特別編/レスリー・ブリッカス夫妻と天ぷらを食べながらミュージカル談義をする』である。
  元々この文章は、当時東宝の『ジキル&ハイド』公式ページに連載していた「J&H日記」の番外編として書かれ、公式ページ内で発表されたものである。今回の『ジキル&ハイド』ファイナルを記念して、ここに再掲載しようと思う。もちろん以下の本文は当時のままで加筆訂正はしていない。

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  感動の初日を終えた私は、雨の中をレスリー・ブリッカス夫妻が待つ「酔心」へと走った。私がブリッカスさんのファンだと知って東宝演劇部国際室の松田さんが、ご夫妻と私とのささやかな会食をセットしてくれたのだ。メンバーはブリッカスさんと奥様のイボンヌさん、そして私の他は、松田さん、古川プロデューサー、それと通訳の日向さんのみ。ファンとしては天にも昇る、しかし人見知りの私にはいささか荷の重い顔触れであるとも言える。

  「酔心」は劇場関係者が集まる、日比谷ではお馴染みの小さな日本料理店で、ブロードウェイで言えば「ジョー・アレン」か「サーディーズ」といった所か。スターの似顔絵の代わりに歴代東宝作品の大入袋が壁一面に張ってある、そんな店である。

山田「遅くなりました」
松田さん「お疲れ様でした。今ちょうど誉めていただいていた所ですよ」
山田「ほんとですか? ……よかった」

  松田さんにビールを注いでもらい、とりあえずの乾杯。見るとご夫妻は日本酒を燗でやっている。お箸もそれなりに使いこなし、聞くと日本料理は好物なのだそうだ。ただし、お猪口の横には冷たい水のグラスが。チェイサー付きの熱燗を見たのは初めてだ。

ブリッカス夫人(以下イボンヌ)「お疲れのように見えるけど、大丈夫?」
ブリッカスさん(以下レスリー)「そりゃそうさ。演出家はくたびれるものさ。今日は初日だったんだから」
山田「そうじゃないんです。お二人とこうしてお話ができるなんて、胸が一杯で……」

  「酔心」の女将さんがブリッカスさんから名刺を貰っている。私も遅れじと自分の名刺を差し出した。私の名刺は裏面がローマ字になっているのだが、頂いたブリッカスさんの名刺には、なんとカタカナで「レスリー・ブリキュス」と印刷されている。

レスリー「“BRICUSSE”という名前はもともとベルギーの名前なんだよ。だからフランスではブリキュースと発音され、英語圏ではブリカスと呼ばれるんだ」

  私が中学の頃、初めて氏の名前に接した時の日本語表記は「ブリキュースさん」だった。その後いくつかの文献に接して、私の中では「ブリッカスさん」と修正されて今日に至るのだが、なるほど、そういうことであったか。
  実は今回の『ジキル&ハイド』のポスターやプログラムでは「ブリカッスさん」で表記が統一されているのだが、これは事前に東宝のニューヨーク事務所経由で問い合わせて確認を取った読み方。ただしこの原稿では私は長年慣れ親しんだ「ブリッカスさん」で書かせていただくことにする。ちなみにブリッカスさんの名刺の住所はカリフォルニアのビヴァリー・ヒルズであった。

  さて、名刺を貰って気が大きくなった私は、持参した映画『ドリトル先生不思議な旅』のプログラムを取り出した。この1967年製作のミュージカル映画でブリッカスさんは、脚本と作詞・作曲を手懸け、アカデミー主題歌賞を受賞している。

レスリー「とても懐かしい作品が出てきたね」
イボンヌ「これは見たこと無いわ」
レスリー「私も見たことは無いな」

  何しろ日本公開時の劇場プログラムである。ブリッカスさんは目を細めて一通りページを繰って行った。持参した黒マジックを厚かましくもブリッカスさんに差し出す私。いつもの謙虚さはどこへ行った?

レスリー「“ドリトル先生”は私の最初の“ドクター”だ。私の二番目の“ドクター”を演出してくれて、どうもありがとう」

  ブリッカスさんはプログラムの表紙に心のこもったメッセージとサインをしてくれた。

山田「12歳の時にテレビで見たんです」
イボンヌ「あ、年齢の話は禁止よ」
山田「はい」

  話は『ジキル&ハイド』に戻る。

レスリー「今日(11月5日の初日)のカーテンコールは観客の反応がとても良かったけど、日本ではいつものことなのかな?」
山田「いえ、今日の反応は特別でした。とても喜んでくれていました」
レスリー「そうだったね」
イボンヌ「でも観ている間はとても静かだったので心配したわ」
レスリー「日本のお客さんはとても真剣に観劇しているのさ。素晴らしいカーテンコールだった」
イボンヌ「今日の出来はどうだったの?」
山田「ああ……」
レスリー「演出家はどこの国でもそうだよ。初日には胃が痛くなるものなんだ。100%上手く行くことなんて無いんだからね」
イボンヌ「でも観客には上手く行かなくても分からないから気にすることはないわ。だって初めて観てるんですもの。私は分からなかったわよ」
レスリー「観客の前で上演したのは今日が初めてなのかな?」
山田「そうです」
レスリー「これだけ観客が熱狂しているんだからロング・ランをすればいいのに」
松田さん「日本では何年か間を置いて再演するのがロング・ランの代わりとなっています。そうして再演を重ねている名作が沢山あるんです。日本に5年いれば名作ミュージカルが全て観られますよ(笑)」

  天ぷらが運ばれて来る。天種は海老、椎茸、などである。火傷しないように気を付けながら海老をほうばるご夫妻、箸の扱いも慣れたものである。

レスリー「初日のこの時間、私たちは翌朝の劇評が出るのを固唾を飲んで待つものなんですが、日本ではそうではないのですか?」
古川さん「日本では劇評は初日に出ないんですよ」
松田さん「それと、劇評自体にブロードウェイやウエストエンドのような力がありません」
レスリー「ではどうやって観客を集めるのですか?」
松田さん「前もっての宣伝です」
古川さん「後は口コミですね」
山田「だから日本ではスター・システムなんです」
レスリー「しかし鹿賀さんは若いころのレックス・ハリスンにそっくりですね。レックスは古い友人でしたからよく知っているんですが、額とか鼻筋とか、鹿賀さんはとてもレックスに似ていますよ。『マイ・フェア・レディ』をやるより前の、若い頃のレックスに。嫌がるといけないので鹿賀さんには言いませんでしたが」

  映画『ドリトル先生不思議な旅』でタイトルロールを演じているのがレックス・ハリスンである。

レスリー「レックス・ハリスンはちょっと気分屋なところがあって、『ドリトル先生……』の契約が決まった後のことですが、リハーサルをしていると月に1回、必ず『もう辞めた!』と言い出すんです。ある時、それが20世紀フォックスのダリル・ザナックの耳に入ってしまい、怒ったザナックはレックスを首にしてしまいました。私たちはニューヨークに飛んで、急遽クリストファー・プラマーと契約したんですが、そうなってからレックスは『やっぱり戻る』と言い出したんです。クリストファー・プラマーとはお詫びのランチを取りましたが、高くついたランチでしたよ。クリストファー・プラマーの契約を解除するために50万ドル支払ったんですから」

