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2017年3月の記事

『アニー』通信

3月30日(木)

 更に2幕を作る。

 昨日のブログに記した“番組”で、チャーニン&ストラウスの他に登場したソングライターの中で私が記憶しているのは、アーサー・シュワルツとバートン・レーンである。

 作曲家=アーサー・シュワルツ(1900~1984)は、作詞家のハワード・ディーツとのコンビで「アローン・トゥゲザー」や「あなたと夜と音楽と」など洒脱な歌を多く作った。ミュージカル史的に触れておかなければいけないのは、彼らの楽曲を使って映画『バンド・ワゴン』(1953)が作られたことだろう(映画の基になった舞台版が、そもそも彼らの楽曲を使用していた)。
 『バンド・ワゴン』には「バイ・マイセルフ」「プランを変えよう」「ダンシング・イン・ザ・ダーク」などの名曲が並んでいるが、外せない楽曲がもう1曲ある。2人が映画版のために新たに書き下ろした楽曲、あの「ザッツ・エンタテインメント!」である。

 作曲家=バートン・レーン(1912~1997)は、ミュージカル『フィニアンの虹』(1947初演/映画は1968)や『晴れた日に永遠が見える』(1965初演/映画は1970)などで知られる。2作品とも元々はブロードウェイ・ミュージカルで、後に映画になっている。
 バートン・レーンが“番組”で語ったエピソードで記憶しているのは『晴れた日に永遠が見える』のエピソードで、コンビを組んだ作詞家のアラン・ジェイ・ラーナーがタイトル・ソング「晴れた日に永遠が見える/On a Clear Day You Can See Forever」の作詞にとても苦労していた、と言う話である。

 先行して曲を書くことになったレーンは、メロディーの随所に「On a ×× Day」と言う言葉が入りそうな個所を散りばめた。そうしておけば、後からラーナーが、例えば「On a Blue Day ...」などと歌詞を考えやすいだろう、と考えてのことである。
 が、ラーナーはレーンが予想したような詞は書かなかった。難産の末にラーナーが生み出したのが、いま私たちが知っている「晴れた日に永遠が見える」である……と言う話だったと記憶する。

 シュワルツは1920年代から、レーンも1930年代から活躍するソングライターである。一方、チャーニンやストラウスが活動を始めたのは1950年代の終わり頃である。番組で“チャーニン&ストラウス”の回を見た時、1組だけ世代の異なるソングライターが登場したな、と感じたのを覚えている。
 2人以外のソングライターたちは“既に評価の定まった人たち”であったが、2人は“まだこれから”のソングライターのように思えた。

 2人は若かったのである。

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『アニー』通信

3月29日(水)

 そして今日も2幕を作る。

 これは記憶だけを頼りに書くのだが、30年近く(或いはそれ以上?)前、NHKのBSで“アメリカのソングライターたち”を紹介する番組が放送された。

 番組では、毎回1組のソングライター(作詞家と作曲家。どちらかだけの場合もあった)が登場し、自分たちの書いた楽曲を、作曲家はピアノで伴奏し、作詞家は歌い(或いは2人でハモり)、その楽曲にまつわるエピソードを披露する……と言った趣向であったと記憶する。

 そのシリーズの1本に“マーティン・チャーニンとチャールズ・ストラウス”の回があった。

 番組の内容は殆ど記憶にないのだが、ひとつだけ覚えているエピソードがあって、それは『アニー』についてのエピソードである。

 恐らくマーティン・チャーニンが喋ったのだと思うが、「ミュージカルの“幕開きの曲”と言うものは賑やかだったり楽しいものだったりするのが普通なのだが、『アニー』はそうではない」と言う話になった。
 『アニー』の幕開きのナンバーはご存知の通り「Maybe」である。番組では2人で「Maybe」を披露した後、「実は幕開きのために作ったがボツになった曲がある」と話し出し、そのボツ曲を2人で歌ってみせた。

 歌い終えた2人はスタジオのオーディエンスたちに「こんなにいい曲なのに!」としきりにぼやいていた……ように記憶しているのだが、どこまで正確なのかは分からない。

 番組にお心当たりのある方はいらっしゃいませんか?

