追悼 スタンリー・ドーネン/アンドレ・プレヴィン
スタンリー・ドーネンとアンドレ・プレヴィンが相次いで亡くなった。
スタンリー・ドーネンは、1940年代末から80年代に渡って活躍した映画監督である。
1960年代に発表したオードリー・ヘップバーンの出演作『シャレード』や『いつも2人で』などがポピュラーだと思うが、それ以前の50年代にはハリウッド・ミュージカルを牽引する監督のひとりだった。
その時代の作品には、ブロードウェイ・ミュージカルを映画化した『パジャマ・ゲーム』『くたばれ! ヤンキース』(共にジョージ・アボットと共同監督)をはじめ、『恋愛準決勝戦』『略奪された7人の花嫁』『パリの恋人』(これもオードリー)などがあるが、中でも重要なのは、ジーン・ケリーと共同監督(そして共同振付)した3本『踊る大紐育(だいニューヨーク)』(これは49年だが)『雨に唄えば』『いつも上天気』だろう。
アンドレ・プレヴィンはクラッシック音楽の指揮者やピアニスト(クラッシック、そしてジャズの)としても有名だが、映画音楽の作曲家、そしてミュージカル映画の音楽監督としても大きな足跡を残した。
音楽監督を務めたミュージカル映画には、『キス・ミー・ケイト』『絹の靴下』『恋の手ほどき』『マイ・フェア・レディ』『ジーザス・クライスト・スーパースター』などがあり、ソングライターとしては『いつも上天気』『ペペ』『ベンチャー・ワゴン』などに楽曲を提供した。
1940~50年代は、ハリウッドではミュージカル映画の黄金時代であった。その時代のミュージカル映画を牽引したのはアーサー・フリードと言う名プロデューサーと“フリード・ユニット”と呼ばれる彼の率いるミュージカル製作チームであった(“フリード・ユニット”に触れた15年近く前の拙文はこちら 。その1で“フリード・ユニット”に触れている)。ドーネンもプレヴィンも、フリード・ユニットの重要なメンバーであった。
ドーネンは1924年生まれで、プレヴィンは1929年生まれである。フリード・ユニットで活躍していた頃は、2人とも20代から30代と言う若さであった。
ご冥福をお祈りいたします。
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