  こんな裏話はどんな映画専門書にも載っていない。映画少年でもあった私には夢のようである。

レスリー「それにしても週に11公演でしょう? 鹿賀さんの喉は大丈夫なんだろうか?」
山田「大丈夫ではないと思います」
レスリー「2回公演は週に何回あるんですか?」
古川さん「4回ですね」
イボンヌ「まあ大変!」
レスリー「ブロードウェイでは通常週8回で、2回公演の昼はアンダー・スタディが勤めますよ」
山田「スター・システムで興行されているので、なかなかそうも行かないんですよ」
レスリー「ジキル役がシングル・キャストだったのはスペインだけだよ。スペインのジキル役者は、なんと60歳だったんだよ。彼は、ジキルの声とハイドの声を使い分ける特別なテクニックを会得していたのでできたんだ」

  60歳のヘンリー・ジキル役者!? ……恐るべし。

レスリー「稽古はどのくらい?」
山田「2ヶ月でした」
レスリー「ひと月はヴォーカルとテーブル稽古?」
山田「そうです」
レスリー「ルーシーがとてもよかった! ブロードウェイでルーシーを演じたリンダ・エダーよりもずっといい演技だった」
山田「ほんとですかっ!」
レスリー「ああ」
イボンヌ「エマも素敵だったわ」
レスリー「そうだ、二人とも素敵だった」
山田「マルシアさんは日本語が母国語ではないんですよ」
イボンヌ「まあ、そうなの?」
レスリー「彼女はブラジルの人なんだよ。ドイツの『ジキル&ハイド』でも英語圏の女優がドイツ語で演じたんだよ」
山田「そうなんですか」

  天ぷらに続いて刺身が出される。

レスリー「(夫人に)緑色のマスタードを入れるんだよ(わさびの事である)。これはウニですね! 大好物ですよ」

  ご夫妻は生物も食べ慣れている様子である。

レスリー「訳詞もとてもうまく行っているね。訳詞というのはとても難しい作業なんだが、今回はとても自然だし、内容もきちんと置き換えられている」
イボンヌ「“MURDER、MURDER”と言うところは何て言っているの? 私には『チキン、チキン』と聞こえたんだけど」

  一同大爆笑。

山田「『事件、事件』と言っているんです」
イボンヌ「何で殺人場面に鶏が出で来るのかと思っていたわ。それから1幕の幕切れの、大司教を殺す場面も素敵だったわね。あんな殺し方、どこの国でも見たことないもの」
レスリー「あれはとても面白かったね」
イボンヌ「公爵夫人の首を締める時、ステッキを回すのもよかったわ」
山田「ありがとうございます。あれは全部アクション・ディレクターが考えてくれたんです」

  こんなに次から次へと誉められたのは生まれて初めてのことである。この3ヶ月間の苦労も報われると言うものである。

イボンヌ「……やっぱりあなた疲れているみたいだけど、大丈夫?」
山田「お目に掛かれてほんとに胸が一杯なんですよ」
レスリー「そんなことを言わないで。私の方があなたのファンになったんだから」

  ますます胸が一杯になる私。

松田さん「山田さんはお子さんが生まれたんですよ」
山田「今9ヶ月なんです」
イボンヌ「私たちにも9ヶ月の孫がいるのよ! それじゃあ夜寝られなくて大変でしょう?」山田「朝6時頃に起きるんです、息子は」
レスリー「そんな集中できない環境で、よくこんな完成度の高い作品を作れたもんだ」
山田「恐らく、集中できなかったのが良かったんだと思います」

  ちゃんとユーモアになっていただろうか?

レスリー「山田さんは今までにどんな作品を演出したの?」
山田「『サウンド・オブ・ミュージック』『南太平洋』『I DO! I DO!』『シェルブールの雨傘』……」
レスリー「ミッシェル・ルグランだね?」
山田「そうです。それから東宝オリジナルで『ローマの休日』『風と共に去りぬ』……」
レスリー「『ローマの休日』のミュージカルはいいアイデアだね!」
山田「それから『ストップ・ザ・ワールド』を……」
レスリー「私の作品だ!」
山田「そうなんです。それを昨年やろうとしていたのですが、実現しませんでした」
レスリー「そうなのか。気を落としてはいけないよ」
山田「20世紀の終わりに、あの作品をやっておきたかったんですよ。でも近いうちに必ず実現させようと思ってます」

  と、ブリッカスさんが「酔心」の女将さんを指差して声を潜めて……

レスリー「ブラディ・メリーがいる!」
山田「ほんとだ!」

  言われてみれば「酔心」の女将さんは『南太平洋』のファニタ・ホールにそっくりである。このページを「酔心」の女将さんが読んでいないことを祈る。それにしてもお茶目なブリッカスさんである。

山田「少し質問をさせて頂きたいんですが、ミュージカルを作り始めたきっかけがあるなら教えてください」
レスリー「私は学生の頃ロンドンで、MGMミュージカルばかり見ていたんだよ」
山田「私もそうでした!」
レスリー「フレッド・アステア、ジュディ・ガーランド、ジーン・ケリー……みんな大好きだった。それがきっかけだよ。コール・ポーターやアーヴィング・バーリン……特に好きだったのはロジャース&ハートだね」

  憧れの人が自分と同じような青春を送っていたとは……。

レスリー「リチャード・ロジャースのことで“Good Story”がある。その話をしよう。『ドリトル先生……』の仕事でニューヨークに滞在していた時のことだ。大好きなリチャード・ロジャースの本が2冊出され、今日のあなたと同じように私はロジャースのサインが欲しくて、憧れのロジャースに電話をかけたんだ。するとロジャースが『今どこにいるのか?』と聞くので『プラザホテルです』と答えたら『それじゃあ一緒にランチを取ろう』と言うことになった。私は、かつてロジャースがハマースタインとランチを取っていたテーブルに招かれ、ロジャースとランチを取った。ハマースタインの常席だった椅子に座っていたんだよ。そしてロジャースに『どんなミュージカルを作りたいんだ?』と聞かれ『ノアの箱舟の話と、ヘンリー8世の話です』と伝えた。ロジャースは『OK、それじゃあ一緒にやろう』と言ってくれ、私は有頂天になってそのことをエージェントに報告したんだ。翌日エージェントから電話がかかってきて『気の毒だが、君は2年間、20世紀フォックス以外の仕事をすることはできない。そう言う契約なんだ』……ロジャースにもそう告げるしかなかったよ。その後ロジャースが他の作詞家と組んで発表した作品を知っているかね? ノアの箱舟の話とヘンリー8世の話だよ! 以上が“Good Story”。私が33歳の時の話だ」
イボンヌ「誰に何を話すかはとても難しい問題ね」
レスリー「ロジャースの“ノアの箱舟”のミュージカルは『TWO BY TWO』という題名で、ダニー・ケイが出演していた。当時私たちはビヴァリー・ヒルズに住んでいて、隣に住んでいたのがダニー・ケイだ。彼は中華料理がとても上手で、毎週末、彼の家で中華料理をご馳走になるのが私たちの決まりだったんだ。ある日ダニーが『今度ブロードウェイに出ることになったんだ』『作品は?』『TWO BY TWOだよ!』……人生とはそんなものだよ」