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『アニー』通信

3月28日(火)

 2幕の続きを作る。

 ミュージカル『アニー』を元にした映画は2本作られている。1本はジョン・ヒューストン監督の『アニー』(1982)で、もう1本はウィル・グラック監督の『ANNIE/アニー』(2014)である。

 1982年の映画版『アニー』は、大筋ではブロードウィ版に基づいているが、細部が結構異なっている。
 ミュージカル・ナンバーも数曲がカットされ、新たに数曲が書き加えられた(新曲を書いたのはもちろんマーティン・チャーニンとチャールズ・ストラウスのコンビ)。登場人物も、舞台版には出てこない人物(“プンジャブ”と言ウォーバックスの執事……のような、用心棒……のような男、など)が加えられていたりするので、舞台版と異なる部分を楽しむのも一興だろう。

 キャストも充実していて、ウォーバックス=アルバート・フィニー、ハニガン=キャロル・バーネット、グレース=アン・ラインキング、ルースター=ティム・カリー、リリー=バーナデッド・ピータース、プンジャブ=ジョフリー・ホールダー……と言う、当時の映画ファンやミュージカル・ファンにはたまらない顔触れがそろっている。アニーを演じたのはオーディションで選ばれた新人のアイリーン・クインである。

 映画の公開当時大学生で映画好きだった私などには、“あのジョン・ヒューストンがあの『アニー』を監督する!?”と言うことだけでもニュースであった。
 ミュージカル・マニアのために付け加えておくと、映画版でミュージカル場面をクリエイトしたのはジョー・レイトン、振付はアイリーン・フィリップス、編曲・指揮はラルフ・バーンズ、衣裳デザインはセオニ・V・アルドリッジである。

 現在、東宝シネマズ新宿(ゴジラ・ヘッドでお馴染み)がある場所に以前あった劇場「シアターアプル」のこけら落とし公演は『JACK』(1982)であった。タイトル・ロールのジャック・コールを演じたのはブロードウェイから招かれたウェイン・シレントである。
 その彼が映画版『アニー』にチョイ役のダンサーで登場していたりするのも、いま見返してみると微笑ましい。

 後にシレントはブロードウェイで振付家となり、あの『ウィキッド』を生み出すことになる。

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『アニー』通信

3月27日(月)

 広い稽古場へ。

 今までの稽古場も決して狭くはなかったのだが、今まで以上に広い稽古場に引っ越しである。
 “舞台の奥行きを深く使うような場面”は、今までの稽古場では実寸が取れなかったのだが、ここではかなりの部分が実寸で稽古可能になる。しかし“もっとも奥行きを深く使う場面”は、ここでも実寸は取れない。

 今日はまず2幕の続きから。早速奥行きが役に立つ。続いて1幕にある大きなミュージカル・ナンバーのブラッシュ・アップ。ここでも奥行きが役に立つ。
 奥行きだけでなく、舞台の床面も本番仕様にヴァージョン・アップされた。更に稽古用の道具の幾つかも(段差が再現されるなど立体的になったりして)ヴァージョン・アップ。

 色々な部分が少しずつヴァージョン・アップしている。

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『アニー』通信

3月25日(土)

 おさらいデー。幾つかの場面とミュージカル・ナンバーをおさらい。

 ミュージカル『アニー』はブロードウェイの歴史に残る大ヒットを記録した。そうなると当然のように続編製作の話が出る。

 『アニー』の続編は、『アニー2:ミス・ハニガンの逆襲(原題)』のタイトルで1989年にワシントンD.C.のケネディ・センターでトライアウトが行われた。
 手掛けたのはもちろんマーティン・チャーニン、チャールズ・ストラウス、トーマス・ミーハンの3人である。が、劇評はあまねく否定的で、改善のための大幅な改訂が繰り返されたにもかかわらず、ブロードウェイに進出することはできなかった。

 しかし、続編製作の試みはそれで終わらない。

 今度は『アニー・ウォーバックス(原題)』のタイトルで、1992年に幾つかの地方都市でトライアウトが行われた。
 チャーニン/ストラウス/ミーハンが再結集し、製作ワークショップが行われたのは(最初の『アニー』と同じ)グッドスピード・オペラハウスであった。

 元々の計画では、『アニー・ウォーバックス』はトライアウトの後、ブロードウェイを目指すことになっていた。が、必要な資金を集めることができず、計画を変更して規模を縮小し、1993年にオフ・ブロードウェイのバラエティ・アーツ劇場でオープンに漕ぎ着けた。
 この公演は集客も順調で、それを足掛かりにブロードウェイへの引っ越しが企てられた。が、相応の劇場と出資者を見つけることができず、またしてもブロードウェイ進出は叶わなかった。 

