J&H日記特別編
『ジキル&ハイド』日本初演の初日の夜、即ち2001年11月5日(月)の公演終了後、私はレスリー・ブリカッスさんご夫妻と会食する機会を得た。その時の様子を採録したのがこの『J&H日記特別編/レスリー・ブリッカス夫妻と天ぷらを食べながらミュージカル談義をする』である。
元々この文章は、当時東宝の『ジキル&ハイド』公式ページに連載していた「J&H日記」の番外編として書かれ、公式ページ内で発表されたものである。今回の『ジキル&ハイド』ファイナルを記念して、ここに再掲載しようと思う。もちろん以下の本文は当時のままで加筆訂正はしていない。
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感動の初日を終えた私は、雨の中をレスリー・ブリッカス夫妻が待つ「酔心」へと走った。私がブリッカスさんのファンだと知って東宝演劇部国際室の松田さんが、ご夫妻と私とのささやかな会食をセットしてくれたのだ。メンバーはブリッカスさんと奥様のイボンヌさん、そして私の他は、松田さん、古川プロデューサー、それと通訳の日向さんのみ。ファンとしては天にも昇る、しかし人見知りの私にはいささか荷の重い顔触れであるとも言える。
「酔心」は劇場関係者が集まる、日比谷ではお馴染みの小さな日本料理店で、ブロードウェイで言えば「ジョー・アレン」か「サーディーズ」といった所か。スターの似顔絵の代わりに歴代東宝作品の大入袋が壁一面に張ってある、そんな店である。
山田「遅くなりました」
松田さん「お疲れ様でした。今ちょうど誉めていただいていた所ですよ」
山田「ほんとですか? ……よかった」
松田さんにビールを注いでもらい、とりあえずの乾杯。見るとご夫妻は日本酒を燗でやっている。お箸もそれなりに使いこなし、聞くと日本料理は好物なのだそうだ。ただし、お猪口の横には冷たい水のグラスが。チェイサー付きの熱燗を見たのは初めてだ。
ブリッカス夫人(以下イボンヌ)「お疲れのように見えるけど、大丈夫?」
ブリッカスさん(以下レスリー)「そりゃそうさ。演出家はくたびれるものさ。今日は初日だったんだから」
山田「そうじゃないんです。お二人とこうしてお話ができるなんて、胸が一杯で……」
「酔心」の女将さんがブリッカスさんから名刺を貰っている。私も遅れじと自分の名刺を差し出した。私の名刺は裏面がローマ字になっているのだが、頂いたブリッカスさんの名刺には、なんとカタカナで「レスリー・ブリキュス」と印刷されている。
レスリー「“BRICUSSE”という名前はもともとベルギーの名前なんだよ。だからフランスではブリキュースと発音され、英語圏ではブリカスと呼ばれるんだ」
私が中学の頃、初めて氏の名前に接した時の日本語表記は「ブリキュースさん」だった。その後いくつかの文献に接して、私の中では「ブリッカスさん」と修正されて今日に至るのだが、なるほど、そういうことであったか。
実は今回の『ジキル&ハイド』のポスターやプログラムでは「ブリカッスさん」で表記が統一されているのだが、これは事前に東宝のニューヨーク事務所経由で問い合わせて確認を取った読み方。ただしこの原稿では私は長年慣れ親しんだ「ブリッカスさん」で書かせていただくことにする。ちなみにブリッカスさんの名刺の住所はカリフォルニアのビヴァリー・ヒルズであった。
さて、名刺を貰って気が大きくなった私は、持参した映画『ドリトル先生不思議な旅』のプログラムを取り出した。この1967年製作のミュージカル映画でブリッカスさんは、脚本と作詞・作曲を手懸け、アカデミー主題歌賞を受賞している。
レスリー「とても懐かしい作品が出てきたね」
イボンヌ「これは見たこと無いわ」
レスリー「私も見たことは無いな」
何しろ日本公開時の劇場プログラムである。ブリッカスさんは目を細めて一通りページを繰って行った。持参した黒マジックを厚かましくもブリッカスさんに差し出す私。いつもの謙虚さはどこへ行った?