  ちなみにリチャード・ロジャースがブリッカスさんの後任に選んだパートナーはマーティン・チャーニンである。

山田「話は変わりますが、MGMミュージカルの中でお好きな作品は何ですか?」
レスリー「『雨に唄えば』だね。カムデン&グリーンのシナリオがとてもすばらしい。それから『恋の手ほどき』。ラーナー&ロウのミュージカルだが、1940年代から1957年までのMGMの黄金時代を締めくくる最後の作品なんだよ」
イボンヌ「『野郎どもと女たち』も素敵ね」
レスリー「あれはMGMの作品ではないよ。だがいい映画だった。しかしマーロン・ブランドはミスキャストだ。フランク・シナトラもそうだ」
山田「同感です」
レスリー「ブロードウェイでスカイ・マスターソンをやったロバート・アルダは良かった。ネイサンのサム・レヴィンも良かった」
山田「ご覧になったんですか?」
レスリー「観たよ」
イボンヌ「観たわ」
山田「初演ですよね?」
レスリー「そうだ」
イボンヌ「リメイクよ!」
レスリー「(夫人に)もちろん君は生まれていなかった(笑)」

  今度はおでんが運ばれてくる。レスリー・ブリッカス夫妻と日比谷でミュージカル談義に花を咲かせながら天ぷらを食べ、刺身を食し、おでんをいただくような事があろうとは。

山田「舞台のミュージカルでお好きなのは?」
レスリー「『マイ・フェア・レディ』」
山田「ではご自身の作品で一番気に入っているものは何ですか?」
レスリー「うーん……。ネクスト・ワン!(笑) 今取り組んでいるのは『ノアの箱舟』。それからフランク・ワイルドホーンとは『シラノ・ド・ベルジュラック』。ブレイク・エドワーズとはあの『ピンクパンサー』のミュージカルを作っているんだ」
山田「作詞だけを担当する場合と作詞作曲をする時とでは何か違いがあるんですか?」
レスリー「持ち込まれた企画なのか、自分の企画なのかによって違うんだ。『ジキル&ハイド』はフランクから持ち込まれた企画で、とても面白い素材だと思った。それにフランクの才能もすばらしかったから引き受けたんだ。自分の企画の場合は自分で曲も作ることが多くなる。作詞作曲を一人で兼ねると、曲が詞の影響を受け、詞が曲の影響を受ける、と言う事はあるね」
山田「私は作曲家としてのあなたのファンでもあるので、作曲の方もぜひ続けてください」
イボンヌ「その通りよ、あなた」
レスリー「『ノアの箱舟』は作詞作曲だよ」
山田「それは楽しみです」
レスリー「『ピンクパンサー』ではヘンリー・マンシーニがもう曲を書くことができないので、映画から3曲だけを使い、残りの16曲は私が書いた。まだレコーディングはしていないが先日仕上げたところだよ。あの有名なテーマ曲に詞を付けたんだよ!」

  あの有名なテーマ曲を口ずさむブリッカスさん。山田も加わってひとくさりハモる。

レスリー「映画では私は尊敬できる3人の作曲家としか組んでいない。ジョン・ウィリアムス、ヘンリー・マンシーニ、ジョン・バリーだ」
山田「『スーパーマン』の主題歌は大好きでした」
レスリー「あれは本来は別の歌手が歌うことになっていたんだ。ところが監督のリチャード・ドナーが私に内緒で、ロイス・レインを演じたマーゴ・キダーの語りにしてしまったんだよ。ロイスがスーパーマンに空中散歩に誘われる場面で、ロイスが急に歌い出したら映画のペースにそぐわないと言うことだった。私たちはプレビューの時に始めて知ったんだ。ジョン・ウィリアムスは何も知らない私たちを見ておろおろしていた。プレビューの後で『まだ直せるさ』と言っていた。ディック・ドナーの判断は半分は正しかったが、半分は間違っていたと思う。あの歌はオスカーが取れる歌だったのに。とてもすばらしい歌だったからね。エンド・クレジットに歌い手の名前さえ載っていればノミネートの資格が与えられたのに。本当に残念だったよ。反対に、自分では大した出来ではないと思っていてもノミネートされる時もある。不思議なものだ」

  またまた思いもよらない映画史の裏話。

レスリー「近々オープンする作品にはどんな物があるんだね?」
松田さん「オリジナル・ミュージカルで『ショック』と言う作品があります」
山田「それからコール・ポーターの『パナマ・ハッティー』」
レスリー「オリジナルはリナ・ホーンの作品だね」
山田「そうです」
レスリー「ライザ・ミネリと一緒にリナ・ホーンのリサイタルを観に行ったことがあるよ。“彼女の人生と音楽”と言うタイトルのリサイタルだった」
イボンヌ「『キャビン・イン・ザ・スカイ』もリナ・ホーンでしょう」
レスリー「そうだよ。音楽はジェローム・カーンだ」

  “キャビン・イン・ザ・スカイ”を口ずさむ山田。

松田さん「そんな歌よく歌えますね。『ストーミー・ウェザー』もリナ・ホーン出てましたよね」
山田「出てました。それから『パナマ・ハッティー』の後は『チャーリー・ガール』があります」
レスリー「デイヴィッド・へネカーの?」
山田「はい」
レスリー「ずいぶんと昔の作品だね」
山田「そうですね。……私が演出するんです」

  皆さんどうかご期待いただきたい。ちなみにデイヴィッド・へネカーは、日本では『心を繋ぐ6ペンス』の作曲者として知られている人物。

レスリー「では、山田さんの好きな作品を教えてください」
山田「えーと……うーん……」
レスリー「君から始めたんだよ。ロジャース&ハマースタインは好きなんだろう?」
山田「はい」
レスリー「ロジャース&ハマースタインの作品では何が好き?」
山田「『南太平洋』です。“ワンダフル・ガイ”が大好きなんです」
レスリー「映画のお気に入りは?」
山田「『雨に唄えば』も大好きなんですが……『バンドワゴン』ですね」
レスリー「『バンドワゴン』はとても過小評価されている。これもカムデン&グリーンの脚本が素晴らしい。ライザは父親の映画の中で一番好きだと言っていたよ」

  『バンドワゴン』はライザの父親ヴィンセント・ミネリが監督したMGMミュージカル。私はMGMミュージカルの最高峰だと思うのだが。

レスリー「舞台で好きなのは?」
山田「えーと『シティ・オブ・エンジェルス』」
レスリー「ラリー・ゲルバートの作品だね。曲は……サイ・コールマン?」
山田「そうです」
レスリー「サイはこれからもっといい曲を書くと思うよ」
山田「それからあなたの『ドクター・ドリトル』」
レスリー「観たのかい?」
山田「いいえ、CDだけですが。元々思い出の作品ですから、どうしてもやりたくて」
レスリー「あの作品はぜひ日本でやってもらいたいな」

