『アニー』通信
3月25日(土)
おさらいデー。幾つかの場面とミュージカル・ナンバーをおさらい。
ミュージカル『アニー』はブロードウェイの歴史に残る大ヒットを記録した。そうなると当然のように続編製作の話が出る。
『アニー』の続編は、『アニー2:ミス・ハニガンの逆襲(原題)』のタイトルで1989年にワシントンD.C.のケネディ・センターでトライアウトが行われた。
手掛けたのはもちろんマーティン・チャーニン、チャールズ・ストラウス、トーマス・ミーハンの3人である。が、劇評はあまねく否定的で、改善のための大幅な改訂が繰り返されたにもかかわらず、ブロードウェイに進出することはできなかった。
しかし、続編製作の試みはそれで終わらない。
今度は『アニー・ウォーバックス(原題)』のタイトルで、1992年に幾つかの地方都市でトライアウトが行われた。
チャーニン/ストラウス/ミーハンが再結集し、製作ワークショップが行われたのは(最初の『アニー』と同じ)グッドスピード・オペラハウスであった。
元々の計画では、『アニー・ウォーバックス』はトライアウトの後、ブロードウェイを目指すことになっていた。が、必要な資金を集めることができず、計画を変更して規模を縮小し、1993年にオフ・ブロードウェイのバラエティ・アーツ劇場でオープンに漕ぎ着けた。
この公演は集客も順調で、それを足掛かりにブロードウェイへの引っ越しが企てられた。が、相応の劇場と出資者を見つけることができず、またしてもブロードウェイ進出は叶わなかった。
チャールズ・ストラウスには『バイ・バイ・バーディ』の続編『Bring Back Birdie』(1981)と言う作品もあるのだが、こちらも(ブロードウェイまでは辿り着いたものの)わずか4回の上演で幕を閉じている。
歴史に残る作品は、才能ある人たちがどんなに努力を重ねても、それだけでは生まれないのである。
ところで……
“続編”の翻訳上演にご興味のある方はいらっしゃいませんか?(つづかない)
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