レスリー「“ドリトル先生”は私の最初の“ドクター”だ。私の二番目の“ドクター”を演出してくれて、どうもありがとう」
ブリッカスさんはプログラムの表紙に心のこもったメッセージとサインをしてくれた。
山田「12歳の時にテレビで見たんです」
イボンヌ「あ、年齢の話は禁止よ」
山田「はい」
話は『ジキル&ハイド』に戻る。
レスリー「今日(11月5日の初日)のカーテンコールは観客の反応がとても良かったけど、日本ではいつものことなのかな?」
山田「いえ、今日の反応は特別でした。とても喜んでくれていました」
レスリー「そうだったね」
イボンヌ「でも観ている間はとても静かだったので心配したわ」
レスリー「日本のお客さんはとても真剣に観劇しているのさ。素晴らしいカーテンコールだった」
イボンヌ「今日の出来はどうだったの?」
山田「ああ……」
レスリー「演出家はどこの国でもそうだよ。初日には胃が痛くなるものなんだ。100%上手く行くことなんて無いんだからね」
イボンヌ「でも観客には上手く行かなくても分からないから気にすることはないわ。だって初めて観てるんですもの。私は分からなかったわよ」
レスリー「観客の前で上演したのは今日が初めてなのかな?」
山田「そうです」
レスリー「これだけ観客が熱狂しているんだからロング・ランをすればいいのに」
松田さん「日本では何年か間を置いて再演するのがロング・ランの代わりとなっています。そうして再演を重ねている名作が沢山あるんです。日本に5年いれば名作ミュージカルが全て観られますよ(笑)」
天ぷらが運ばれて来る。天種は海老、椎茸、などである。火傷しないように気を付けながら海老をほうばるご夫妻、箸の扱いも慣れたものである。
レスリー「初日のこの時間、私たちは翌朝の劇評が出るのを固唾を飲んで待つものなんですが、日本ではそうではないのですか?」
古川さん「日本では劇評は初日に出ないんですよ」
松田さん「それと、劇評自体にブロードウェイやウエストエンドのような力がありません」
レスリー「ではどうやって観客を集めるのですか?」
松田さん「前もっての宣伝です」
古川さん「後は口コミですね」
山田「だから日本ではスター・システムなんです」
レスリー「しかし鹿賀さんは若いころのレックス・ハリスンにそっくりですね。レックスは古い友人でしたからよく知っているんですが、額とか鼻筋とか、鹿賀さんはとてもレックスに似ていますよ。『マイ・フェア・レディ』をやるより前の、若い頃のレックスに。嫌がるといけないので鹿賀さんには言いませんでしたが」
映画『ドリトル先生不思議な旅』でタイトルロールを演じているのがレックス・ハリスンである。
レスリー「レックス・ハリスンはちょっと気分屋なところがあって、『ドリトル先生……』の契約が決まった後のことですが、リハーサルをしていると月に1回、必ず『もう辞めた!』と言い出すんです。ある時、それが20世紀フォックスのダリル・ザナックの耳に入ってしまい、怒ったザナックはレックスを首にしてしまいました。私たちはニューヨークに飛んで、急遽クリストファー・プラマーと契約したんですが、そうなってからレックスは『やっぱり戻る』と言い出したんです。クリストファー・プラマーとはお詫びのランチを取りましたが、高くついたランチでしたよ。クリストファー・プラマーの契約を解除するために50万ドル支払ったんですから」
こんな裏話はどんな映画専門書にも載っていない。映画少年でもあった私には夢のようである。
レスリー「それにしても週に11公演でしょう? 鹿賀さんの喉は大丈夫なんだろうか?」
山田「大丈夫ではないと思います」
レスリー「2回公演は週に何回あるんですか?」
古川さん「4回ですね」
イボンヌ「まあ大変!」
レスリー「ブロードウェイでは通常週8回で、2回公演の昼はアンダー・スタディが勤めますよ」
山田「スター・システムで興行されているので、なかなかそうも行かないんですよ」
レスリー「ジキル役がシングル・キャストだったのはスペインだけだよ。スペインのジキル役者は、なんと60歳だったんだよ。彼は、ジキルの声とハイドの声を使い分ける特別なテクニックを会得していたのでできたんだ」
60歳のヘンリー・ジキル役者!? ……恐るべし。
レスリー「稽古はどのくらい?」
山田「2ヶ月でした」
レスリー「ひと月はヴォーカルとテーブル稽古?」