  念のためにお断りしておくが、文中の『ドクター・ドリトル』はミュージカル映画『ドリトル先生不思議な旅』をブリッカスさんが舞台のミュージカルに書き直し、ロンドンで上演された作品のことである。エディ・マーフィー主演の同名作のことではないのでそのつもりで。
  ちなみにその舞台で“動物たち”のエフェクトを担当したのはジム・ヘンソンのクリーチャー・ショップである。

イボンヌ「私は『ドリトル先生……』の中の“WHEN I LOOK IN YOUR EYES”と言う歌が大好きなの」

  “WHEN I LOOK IN YOUR EYES”を口ずさむ山田。

イボンヌ「そう、その歌よ」
レスリー「どの作品にも妻のために作っているナンバーが何曲かあるよ」
山田「私も妻に向けて作品を作っているところがあります」
イボンヌ「『ジキル&ハイド』の中では“IN HIS EYES”が好きだわ」
レスリー「私も『ジキル&ハイド』の中では“IN HIS EYES”が一番好きな曲だ」
イボンヌ「あの場面のエマとルーシーの見せ方もとても良かったわ。鹿賀さんもブロードウェイのジキルよりずっと良かった。ジキルの悲しさがとても良く伝わってきて。ロバート・クチオリはなんだかこう(ポーズをとって見せて)カッコをつけて立っているだけだったし」
レスリー「クチオリは演出に従っただけだよ。しかしクチオリはあの好演にも関わらずトニー賞を取ることが出来なかった。あの年の選考はとてもおかしいと思う。クチオリは観客からも熱狂的な支持を受けていたんだからね。トニー賞の選考は僅か40人ほどで行っているので、とても偏った結果が出るんだ。オスカーは5,000人で選んでいると言うのにね。クチオリはとても傷ついて、あれ以後舞台に出ていないんだよ。最近『ジキル&ハイド』のアメリカ国内ツアー版の演出はしたけれどもね。彼ももう40になる」
山田「クチオリのファンは日本にも沢山いますよ。私の妻もその一人です」

  「酔心」の女将が、この後はお食事になりますが、と告げに来た。一同顔を見合わせて、もう食べられない、との意思表示。

イボンヌ「なんだか私ばっかり食べていたわ。皆さんあまり食べなかったじゃない?」
古川「さっき劇場でお弁当を食べてしまったんですよ」
山田「私も食べてしまったんです」
イボンヌ「女将さんがこっちを睨んでいたので、私は食べない訳にはいかなかったのよ」

  気が付けばもう23時を回っている。楽しい時間はあっという間に過ぎる、ということか。

レスリー「明日の歌舞伎は11時の回にしなくて良かったよ」
イボンヌ「本当ね」

  かくして夢のようなひとときは、まさに夢のようにして過ぎ去って行った。アーヴィング・バーリンの名曲に“歌は終わってもメロディはいつまでも残っている”と言うのがあるが、今の私の気持ちはそれにとても近い。いつまでも名残は尽きなかったのだが、最後に硬い握手を交して私はブリッカスさんと別れた。
  そうして過ぎ去ってしまった以上、その夜のことは記憶の中にしか残っていない。なので以上の文章は、私が自分の記憶だけを頼りにして再現したものである。録音するなどと言うことはその時思いもしなかったのである。したがって文責は山田個人に帰する。話題がスムーズに流れるように文脈は整理したが、内容の創作は一切していない。
  例えば、ブリッカスさんがスティーブン・ソンドハイムの人間像を語った部分があるのだが、どう思い出してもその話は上記の文脈に収まらない。収まらないからと言って落としてしまうのも勿体無いので以下にそのくだりを記しておく。

レスリー「ソンドハイムはとても奇妙な人物で、『ウエスト・サイド物語』をとても嫌っていたんだ」
イボンヌ「『ジプシー』もね」
レスリー「『ジプシー』もだが『ウエスト・サイド……』の事はもっと嫌っていた。なぜあんなに嫌うのか良く分からないくらいだ。『ウエスト・サイド物語』はミュージカルとしてではなく、バレエとして上演された方が良かったのかもしれないな。これ、いいアイデアだよね」

  それともうひとつ。ブリッカスさんが帰国された後の話。東宝のニューヨーク事務所にブリッカスさんの秘書の方からお電話があり「『これ以上のすばらしいプロダクションはあり得ない!』とブリッカスさんが日本のプロダクションを激賞していた」とわざわざ連絡をくださったそうだ。

  これで『レスリー・ブリッカス夫妻と天ぷらを食べながらミュージカル談義をする』はおしまいである。最後まで読んでくださってありがとうございました。 なお、この文章を読むと、山田が英語ペラペラか、或いはブリッカス夫妻が日本語ペラペラな様に錯覚しそうになるが、実際には通訳の日向さんが大活躍してくださっていた事は言うまでもない。この場をお借りして一言感謝の意を表したいと思う。

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Gone With The Wind 日記(総集編)

  2001年の『風と共に去りぬ』初演時に、東宝演劇部の宣伝担当者からの依頼で、公式ページに演出家による稽古場日記「Gone With The Wind 日記」を連載した。それをここに再掲載しようと思う。

 僅か5年前のことだが、当時はまだインターネットを通じて興行会社が情報を発信する黎明期であり、その内容も試行錯誤が繰り返されていた。現在では作品毎に、あるいはクリエイター自らがブログを立ち上げ、その創作過程を公開することは当たり前の光景になったが、「Gone With The Wind 日記」は、東宝ではその先駆けの様なものであった。
 私にとっても、仕事に関するあれこれを公にした初めての経験であった。なので、まだ文体も固まっていないし、ちょっと肩に力が入りすぎていたりして、いま読むと相当気恥ずかしい。とにかく何を書いたらよいのか、手探り状態で書き続けた1ヶ月半であった。

 もうお分かりだろうと思うが、「Gone With The Wind 日記」はこのブログ『Show Goes On!』の原型である。この後、同じ2001年に「ジキル&ハイド日記」を東宝の公式ページに連載し、東宝版『ミー&マイガール』初演時に「ミュージカルを1度も観たことのない人のためのミュージカル講座」を書き、それらの経験とブログの発達が結びついたのである。

 この日記により、ミュージカル『風と共に去りぬ』の製作プロセスを知って頂くことができると思う。書かれた当時の臨場感を味わって頂きたいので、(本当はかなり恥ずかしいのだが)訂正を加えずにそのまま再録する。

 なお、当時私は「GWTW日記」と記したのだが、宣伝部さんに「Gone With The Wind 日記」に直された。(って、まだ根に持っていたのか?)