 チャールズ・ストラウスには『バイ・バイ・バーディ』の続編『Bring Back Birdie』(1981)と言う作品もあるのだが、こちらも(ブロードウェイまでは辿り着いたものの)わずか4回の上演で幕を閉じている。

 歴史に残る作品は、才能ある人たちがどんなに努力を重ねても、それだけでは生まれないのである。

 ところで……

 “続編”の翻訳上演にご興味のある方はいらっしゃいませんか?(つづかない)

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『アニー』通信

3月24日(金)

 2幕の真ん中あたりまで作る。

 ミュージカル『アニー』は、脚本を手掛けたトーマス・ミーハンのブロードウェイ・デビュー作である。ミーハンは、これでトニー賞の“ベスト・ミュージカル脚本”を受賞した。
 
 ミーハンの活躍の場もブロードウェイにとどまらない。映画、テレビにも多くの作品を残しているし、雑誌「ニューヨーカー」の長年に渡る寄稿者でもある。
 ミーハンのブロードウェイ・ミュージカルには、『アニー』の他にも『プロデューサーズ』(2001/メル・ブルックスと共作)や『ヘアスプレー』(2002/マーク・オドネルと共作)などの大成功作がある。近年も『ヤング・フランケンシュタイン』(2007/メル・ブルックスと共作)や『ロッキー』(2012=ハンブルク、ブロードウェイでは2014/シルベスター・スタローンと共作)など、精力的に話題作を発表している。(つづく)

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『アニー』通信

3月23日(木)

 2幕をどんどん作る。

 ミュージカル『アニー』の音楽を手懸けたチャールズ・ストラウスは、ブロードウェイのソング・ライターとして長い経歴を誇っている。

 ストラウスのブロードウェイ・デビュー作は『バイ・バイ・バーディ』(1960)。後に映画化、テレビ化(2度も。直近は昨年)されることになる大ヒット作である。
 手掛けたブロードウェイ・ミュージカルの中には『ゴールデン・ボーイ』(1964)、『アプローズ』(1970)など、日本でも翻訳上演された作品もある。映画音楽も書いていて、中でも有名なのは『俺たちに明日はない』(1967/今年のアカデミー賞授賞式で作品賞を『ラ・ラ・ランド』と発表した、気の毒なウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイ主演)だろう。

 多作なストラウスではあるが、フロップ(失敗作)も少なくない。最大のヒット作は、やはり『アニー』になるだろう(『アニー』は第31回トニー賞の“ベスト・オリジナルスコア”を受賞。受賞者はストラウスとチャーニン)。

 “Tomorrow”1曲だけでも、人々の記憶に永遠に残り続けるに違いない。(つづく)

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『アニー』通信

3月22日(水)

 2幕の稽古に入る。

 ミュージカル『アニー』の作詞を手掛けたのは、アメリカの作詞家、脚本家、演出家=マーティン・チャーニンである。

 チャーニンが作詞を手掛けたブロードウェイ・ミュージカルには、オスカー・ハマースタインと死別後のリチャード・ロジャース(『サウンド・オブ・ミュージック』『南太平洋』『王様と私』他)と組んだ『Two by Tow』(1970)、『I Remember Mama 』(1979)などもあるが、代表作はやはり『アニー』になるだろう。
 Internet Broadway Databaseなどを見てみると、『ウェストサイド物語』初演(1957)のキャストとして名前が載っていたりもするので、若き日はミュージカル・アクターであったようだ。

 1960年代にはオフ・ブロードウェイやナイトクラブのショーなどに書いたり演出したりするようになり、1970年代は活躍の場をテレビ界に移し、幾つかのエミー賞を取っている。
 やがてブロードウェイに戻り、いくつかの演出作品を発表し、そして『アニー』を生み出すことになる。1977年のことである。

 『アニー』ブロードウェイ初演の演出を手掛けたのもチャーニンであった。(つづく)

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『アニー』通信

3月21日(火)

 東京では桜の開花が宣言された。一歩一歩、春が(そして初日が)近づいてくる。

 稽古の方は1幕のラスト・シーンに手を付けた。これで1幕のほぼ全場面に手を付けたことになる。
 毎度記していることだが、まだ“手を付けた”だけであって道のりは遠い。登山で言えば“ようやく登山口に辿り着いた”あたりだろう。山に登るのはこれからである。