山田「そうです」
レスリー「ルーシーがとてもよかった! ブロードウェイでルーシーを演じたリンダ・エダーよりもずっといい演技だった」
山田「ほんとですかっ!」
レスリー「ああ」
イボンヌ「エマも素敵だったわ」
レスリー「そうだ、二人とも素敵だった」
山田「マルシアさんは日本語が母国語ではないんですよ」
イボンヌ「まあ、そうなの?」
レスリー「彼女はブラジルの人なんだよ。ドイツの『ジキル&ハイド』でも英語圏の女優がドイツ語で演じたんだよ」
山田「そうなんですか」
天ぷらに続いて刺身が出される。
レスリー「(夫人に)緑色のマスタードを入れるんだよ(わさびの事である)。これはウニですね! 大好物ですよ」
ご夫妻は生物も食べ慣れている様子である。
レスリー「訳詞もとてもうまく行っているね。訳詞というのはとても難しい作業なんだが、今回はとても自然だし、内容もきちんと置き換えられている」
イボンヌ「“MURDER、MURDER”と言うところは何て言っているの? 私には『チキン、チキン』と聞こえたんだけど」
一同大爆笑。
山田「『事件、事件』と言っているんです」
イボンヌ「何で殺人場面に鶏が出で来るのかと思っていたわ。それから1幕の幕切れの、大司教を殺す場面も素敵だったわね。あんな殺し方、どこの国でも見たことないもの」
レスリー「あれはとても面白かったね」
イボンヌ「公爵夫人の首を締める時、ステッキを回すのもよかったわ」
山田「ありがとうございます。あれは全部アクション・ディレクターが考えてくれたんです」
こんなに次から次へと誉められたのは生まれて初めてのことである。この3ヶ月間の苦労も報われると言うものである。
イボンヌ「……やっぱりあなた疲れているみたいだけど、大丈夫?」
山田「お目に掛かれてほんとに胸が一杯なんですよ」
レスリー「そんなことを言わないで。私の方があなたのファンになったんだから」
ますます胸が一杯になる私。
松田さん「山田さんはお子さんが生まれたんですよ」
山田「今9ヶ月なんです」
イボンヌ「私たちにも9ヶ月の孫がいるのよ! それじゃあ夜寝られなくて大変でしょう?」山田「朝6時頃に起きるんです、息子は」
レスリー「そんな集中できない環境で、よくこんな完成度の高い作品を作れたもんだ」
山田「恐らく、集中できなかったのが良かったんだと思います」
ちゃんとユーモアになっていただろうか?
レスリー「山田さんは今までにどんな作品を演出したの?」
山田「『サウンド・オブ・ミュージック』『南太平洋』『I DO! I DO!』『シェルブールの雨傘』……」
レスリー「ミッシェル・ルグランだね?」
山田「そうです。それから東宝オリジナルで『ローマの休日』『風と共に去りぬ』……」
レスリー「『ローマの休日』のミュージカルはいいアイデアだね!」
山田「それから『ストップ・ザ・ワールド』を……」
レスリー「私の作品だ!」
山田「そうなんです。それを昨年やろうとしていたのですが、実現しませんでした」
レスリー「そうなのか。気を落としてはいけないよ」
山田「20世紀の終わりに、あの作品をやっておきたかったんですよ。でも近いうちに必ず実現させようと思ってます」
と、ブリッカスさんが「酔心」の女将さんを指差して声を潜めて……
レスリー「ブラディ・メリーがいる!」
山田「ほんとだ!」
言われてみれば「酔心」の女将さんは『南太平洋』のファニタ・ホールにそっくりである。このページを「酔心」の女将さんが読んでいないことを祈る。それにしてもお茶目なブリッカスさんである。
山田「少し質問をさせて頂きたいんですが、ミュージカルを作り始めたきっかけがあるなら教えてください」
レスリー「私は学生の頃ロンドンで、MGMミュージカルばかり見ていたんだよ」
山田「私もそうでした!」
レスリー「フレッド・アステア、ジュディ・ガーランド、ジーン・ケリー……みんな大好きだった。それがきっかけだよ。コール・ポーターやアーヴィング・バーリン……特に好きだったのはロジャース&ハートだね」
憧れの人が自分と同じような青春を送っていたとは……。