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2001年5月16日(水)

    宣伝部の浅川女史より、東宝のホームページ向けのコメント取材を受ける。話の流れで、ホームページ向けに稽古場日誌を「私が書きましょう!」と宣言してしまった。これがその第一回。

    今日はスカーレットとレットの間に生まれた娘「ボニー」役の子供たちのオーディション。毎度のことだが皆びっくりするほど上手でかわいくて、選考するのに断腸の思い。
    「ドレミの歌」を歌い踊ってもらい、歌唱指導の林アキラさんと振付の上島雪夫さんがチェック、最後に簡単な場面を演じてもらってオーディションは終了。

    オーディションの後、上島さんと演出部諸氏とで、全体のミュージカル・ナンバーをどう構成するか意見交換。と言っても、2幕の楽曲はまだ全部揃っていないのだが。

2001年5月17日(木)

  美術の堀尾幸男さんを中心にセットの打合わせ。既に何度も顔を合わせているのだが、『ローマの休日』同様場面数が多いので、とても時間が掛かる。照明の服部基さんは今日が誕生日なのに、季節はずれの風邪でお気の毒。
  今日は特殊効果のスタッフも交え「アトランタ炎上」場面についても意見交換。「本物の馬」と円谷監督の「特撮映像」は今回はやりませんので、念の為。

  打合せと平行して、別稽古場では歌稽古。1幕冒頭を飾る(予定の)大合唱。迫力あっていい感じ!

2001年5月18日(金)

今日は打合わせも稽古も無し。ただし、演出部の皆さんは出社して、色々な調整や連絡に勤しんでいる。頭の下がる思い。

2001年5月19日(土)

  『 風・・・』以外の事をする。私の眼前には『風・・・』以外にもやらなければならない事が山積しているのである。
  例えば息子を風呂に入れること、とか。

2001年5月20日(日)

  『 風・・・』以外の事をする。私の眼前には『風・・・』以外にもやらなければならない事が山積しているのである。
  例えば妻に頼まれて掃除機を買いに行くこと、とか。

2001年5月21日(月)

  真央さんの歌稽古始まる。

  帝劇ビルの9階に稽古場があり、帝劇で上演される作品は全てこの稽古場で作られることになる。歴代の東宝ミュージカルをはじめとする様々な名作が、この稽古場から送り出されて行ったのである。
  数多の名優たちの流した汗が、この稽古場の床には染み込んでいるのだ(といっても、床はリノリウム張りですが)。

  夜、作曲の佐橋さんと打合わせ。ミュージカルナンバー全体の構成はかなり以前にでき上がっているのだが、まだ作曲が終わっていない楽曲や、メロディはできているが、サイズやアレンジが進行中の楽曲などがあるので。
  演出部の皆さん共々アイデアを出し合い、その場で佐橋さんが即興で音にする。それを聞いてまた意見交換をして・・・。そして夜は更けて行くのである(ウソ。佐橋さんは朝型なので、夜の打ち合わせは要件のみで済ませてます)。

2001年5月22日(火)

  舞台やコンサートなどの特殊効果を手懸けている会社に「色々なこと」を相談に行く。「色々なこと」の詳細はまだ秘密。

  その後演出部の皆さんと、舞台転換について細かい部分をチェック。俳優の動線、シーンチェンジのタイミング、などを場面ごとに詳細に打合わせ。
  あまりに詳細過ぎて深夜に及び、全場面検討できずに精魂尽き果てて終わる。
  だが、こう言う地道な作業の詰み重ねが、後々物を言うのである。

2001年5月23日(水)

  今日は男性コーラスの稽古。男だけの歌声と言うのもいいものである。
  その後「マミー」役の花山さんの歌稽古。花山さんとは初仕事なのだが『シティ・オブ・エンジェルス』や『雨に唄えば』を拝見していたので、お目に掛かれる日を楽しみにしていたのだ。

  花山さんが「マミーはどのくらい老ければいいんでしょう?」とおっしゃるので「その必要は無いでしょう」とお答えした。
  今回の『風と共に去りぬ』は、できるだけ現代劇として仕上げたいので、「説明的な年寄りの演技はむしろ不必要」のつもりで申し上げたのだが、「もう十分老けてます」と誤解されたのではないか、と、一瞬ヒヤリとする。

  稽古終了後、昨晩やり残した舞台転換の打合せの続きを演出部の皆さんと。それにしても、なんと困難な題材であることよ!

2001年5月24日(木)

  『朝型』佐橋さんのお宅へお邪魔して、午前中はミュージカルナンバーの打合わせ。2幕前半で活躍する(予定の)スカーレットの躍動的なナンバーができ上がり、これもかなりいい感じ!
  午後は歌稽古。夜~深夜で美術の打合わせ。舞台美術の全体像がほぼ見えて来た。26時終了、朝から深夜まで、皆さんありがとうございました。

2001年5月25日(金)

  いよいよ出演者・スタッフに台本を配布。舞台の仕事の場合、台本ができあがると俳優の事務所の方に取りに来て頂くのだが、自分で取りに来る俳優も多いので、台本配布の場が、一転、久々の再会の場と化してしまう。
  何にしても、かつて芝居作りを共にした仲間と再会できるのは嬉しい事である。また、初めてご一緒できる方々の顔を見るのも嬉しいものである。

  芝居の準備は(とくに『風・・・』のような規模のものは)準備期間が長期に及ぶ。その初期は、演出家は非常に孤独なものである。少しづつスタッフが増え、素材が形になり、そして俳優が揃い、やがて観客を迎える日となる。

  格別初日が嬉しいのも、むベなるかなである。

2001年5月26日(土)

  今井清隆さんの歌稽古始まる。

  今井さんと私は古い付合いで、私が東宝に入ったばかりの頃、今井さんはまだミュージカルのお仕事を始める前で、一緒に名古屋の御園座へ巡業に行ったりしたこともある。
  その旅先で、夜桜の下で一緒に写っている写真があるので、今度お見せしますね、今井さん!

  その一方で、男性アンサンブルの歌稽古がキャンセルとなる。

  予定していたナンバーの譜面が間に合わなかったので。オリジナル・ミュージカルならではのハプニング。ミュージカルを作る仕事は、楽しいことばかりではない。

  秋元康さんと打合わせ。

  新たにサイズの決まったナンバーの譜面を渡して詞を発注。同時に、これまでの分について意見交換。
  秋元さんは欧米のミュージカル事情に明るい。忙しい方なのだが、よく暇を作ってはニューヨークやロンドンの舞台を見ていらっしゃる。
  雑談でよくそんな話になるのだが、今日の話題は『ラスベガス』。私も以前より訪問したい都市ナンバー・ワンなのだが、暇を作るのが実に下手クソなもので・・・・・・。

2001年5月27日(日)

  今日は稽古は休み。久々にスタッフと顔を合わせずに、一人で演出プランを練る。心を配らねばならない要素があまりにも膨大で、途中で気が遠くなる。

2001年5月28日(月)

  日生劇場の『ラブ・センチュリー』と名古屋の『エリザベート』が昨日、帝劇の『細雪』が今日千秋楽を迎えたので、ようやく演出部の皆さんが勢揃い。明日からの全体稽古に備えて何だか頼もしい。