 明日は2幕に着手する。「1幕の頭に戻って復習したい」気持ちも無くはないのだが、ここはやはりラスト・シーンまで行ってみるべきだろう。

 ……と言うワケで、稽古のペースは落とさずにどんどん行ってみるつもり。

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『アニー』通信

3月19日(日)

 

 ここ数日は1幕にある大きなミュージカル・ナンバーを作っている。「I Think I’m Gonna Like It Here」と「N.Y.C.」である。

 

 「I Think I’m Gonna Like It Here」は1幕5場にあるナンバーで、アニーがグレースに連れられてウォーバックスの屋敷を訪れる様子が描かれる。
 「N.Y.C.」は1幕5場のラストから始まり、“ナンバーの丸々1曲が1幕6場”と言う扱いになっている。描かれるのはウォーバックスがアニーとグレースを連れてニューヨークの街に出かけて行く様子である。

 

 どちらも“複数の主要人物”とその人物たちに絡む“大勢の人々”を手際よく見せることが求められる楽曲である。それを踏まえると、ステージングはどうしても複雑にならざるを得ない。
 当然、形にするのにはそれなりに時間が必要となる。結果、連日長時間に渡るステージング、と言う日々が続いている。

 ミュージカルを作るのはとても“楽しい作業”である。それは間違いない。が、それが“楽な作業”であった試しは、ほとんどない。

 連日、辛抱強くお付き合いくださっているキャスト&スタッフの皆さんに、この場をお借りして心より感謝。ご褒美(?)に明日は稽古OFF。

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『アニー』通信

3月18日(土)

 オリバー・ウォーバックスを演じるのは藤本隆宏さんである。

 ハニガンはウォーバックスのことを「世界一金持ちの独身男性」だと言っている。が、それはハニガンが愛読している怪しげなゴシップ雑誌から仕入れた情報らしいので、正確かどうかはちょっと疑わしい。
 しかし“独身男性”であることと、超のつく“大金持ち”であることは紛れもない事実である。『アニー』の物語設定が“1933年のニューヨーク”であることは以前記した通りだが、大恐慌でガタガタになった経済状況の下では、たとえウォーバックスでも企業経営は困難を極めたに違いない。

 藤本さんも“初めてご一緒する方”のおひとりである。
 演じるウォーバックスは、強引で、わがままで、気が短くて、とても子供っぽい男なのだが、稽古場の藤本さんは、佇まいも穏やかだし物腰も柔らかい。

 芝居作りがたまらなく面白いのは、時としてこんな落差に出会うことがあるからだと思う。

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『アニー』通信

3月17日(金)

 アニーの孤児院暮らしに転機が訪れるのは、“世界有数の大富豪にして実業家であるオリバー・ウォーバックス”の秘書=グレース・ファレルが孤児院を訪ねて来た時である。

 グレースによれば、ウォーバックスは「クリスマス前の2週間、自宅に孤児を招いて過ごさせたい」と考えているらしい。その幸運な孤児を選ぶために、グレースは孤児院にやってきたのだ。
 応対したハニガン(姉の方。以後“ハニガン”と言ったら「姉=孤児院の責任者」のことである)は、「だったらアニー以外の孤児から選ぶように」進言する……。

 グレース・ファレルを演じるのは彩乃かなみさんである。
 彩乃さんは宝塚歌劇団のご出身で、ご一緒するのは今回が初めてである。が、歌劇団では瀬奈じゅんさん(何回もご一緒している)の相手役を務めていらした方なので、とても親近感を(一方的に)感じている。

 さて。

 『アニー』の稽古がスタートして1週間が過ぎた。
 新作ミュージカルの稽古が“時間との戦い”になることは火を見るよりも明らかなことなので、連日、とにかく必死にメニューを消化している。時に“取りこぼし”も無くはないが、まずは順調な1週間だったと思う。
 子供のキャストも含めて“今回が初めまして”の方は少なくないのだが、そんな皆さんのキャラクターや性格も少しずつ見えてきたので、日々の稽古は楽しい。

 明日も“まだ手を付けていない”場面とミュージカル・ナンバーの稽古が組まれている。なので……

 予習します。

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『アニー』通信

3月16日(木)