レスリー「リチャード・ロジャースのことで“Good Story”がある。その話をしよう。『ドリトル先生……』の仕事でニューヨークに滞在していた時のことだ。大好きなリチャード・ロジャースの本が2冊出され、今日のあなたと同じように私はロジャースのサインが欲しくて、憧れのロジャースに電話をかけたんだ。するとロジャースが『今どこにいるのか?』と聞くので『プラザホテルです』と答えたら『それじゃあ一緒にランチを取ろう』と言うことになった。私は、かつてロジャースがハマースタインとランチを取っていたテーブルに招かれ、ロジャースとランチを取った。ハマースタインの常席だった椅子に座っていたんだよ。そしてロジャースに『どんなミュージカルを作りたいんだ?』と聞かれ『ノアの箱舟の話と、ヘンリー8世の話です』と伝えた。ロジャースは『OK、それじゃあ一緒にやろう』と言ってくれ、私は有頂天になってそのことをエージェントに報告したんだ。翌日エージェントから電話がかかってきて『気の毒だが、君は2年間、20世紀フォックス以外の仕事をすることはできない。そう言う契約なんだ』……ロジャースにもそう告げるしかなかったよ。その後ロジャースが他の作詞家と組んで発表した作品を知っているかね? ノアの箱舟の話とヘンリー8世の話だよ! 以上が“Good Story”。私が33歳の時の話だ」
イボンヌ「誰に何を話すかはとても難しい問題ね」
レスリー「ロジャースの“ノアの箱舟”のミュージカルは『TWO BY TWO』という題名で、ダニー・ケイが出演していた。当時私たちはビヴァリー・ヒルズに住んでいて、隣に住んでいたのがダニー・ケイだ。彼は中華料理がとても上手で、毎週末、彼の家で中華料理をご馳走になるのが私たちの決まりだったんだ。ある日ダニーが『今度ブロードウェイに出ることになったんだ』『作品は?』『TWO BY TWOだよ!』……人生とはそんなものだよ」
ちなみにリチャード・ロジャースがブリッカスさんの後任に選んだパートナーはマーティン・チャーニンである。
山田「話は変わりますが、MGMミュージカルの中でお好きな作品は何ですか?」
レスリー「『雨に唄えば』だね。カムデン&グリーンのシナリオがとてもすばらしい。それから『恋の手ほどき』。ラーナー&ロウのミュージカルだが、1940年代から1957年までのMGMの黄金時代を締めくくる最後の作品なんだよ」
イボンヌ「『野郎どもと女たち』も素敵ね」
レスリー「あれはMGMの作品ではないよ。だがいい映画だった。しかしマーロン・ブランドはミスキャストだ。フランク・シナトラもそうだ」
山田「同感です」
レスリー「ブロードウェイでスカイ・マスターソンをやったロバート・アルダは良かった。ネイサンのサム・レヴィンも良かった」
山田「ご覧になったんですか?」
レスリー「観たよ」
イボンヌ「観たわ」
山田「初演ですよね?」
レスリー「そうだ」
イボンヌ「リメイクよ!」
レスリー「(夫人に)もちろん君は生まれていなかった(笑)」
今度はおでんが運ばれてくる。レスリー・ブリッカス夫妻と日比谷でミュージカル談義に花を咲かせながら天ぷらを食べ、刺身を食し、おでんをいただくような事があろうとは。
山田「舞台のミュージカルでお好きなのは?」
レスリー「『マイ・フェア・レディ』」
山田「ではご自身の作品で一番気に入っているものは何ですか?」
レスリー「うーん……。ネクスト・ワン!(笑) 今取り組んでいるのは『ノアの箱舟』。それからフランク・ワイルドホーンとは『シラノ・ド・ベルジュラック』。ブレイク・エドワーズとはあの『ピンクパンサー』のミュージカルを作っているんだ」
山田「作詞だけを担当する場合と作詞作曲をする時とでは何か違いがあるんですか?」
レスリー「持ち込まれた企画なのか、自分の企画なのかによって違うんだ。『ジキル&ハイド』はフランクから持ち込まれた企画で、とても面白い素材だと思った。それにフランクの才能もすばらしかったから引き受けたんだ。自分の企画の場合は自分で曲も作ることが多くなる。作詞作曲を一人で兼ねると、曲が詞の影響を受け、詞が曲の影響を受ける、と言う事はあるね」
山田「私は作曲家としてのあなたのファンでもあるので、作曲の方もぜひ続けてください」
イボンヌ「その通りよ、あなた」
レスリー「『ノアの箱舟』は作詞作曲だよ」
山田「それは楽しみです」
レスリー「『ピンクパンサー』ではヘンリー・マンシーニがもう曲を書くことができないので、映画から3曲だけを使い、残りの16曲は私が書いた。まだレコーディングはしていないが先日仕上げたところだよ。あの有名なテーマ曲に詞を付けたんだよ!」