  今日は真央さん、今井さんの他に、寿さんと女性コーラスの歌稽古も。ベル・ワトリングと彼女の上品な『お店』の女の子たちのナンバー。
  寿さんとは昨年の大阪での『サウンド・オブ・ミュージック』に続いてのお仕事。大人の女性の魅力がひしひしと伝わって来て実に小気味良い。

2001年5月29日(火)

  午前中はまたまた佐橋さんと打合わせ。まだ仕上がっていないナンバーやリプライズでバリエーションを作りたいナンバーを打合わせ。
  何と言ってもミュージカルは音楽が命ですから。

  午後、本日よりいよいよ全体稽古開始。プロローグとなるシーンを振付の上島雪夫君と作っていく。(観劇時の興味を削がないように、以後内容には触れずにおきます)
  4時間ほど掛かって一通りのステージングが終了。作品全体のトーンが決まる場面なので、今後時間をかけて成熟させて行きたい。

  稽古の途中、忙しい中時間を割いてくださった秋元さんと追加詞の打合わせ。
  オリジナル・ミュージカルの製作過程は「作っては直す」。ひたすらその繰り返し。

2001年5月30日(水)

  お台場のフジテレビで『風・・・』の次のミュージカル『ジキル&ハイド』の製作発表。これは『J&H日記』に譲る。(できるのか、そんな日記?)

  夜、照明・服部さん、音響・大坪さんと、演出部の皆さんで打合わせ。観客の目に付きにくい部分だが、スピーカーの設置位置やそのカムフラージュの方法、ステージ脇の照明機材の基地をどう作るかなど、『風・・・』を現代のミュージカルにするべく智恵を絞っているのだ。

2001年5月31日(木)

  日比谷公園の松本楼で、来年の芝居『鹿鳴館』の製作発表。これは『鹿鳴館日記』に譲る。(できるのか、そんな日記?)

  5月も今日で終わり。いよいよ一番嫌いなシーズン(梅雨)がやって来る!

2001年6月1日(金)

  スカーレットの最初の登場場面を作る。色々な手を試してみて、二転三転。

  衣裳の緒方さんとデザインの確認。緒方さんは、わが国の舞台衣裳界の重鎮。『サウンド・オブ・ミュージック』『南太平洋』に続いて3度目の仕事になる。
  コスチュームプレイで現実感を失わないようにデザインするのは至難の技なのだが、緒方さんはその辺りのさじ加減が素晴らしい。

  稽古後、堀越さんと台本直しの意見交換。「作っては直す」を本日も実践してます。

2001年6月2日(土)

  昨日までに作ったシーンをおさらいした後、主要人物が一堂に会する園遊会のシーンを作る。時間としてはごく短い場面なのだが、大勢を同時に動かすので、稽古にはとても時間が掛かる。
  こうしてほとんどのキャストが顔を揃えると、さすがに雰囲気があって、とても贅沢なミュージカルだと思えてくる。
  この作品を任された幸運につくづく感謝。
 
  夜はまたまた佐橋さんの所へお邪魔して音楽の打合わせ。音楽チームだけでなく、美術チームも衣裳チームも稽古と同時進行で、ひと月後に迫った初日を睨んで準備作業はいよいよ佳境に。

2001年6月3日(日)

  平日、日曜の区別もなく稽古は続く。(ホントはお休み欲しい!)
  コーラスの譜面が幾つか上がってきたので、今日はその歌稽古。

  明日以後の稽古に備えて、音楽チームとサイズやキューの確認。これをデリケートにやっておかないと、ドラマからミュージカル・ナンバーへの移行がギクシャクしてしまい、タモリさんの言う『恥ずかしいミュージカル』になってしまうのだ。

2001年6月4日(月)

  園遊会シーンのおさらいとその続き。南北戦争開戦までは漕ぎつけたぞ。

  稽古後、大道具の発注。美術デザイナーの堀尾さんを中心に、大道具会社の担当者、劇場大道具の棟梁、特殊効果会社の担当者、演出部の美術担当者たちが、堀尾さんの図面を基に大道具の素材、製作方法、仕上げなど、仕様の細部を詰めて行く。

規模が大きく、場面数も膨大なので、智恵と時間が幾らあっても足りない。些細な使い勝手も含めて検討して、またまた午前様。
  皆様、本当に申し訳ない。でも、今日だけでは発注しきれていないので、近いうちにまた次回を。

2001年6月5日(火)

  稽古予定を順調に消化して、スカーレットはタラを離れアトランタへと向かった。

  1幕前半のハイライトとなるダンス場面を上島君が振付。上島雪夫君は現在日本を代表する売れっ子振付師。『サウンド・オブ・ミュージック』『南太平洋』『I Do! I Do!』『シェルブールの雨傘』など、ご一緒したミュージカルは多い。
  彼はドラマから発想して振りを作ってくれるので、芝居からミュージカル・シーンへの移行がスムーズだし、作品全体の統一感も出せるので大助かりである。
  引く手数多なワケである。

2001年6月6日(水)

  昨日の続きを稽古。今日は殊の他時間が掛かってたしまった。

  新作を開ける場合、これはストレートプレイの場合でも変わらないのだが、机上で「成立する」と判断していたプランでも、実際に場面を作ってみると、思ったようには効果を上げられないことがある。
  その時、力技でもそのプランを成立させるのか、新たなプランを構想したほうが良いのか・・・。

  演出家に、胃の休まる暇はない。

2001年6月7日(木)

  今日で1幕の半分程度まで進む。明日から1幕の後半へ。華やかな場面、引き締まった芝居、緊張感あるシーン、ホッとする部分が良いバランスで配置され、見ごたえは十分(だと思うんだけど)。

2001年6月8日(金)

  稽古前半は、2人とか3人の静かな場面、後半では3、40人の大場面を作る。

  『風・・・』だけに、大人数を活用する場面がふんだんに出て来る。そうした場面は、稽古の手間も掛かるし、演出家の消耗も激しいのである。

2001年6月9日(土)

  稽古は休み。改めて2幕の想を練る。

2001年6月10日(日)

  演出部の皆さんには本当にお世話になっている。稽古前、俳優たちが入って来るずっと前に着到して稽古用の道具を作ったり、稽古後も深夜に及ぶまで、翌日のためにテキストやスコアを直したり、舞台模型を作って場面を検討したり・・・。

  私自身、東宝演劇部の演出部出身なので、照れ臭くて日頃言葉にし難いのだが、ホント、感謝してます。(今日も深夜帰宅になってしまったので、その罪滅ぼしに・・・)

2001年6月11日(月)

  稽古前、演劇雑誌『レプリーク』の取材で萩尾瞳さんにインタビューを受ける。この作品が多くの方々に注目されていることを改めて知り、身の引き締まる思い。

  稽古では1幕のラストまで辿り着く。ちょっとホッとしたのは事実だが、「九十九里を持って道半ばとすべし」と、森繁久彌さんに教わったので、浮き足立たぬよう自戒。

  稽古と平行して行われていた大道具の発注、第2回。今日もまた深夜、26時終了。
  本当に、皆様お疲れ様でした&ありがとうございました。

2001年6月12日(火)