 アガサ・ハニガンには刑務所から戻ったばかりの、ちょっと怪しげな弟がいる。ダニエル・ハニガンである。

 物語の中では、アガサのことをその名前で呼ぶ人は出てこない。そしてダニエルも、皆が呼ぶのはニックネームの“ルースター”である。
 英語のルースター“Rooster”には「うぬぼれ屋」とか「生意気な男」と言う意味があるのだが、と同時に「雄鶏(おんどり)」の意味もある。日本語で“ルースター”と言ってもそのどちらにもならないのだが、物語の中で時々ルースターが“ニワトリの鳴きまね”を披露して得意がっているのには、実はそう言うワケがある。

 そのルースターが、姉の勤務先である孤児院に、リリー・セントレジスと言うちょっぴり変わった名前のガール・フレンドを連れて現れる。ルースターが現われた目的は……。
 ルースターを演じるのは青柳塁斗さん、リリーを演じるのは山本沙也加さんである。

 お2人とご一緒するのは今回が初めてなのだが、個性的で生き生きとしたルースターとリリーになると嬉しい。

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『アニー』通信

3月15日(水)

 孤児院の責任者=アガサ・ハニガンを演じるのはマルシアさんである。

 マルシアさんとは『ジキルハイド』(2001年~2007年)と『イーストウィックの魔女たち』(2007年~2008年)でご一緒した。
 『ジキルハイド』はマルシアさんのミュージカル・デビュー作であった。マルシアさんは主人公=ヘンリー・ジキルに思いを寄せる娼婦=ルーシーを圧倒的な迫力で演じ、芸術祭賞演劇部門新人賞や菊田一夫演劇賞に輝いた。
 今回は“ほぼ10年振り”となる再会である。マルシアさんらしい、パワフルでゴージャスなハニガンになるだろう。

 ところで、『アニー』のメイキング特別番組が放送されることが発表された。オンエアは4月8日(土)の10時30分から、日本テレビにて(関東ローカル)である(詳細はこちら)。
 
 毎年『アニー』開幕直前に放送されているこの「特番」には“季節の風物詩”となっているような印象がある。が、いつから続いているのか、放送されなかった年があるのか……などは、不勉強な私はよく知らない。
 それはともかく、4月8日の放送と言うことは“稽古の追い込み”や“劇場に入ってからの様子”などは残念ながら取り上げられないことになる。が、アニーのオーディションに参加してくれた子供たちの喜びや悔しさ、選ばれた子供たちの頑張り……などはご覧いただけるものと思われる。

 どうぞお楽しみに。

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『アニー』通信

3月14日(火)

 立ち稽古に入っている。

 ミュージカル『アニー』の舞台は1933年のニューヨークである。
 1929年に起きた世界恐慌の影響で、この街の経済状態も極めて深刻……と言うことが物語の背景にはある。時の合衆国大統領はフランクリン・D・ルーズベルトで、この年の3月に前任のハーバート・フーバーから職を引き継いだばかりである。

 1幕1場は「ニューヨーク市立女子孤児院の共同寝室」。クリスマスまであと2週間と迫った年の瀬の深夜(夜中の3時過ぎくらい)から物語は始まる。

 この孤児院には女の子ばかり7人が暮らしていて、その中のひとりが主人公のアニー(11歳)である。物心つく前から孤児院暮らしのアニーは、いつか両親に会える日がくることを夢見ている。
 孤児院の責任者はオールド・ミスのアガサ・ハニガンで、子供たちをとても冷酷に扱っている。アニーは“両親を探すために、ここを出て行く”ことを決意するのだが……。

 この場面にはミュージカル・ナンバーが3曲ある。「Maybe」と「Hard Knock Life」と「Hard Knock Life-Reprise」である。
 稽古では、先ず芝居部分をある程度作り、続いてミュージカル・ナンバーをステージング、そしてまた芝居……と言うやり方を取っている。つまり“とてもオーソドックスな”稽古の進め方なのだが、今年の『アニー』は新作である。やはり、それなりに時間はかかっている。

 稽古終了後も、連日のようにスタッフ・ミーティング。スタッフの皆さんには、やや遅い時刻までお付き合いいただいている。

 感謝です。

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『アニー』通信

3月12日(日)

 私は、『アニー』の2代目演出家=ジョエル・ビショッフさんとは面識がない。ではどんなご縁があったのか?