あの有名なテーマ曲を口ずさむブリッカスさん。山田も加わってひとくさりハモる。
レスリー「映画では私は尊敬できる3人の作曲家としか組んでいない。ジョン・ウィリアムス、ヘンリー・マンシーニ、ジョン・バリーだ」
山田「『スーパーマン』の主題歌は大好きでした」
レスリー「あれは本来は別の歌手が歌うことになっていたんだ。ところが監督のリチャード・ドナーが私に内緒で、ロイス・レインを演じたマーゴ・キダーの語りにしてしまったんだよ。ロイスがスーパーマンに空中散歩に誘われる場面で、ロイスが急に歌い出したら映画のペースにそぐわないと言うことだった。私たちはプレビューの時に始めて知ったんだ。ジョン・ウィリアムスは何も知らない私たちを見ておろおろしていた。プレビューの後で『まだ直せるさ』と言っていた。ディック・ドナーの判断は半分は正しかったが、半分は間違っていたと思う。あの歌はオスカーが取れる歌だったのに。とてもすばらしい歌だったからね。エンド・クレジットに歌い手の名前さえ載っていればノミネートの資格が与えられたのに。本当に残念だったよ。反対に、自分では大した出来ではないと思っていてもノミネートされる時もある。不思議なものだ」
またまた思いもよらない映画史の裏話。
レスリー「近々オープンする作品にはどんな物があるんだね?」
松田さん「オリジナル・ミュージカルで『ショック』と言う作品があります」
山田「それからコール・ポーターの『パナマ・ハッティー』」
レスリー「オリジナルはリナ・ホーンの作品だね」
山田「そうです」
レスリー「ライザ・ミネリと一緒にリナ・ホーンのリサイタルを観に行ったことがあるよ。“彼女の人生と音楽”と言うタイトルのリサイタルだった」
イボンヌ「『キャビン・イン・ザ・スカイ』もリナ・ホーンでしょう」
レスリー「そうだよ。音楽はジェローム・カーンだ」
“キャビン・イン・ザ・スカイ”を口ずさむ山田。
松田さん「そんな歌よく歌えますね。『ストーミー・ウェザー』もリナ・ホーン出てましたよね」
山田「出てました。それから『パナマ・ハッティー』の後は『チャーリー・ガール』があります」
レスリー「デイヴィッド・へネカーの?」
山田「はい」
レスリー「ずいぶんと昔の作品だね」
山田「そうですね。……私が演出するんです」
皆さんどうかご期待いただきたい。ちなみにデイヴィッド・へネカーは、日本では『心を繋ぐ6ペンス』の作曲者として知られている人物。
レスリー「では、山田さんの好きな作品を教えてください」
山田「えーと……うーん……」
レスリー「君から始めたんだよ。ロジャース&ハマースタインは好きなんだろう?」
山田「はい」
レスリー「ロジャース&ハマースタインの作品では何が好き?」
山田「『南太平洋』です。“ワンダフル・ガイ”が大好きなんです」
レスリー「映画のお気に入りは?」
山田「『雨に唄えば』も大好きなんですが……『バンドワゴン』ですね」
レスリー「『バンドワゴン』はとても過小評価されている。これもカムデン&グリーンの脚本が素晴らしい。ライザは父親の映画の中で一番好きだと言っていたよ」
『バンドワゴン』はライザの父親ヴィンセント・ミネリが監督したMGMミュージカル。私はMGMミュージカルの最高峰だと思うのだが。
レスリー「舞台で好きなのは?」
山田「えーと『シティ・オブ・エンジェルス』」
レスリー「ラリー・ゲルバートの作品だね。曲は……サイ・コールマン?」
山田「そうです」
レスリー「サイはこれからもっといい曲を書くと思うよ」
山田「それからあなたの『ドクター・ドリトル』」
レスリー「観たのかい?」
山田「いいえ、CDだけですが。元々思い出の作品ですから、どうしてもやりたくて」
レスリー「あの作品はぜひ日本でやってもらいたいな」
念のためにお断りしておくが、文中の『ドクター・ドリトル』はミュージカル映画『ドリトル先生不思議な旅』をブリッカスさんが舞台のミュージカルに書き直し、ロンドンで上演された作品のことである。エディ・マーフィー主演の同名作のことではないのでそのつもりで。
ちなみにその舞台で“動物たち”のエフェクトを担当したのはジム・ヘンソンのクリーチャー・ショップである。
イボンヌ「私は『ドリトル先生……』の中の“WHEN I LOOK IN YOUR EYES”と言う歌が大好きなの」