  顔寄せ。スタッフ、キャストはじめ、東宝の演劇担当重役、劇場の正副支配人、宣伝担当など、公演関係者が一堂に会するセレモニー。
  本来は稽古初日にするものだろうが、現在では今日のように、稽古開始後の能率の良い日に行われる場合がほとんど。

2001年6月13日(水)

  1幕を台本順に、プロローグより全シーン当たる。まだまだ荒削りだが、繋げてみるとドラマとしてやはり見ごたえがある。
  我々に残された時間は決して多くないが、2幕も全力投球して作る決意。

2001年6月14日(木)

  東京會舘で製作発表風キャンペーン。作品冒頭を飾るナンバー『赤き大地よ』を林アキラさんとアンサンブル選抜チームが合唱。その後扮装した4人、真央さん、山口さん、今井さん、杜さんが入場、脚本の堀越さん、作曲の佐橋さん、作詞の秋元さんに私が加わって写真撮影と質疑応答。

  キャンペーンの後、今日から2幕の稽古に入る。

2001年6月15日(金)

  気がつけば初日まであと3週間。粛々と2幕の稽古は続く。

  この日記が日を追うごとに簡潔になっているような気がする。なぜだろう?

2001年6月16日(土)

  2幕中盤の幾つかのミュージカルナンバーを作る。ちょっとてこずって(?)21時を回る。
  キャストの皆さん、途中でご飯食べさせて上げなくてご免ね。

2001年6月17日(日)

  アンサンブルの皆さんの衣裳合わせ。余りにも恐ろしくて数えていないのだが、衣裳の総点数は、恐らく300着は下らないのではないだろうか?

  今回、南軍北軍の軍服は、ニューヨークのコスチューム・ショップから取り寄せている。以前、今回と同じデザイナーの緒方さんと『南太平洋』を上演した際に、第二時大戦当時の軍服を同じショップで調達したことがある。
  考証がしっかりしている上に、コストも抑えられるのである。

2001年6月18日(月)

  レットがスカーレットにプロポーズするシーンまで、ようやく漕ぎつけた。稽古は連日20時、21時といった状態。

  こうした稽古場を仕切り、全体のスケジュールを作ってくれるのが演出補の寺崎君。『エリザベート』も『カルメン』も私の『サウンド・オブ・ミュージック』も、全て寺崎君が演出部のチーフを勤めている。
  もちろん私の右腕となって、様々な場面で智恵を出してもくれるし、良き相談相手でもある。この仕事には珍しく酒をほとんど飲まないのが、私にとってはありがたい。

2001年6月19日(火)

  連日、長時間に渡って根を詰めた稽古を続けているので、さすがに私もちょっとバテ気味。
  私だけではないだろう、スタッフ・キャスト共にしんどい時期に違いない。どうか皆さん、我々に励ましのメッセージを!(といっても宛先が分かりませんが・・・)

  2幕も半分まで辿り着いた。あとはこの大河ドラマを最高にカッコ良く締めくくることに全力投球するのみ。

2001年6月20日(水)

  プロデューサーの坂本さんに、チケットの売れ行きを聞く。日によっては良い席がほとんど無いなど、かなり好調な様子で、一安心。
  既にお買い求め下さった皆様、ありがとうございました。期待に背かぬ作品になるよう、精一杯がんばります。
  まだの方、そんな具合ですので、良いお席はどうぞお早めに。

  稽古は2幕も後半に突入、主要人物たちが最後のドラマを繰り広げている。が、この所の陽気とハード・スケジュールのせいか、体調を崩しかけているキャストも多い。
  時節柄、皆さんもご自愛ください。

2001年6月21日(木)

  プリシー役の植田チコさんは、稽古場入りが異常に早い。通常稽古は13時スタートなのだが、2時間前にはもう身体を動かしている。

  そう言う私も今回は早々と稽古場入りしている。こう見えて私はかなり心配性なので、新しい場面の稽古に入る日の朝は、家でゆっくりしていることができない。
  早めに家を出て馴染みのコーヒー・ハウスで台本を開くのだが、ここでも集中が続かない。こちらも早々に切り上げて、結局稽古場に入る時間はチコさんと大差ない・・・と言うオチである。

2001年6月22日(金)

  あくまでも取り敢えず、ですが、ラストシーンまで辿り着く。これで完成、という精度ではもちろんないのだが、なんとなくホッとする。気がつけば初日までちょうど二週間。
  これから先は、個々のシーンをブラッシュ・アップすることと、全体の流れを作ることに稽古の重点が移る。

  現在、佐橋さんが、稽古場で決定したサイズを元にオーケストラのスコアを怒涛の勢いで執筆中。
  更に衣裳の仮縫いとフィッティングが怒涛の勢いで、大道具の製作と舞台転換の打合せが同じく怒涛の勢いで、現在進行中。

2001年6月23日(土)

  2幕を一通りさらう。6月13日に1幕をやった様に。

  稽古後照明の服部さん、助手の新井さん、演出部の皆さんと、照明打合わせ。各場面の照明をどういう考え方でデザインするか、キューをどう作るか、シーンチェンジはどのタイミングで、何を見せながら行うか。
  明りを実際に作るのはもちろん劇場に入ってからだが、この段階でのミーティングを綿密にしておかないと、劇場に入ってからの作業が効率良く行えないのである。

  余談ながら、本日も午前様。ホント、もう、申し訳ない・・・。

2001年6月24日(日)

  おおっ!?  ホームページがリニューアルしているっ!

  それはそれとして・・・。今日は衣裳合わせと仮縫い。それと劇中の声の録音。稽古は無し。

  帝劇地下六階の稽古場で、いよいよオーケストラ・リハーサル開始。指揮の伊沢さんのテキパキとした指図で、1曲1曲がどんどんと形になって行く。
  ミュージカルの仕事をしていて私が一番好きなのは、この、初めてオーケストラの演奏を聞く瞬間。  それまでの苦労が一気に報われたような、とても晴れ晴れとした気分になるので。

  伊沢さんは東宝ミュージカルではお馴染みのベテラン指揮者。『ローマの休日』初演も振っていただいた。温厚な人柄で、オーケストラを上品且つ優雅に鳴らしてくださる。
  35年前の帝劇新装開場の時に上演された菊田一夫版『風と共に去りぬ』も振っていらしたそうです。(ストレートプレイなのに、劇伴をオケが演奏していたのです)

2001年6月25日(月)

  台本順に、全場面を稽古。さすがに1幕は久し振りなので、てこずる。2幕は皆の記憶もまだ鮮明なせいか、大過無く流れる。
  全体を解散させてから幾つかの抜き稽古をして、22時終了。

  稽古場は今日を入れてもあと7日。その間に細部を仕上げ流れを作り、オーケストラとの合わせも済ませなければならない。
  個人的に不安になって来たのは上演時間。想定より、ちょっと長い・・・かな?