 ビショッフさんはアメリカで活躍する演出家である。
 ビショッフさんの最大の成功作は、オフ・ブロードウェイで2番目のロング・ラン記録を持つミュージカル『I Love You,You’re Perfect,Now Change』である。1996年1月1日にウェストサイド劇場でオープンし、5003回の上演を重ねた後、2008年7月27日にクローズした。

 この作品が日本で翻訳上演された時、演出を担当したのが私であった。初演は2003年9月~10月で、アートスフィア=現在の銀河劇場を振り出しに各地を回った(上演データはこちら)。翌年には早くも再演となり、今は無きPARCO劇場を皮切りに、これまた各地を回った。

 そして今、ビショッフさんの後を継いで『アニー』である。

 これを“ご縁”と言わずして何と言おうか。

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『アニー』通信

3月11日(土)

 日本テレビ主催の『アニー』初演で演出を手掛けられたのは篠崎光正さんである。篠崎さんの『アニー』は1986年から2000年まで、15年間続いた。
 2001年からはジョエル・ビショッフさん演出の『アニー』が始まる。ビショッフさんの『アニー』は昨年まで上演されていたので、ほとんどの方にとって『アニー』と言えばこのヴァージョンだろう。
 そして今年。3代目の演出家として『アニー』に取り組む幸運を頂いたのが私である。

 話は変わる。

 「一般社団法人日本演出家協会」と言うものがある(ホームページはこちら)。
 “1960年に設立された日本における唯一の専門的舞台演出家の協会(ホームページより)”で、私も協会員なのであるが、『アニー』の初代演出家である篠崎さんは、長年同協会の広報部長を務めていらっしゃる。
 以前、協会の会報誌で対談をさせていただいたことがあって(対談の載った協会誌はこちら)、広報部長=篠崎さんには、その時なにかとお世話になったのである。

 ビショッフさんとのご縁については、また明日。

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『アニー』通信

3月10日(金)

 『アニー』の稽古が始まった。

 ブロードウェイ・ミュージカル『アニー』は、アメリカの漫画家=ハロルド・グレイが生み出した新聞の連載漫画『小さな孤児アニー』を原作とする、チャールズ・ストラウス(作曲)、マーティン・チャーニン(作詞)、トーマス・ミーハン(脚本)のトリオが手がけた大ヒット・ミュージカルである。
 ワールド・プレミアは1976年8月10日。アメリカ/コネチカット州のグッドスピード・オペラハウスで行われた。ブロードウェイのアルヴィン劇場(現・ニール・サイモン劇場)に登場したのは1977年4月21日で、以来、1983年1月2日にクローズするまで足掛け6年、上演回数2377回を数えるロング・ランとなった。
 これは、当時としては『グリース』『屋根の上のヴァイオリン弾き』『ハロー・ドーリー!』『マイ・フェア・レディ』などに次ぐ“大記録”であった。第31回トニー賞では、ベスト・ミュージカル、ベスト・ミュージカル脚本、ベスト・オリジナル・スコアを含む7部門で受賞した。

 日本での初演は1978年8月に日生劇場で行われている。これは今日まで続く日本テレビ主催の公演とは別の、東宝の製作で上演された公演であった。アニー役は宝塚歌劇団に在団されていた愛田まちさんが務め、ウォーバックス役は若山富三郎さんが演じられた。演出は尾崎洋一さんである。
 日本テレビ主催の『アニー』は1986年4月の青山劇場公演がその始まりである。それからの32年間、毎年休むことなく上演され続けて来たことは皆さんご承知の通りである。

 丸美屋食品ミュージカル『アニー』の東京公演は4月22日から5月8日まで、初台の新国立劇場中劇場での上演である。東京の後は、8月~9月にかけて、大阪、仙台、名古屋、上田を回る。

 では、初日までのひと月半、どうぞよろしくお付き合いください。

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『クリエ・ミュージカル・コレクションⅢ』千穐楽

3月5日(日)

 シアタークリエで上演されていた『クリエ・ミュージカル・コレクションⅢ』が千穐楽を迎えた。

 ご観劇くださった皆さん、ありがとうございました。キャスト、オーケストラ、スタッフ、関係者の皆さん、お疲れ様でした。

 千穐楽につき、カーテン・コールではキャストの皆さんがひとりずつご挨拶。東宝演劇部のTwitterによると、その映像は後ほど公開される模様である(追記/UPされました。こちらからどうぞ。)。
 ご挨拶で、キャストの大半が『クリコレⅣ』が“あるもの”として話されていたのが何だかおかしかった。私でさえ“あるような”気がしなくもないのだが、間違いの無いように記しておくと、現時点で決まっていることは何もない。

 が、キャストの皆さんの“あって欲しい”と願う気持ちに嘘はないだろう。

 ……構成考えるか?

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