“WHEN I LOOK IN YOUR EYES”を口ずさむ山田。
イボンヌ「そう、その歌よ」
レスリー「どの作品にも妻のために作っているナンバーが何曲かあるよ」
山田「私も妻に向けて作品を作っているところがあります」
イボンヌ「『ジキル&ハイド』の中では“IN HIS EYES”が好きだわ」
レスリー「私も『ジキル&ハイド』の中では“IN HIS EYES”が一番好きな曲だ」
イボンヌ「あの場面のエマとルーシーの見せ方もとても良かったわ。鹿賀さんもブロードウェイのジキルよりずっと良かった。ジキルの悲しさがとても良く伝わってきて。ロバート・クチオリはなんだかこう(ポーズをとって見せて)カッコをつけて立っているだけだったし」
レスリー「クチオリは演出に従っただけだよ。しかしクチオリはあの好演にも関わらずトニー賞を取ることが出来なかった。あの年の選考はとてもおかしいと思う。クチオリは観客からも熱狂的な支持を受けていたんだからね。トニー賞の選考は僅か40人ほどで行っているので、とても偏った結果が出るんだ。オスカーは5,000人で選んでいると言うのにね。クチオリはとても傷ついて、あれ以後舞台に出ていないんだよ。最近『ジキル&ハイド』のアメリカ国内ツアー版の演出はしたけれどもね。彼ももう40になる」
山田「クチオリのファンは日本にも沢山いますよ。私の妻もその一人です」
「酔心」の女将が、この後はお食事になりますが、と告げに来た。一同顔を見合わせて、もう食べられない、との意思表示。
イボンヌ「なんだか私ばっかり食べていたわ。皆さんあまり食べなかったじゃない?」
古川「さっき劇場でお弁当を食べてしまったんですよ」
山田「私も食べてしまったんです」
イボンヌ「女将さんがこっちを睨んでいたので、私は食べない訳にはいかなかったのよ」
気が付けばもう23時を回っている。楽しい時間はあっという間に過ぎる、ということか。
レスリー「明日の歌舞伎は11時の回にしなくて良かったよ」
イボンヌ「本当ね」
かくして夢のようなひとときは、まさに夢のようにして過ぎ去って行った。アーヴィング・バーリンの名曲に“歌は終わってもメロディはいつまでも残っている”と言うのがあるが、今の私の気持ちはそれにとても近い。いつまでも名残は尽きなかったのだが、最後に硬い握手を交して私はブリッカスさんと別れた。
そうして過ぎ去ってしまった以上、その夜のことは記憶の中にしか残っていない。なので以上の文章は、私が自分の記憶だけを頼りにして再現したものである。録音するなどと言うことはその時思いもしなかったのである。したがって文責は山田個人に帰する。話題がスムーズに流れるように文脈は整理したが、内容の創作は一切していない。
例えば、ブリッカスさんがスティーブン・ソンドハイムの人間像を語った部分があるのだが、どう思い出してもその話は上記の文脈に収まらない。収まらないからと言って落としてしまうのも勿体無いので以下にそのくだりを記しておく。
レスリー「ソンドハイムはとても奇妙な人物で、『ウエスト・サイド物語』をとても嫌っていたんだ」
イボンヌ「『ジプシー』もね」
レスリー「『ジプシー』もだが『ウエスト・サイド……』の事はもっと嫌っていた。なぜあんなに嫌うのか良く分からないくらいだ。『ウエスト・サイド物語』はミュージカルとしてではなく、バレエとして上演された方が良かったのかもしれないな。これ、いいアイデアだよね」
それともうひとつ。ブリッカスさんが帰国された後の話。東宝のニューヨーク事務所にブリッカスさんの秘書の方からお電話があり「『これ以上のすばらしいプロダクションはあり得ない!』とブリッカスさんが日本のプロダクションを激賞していた」とわざわざ連絡をくださったそうだ。
これで『レスリー・ブリッカス夫妻と天ぷらを食べながらミュージカル談義をする』はおしまいである。最後まで読んでくださってありがとうございました。 なお、この文章を読むと、山田が英語ペラペラか、或いはブリッカス夫妻が日本語ペラペラな様に錯覚しそうになるが、実際には通訳の日向さんが大活躍してくださっていた事は言うまでもない。この場をお借りして一言感謝の意を表したいと思う。
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