2001年6月26日(火)

  ホームページを覗いてびっくり!  初日まであと8日!?
  7月6日が初日ですので、皆さんお間違えのないように。

  それから、励ましのお便りを何通か本当に頂いた。大変元気づけられました。心より感謝申し上げます。

  さて、今日はいよいよ初めての通し稽古。順調な仕上がりだと思う。ただし、想定よりやや長い。今後どこまで刈り込めるだろうか・・・。

  そして、そろそろ各セクションから悲鳴が聞こえてくるようになった。
  今日も衣裳合わせや仮縫いが23時まで。照明の服部さんは、「まだ見えない部分が沢山有るんだ」と言い残して早々に稽古場を去り、大道具の棟梁の「間に合わねえかも」と言う発言が伝わって来て、オーケストラ・リハーサル中のチームからはスコアがまだ揃わないとの報告が。

  でも皆さん、どうぞご心配なく。『ローマの休日』の時はこんなもんじゃなかったからね。

2001年6月27日(水)

  いよいよオーケストラとキャストの合わせ、通称オケ合わせ。オーケストラが稽古場に入り、今までピアノだけで続けてきた稽古とようやく合体。
  幕開きより台本順に、音楽の入る場面を全て、オーケストラで当たって行く作業。

  ピアノ演奏だけでは掴めなかった様々なニュアンスが、果たしてそのシーンとマッチしているのか、キューやテンポは適切か、など、時にスコアを書き直しも厭わずに調整されて行く。

2001年6月28日(木)

  昨日、今日でオケ合わせを終える。雄大な曲、さわやかな曲、軽快な曲、しっとりした曲、華やかな曲・・・。素敵なメロディが、見事なオーケストレーションで一層素敵になった。

  この1ヶ月半、お世話になった稽古ピアニストの間野さん、宇賀村さん、お疲れ様でした。皆さん無くして今回の仕事は考えられませんでした。有難うございました。
  國井さんには引き続き、ピットの中で千秋楽まで面倒をおかけします。よろしくお願いします。

2001年6月29日(金)

  初日まであと1週間。残す所、稽古場は後3日。今日からオーケストラ入りの通し稽古(通称『オケ付き通し』)。
  一同、見事な集中力で、今までで最良の出来。が、これで満足することなく、通し稽古の後、何シーンかを抜き稽古。

  今日の通し稽古を見て、この仕事を引き受けて良かったと、つくづく思いました。

2001年6月30日(土)

  『屋根の上のヴァイオリン弾き』千秋楽。『屋根・・・』のセットが撤去されると『風・・・』の仕込みがスタートする。劇場では、今夜は徹夜で入れ替え作業が続くのである。

  稽古場では予定上演時間に収める為の悪戦苦闘が続く。これは簡単なことではない。

2001年7月1日(日)

  7月に入った。稽古場最終日、最後のオケ付き通し稽古。稽古場でできることは全てやった。後はこの大作を舞台に降ろし、劇場のマジックで包んで皆さんにお届けするばかりである。

  劇場スタッフは今日からが戦争である。膨大なセットと複雑な舞台転換、それを司る照明のデザイン。全てはまだこれからの作業なのである。

2001年7月2日(月)

  お昼より劇場にて道具調べ・照明合わせ。稽古は休み。
  舞台上に各場面のセットを実際に飾り、仕様通りに仕上がっているか、使い勝手はどうか、小道具をどう飾るか・・・などを、美術家(今回なら堀尾さん)を中心にチェックするのが道具調べ。
そのセットに照明をどう当てて行くか、照明家(今回なら服部さん)がデザインして行くのが照明合わせ。
  途中、アトランタの炎上場面が上手く行かず、終了は28時30分。劇場から出ると、既に空は白んでいた。

  この文章を書いているのは朝の5時。

2001年7月3日(火)

  午前中はサウンドチェック。ピットに実際にオーケストラが入り、演奏しながらバランスを決めて行く作業。

  午後はテクニカル・リハーサル、通称テク・リハ。キャストが入らない以外は本番通りに、舞台進行のキューを一つ一つ追いかけて確認する作業。
  これを精密にやっておかないと、舞台稽古に思わぬ時間が取られたり、事故を引き起こしかねない。

  今回の『風・・・』は舞台の進行が複雑なので、テク・リハに大変時間が掛かる。全場面片付いた訳でもないのに、本日も終了は26時30分。大道具さんは更にその後、直しの作業。

2001年7月4日(水)

  舞台稽古初日。プロローグから台本順に、各場面を当たって行く。
  セットの使い勝手、キャストの立ち位置、出入りなどを確認しつつ、照明、音響、オーケストラ、その他様々な舞台効果を本番同様に遂行して調整する。

  2幕2場まで辿り着いて、以下は明日。引き続き、テクリハの残りを消化。
  何だか自慢しているみたいだが、楽屋口を出て地上に出ると、またまた東の空がうっすらと白み始めていた。

2001年7月5日(木)

  舞台稽古2日目、まず昨日の続きをやり終える。然る後、最終的に全幕通しの舞台稽古を行う段取り。

  『ローマの休日』青山劇場の初演では、最後の通し舞台稽古の開始が24時近くとなり、幕が降りたのは初日の朝、27時近くになっていた。未明の青山劇場前に100台を越すタクシーが行列を作っていた、という逸話が残っている。

  果たして今日は・・・

  5日中に終了することができた、とだけ申し上げておく。

2001年7月6日(金)

  初日。5分ほど遅れて開演。果たして皆さんのご期待に応えることができたのか?
  正直に言えば、今の私には良くわかりません。ただ、ようやく重い重い荷物を肩から下ろすことができてホッとしている、と言うのが、帰宅してこれを書いている現在の心境です。

  明日以降、少し冷静になって、或いはご覧になった方々の声が届いたりすると、色々と手直したい部分が出てくるのかもしれません。

  今日は致命的なトラブルこそ有りませんでしたが、私から見ると、もう手に汗握りまくる初日でした。
  とは言え、やはり手塩にかけた舞台の初日は何よりも嬉しいものです。この場を借りて、公演関係者全員にお礼を申し上げます。
  それと、この拙い日記にお付合いくださった皆さんにも。もう、何度途中で辞めてしまおうと思ったことか。

  でも、今日劇場で「日記読んでいました」と、何人もの方々から声を掛けていただいて、あ、作り手と観客が接点を持つことは悪くないものだな、と目から鱗が何枚も落ちました。

  私の仕事は劇場に足を運んでくださった皆さんに楽しんでいただける作品を作ることですから、こんな形で皆さんと接点を持つことができたことは、私には大きな収穫でした。

  さしあたって、この日記をいつまで続ければ良いのか、聞いていないので分からないのですが、本日で第1部は終了と勝手にさせていただきます。
  でも宣伝部さんのお許しがあるようならば、不定期に更新させていただこうとは思っているのですが。

(了)

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