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2015年9月の記事

『TDV』通信

9月29日(火)

 歌稽古。

 ハンブルクで『ダンス オブ ヴァンパイア』が上演されていたのは、ステージ・エンタテインメント社の所有するノイエ・フローラ劇場である。当地では2003年12月16日に開幕し、2006年1月22日まで上演された。

 アメニティ・セットと一夜を過ごした翌日、2005年の5月25日の夜に、ノイエ・フローラ劇場で『ダンス オブ ヴァンパイア』を観劇した。
 ここはキャパシティ1.850名の大劇場である。客席は傾斜の付いたワン・フロアで、その収容人数でワン・フロアなので、見渡すと結構広大な印象の客席である。

 劇場窓口で名前を告げ、預けられていたチケットを引き取る。公演プログラムを購入し、チケットに刻印された席番を頼りに自席に向かう。

 事件はそこで起きた。

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『TDV』通信

9月28日(月)

 振り付け・振り起こし。

 「機内に預けたトランクが返却される場所」がバゲージ・クレームである。
 入国手続きを終え、バゲージ・クレームでトランクを待っていた私は、気が付けば最後のひとりになっていた。しかしトランクは姿を現さない。やがてターン・テーブルも回転を止めた。

 ドイツ語圏でひとり。出迎えもない。

 空港の地上係員に、恐る恐る「ロスト・バゲージである」旨を告げる。係員は宿泊先を訊ね、歯ブラシなどの入ったビジネス・クラス用のアメニティ・セットを授けてくれた。

 ハンブルク第一夜はアメニティ・セットと過ごした。心細かった。

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『TDV』通信

9月27日(日)

 歌稽古。

 ハンブルクへ旅立ったのは2004年5月24日である。

 コペンハーゲン行きのスカンジナビア航空SK984便は、定刻を10分ほど遅れて成田を飛び立った。コペンハーゲンでSK651便に乗り継ぎ、ハンブルクに着いたのは現地時間の18時半を過ぎた頃であった。

 慣れないドイツ語圏へのひとり旅である。不安が無かった、と言えば嘘になる。が、初めての土地やまだ見ぬ『ダンス オブ ヴァンパイア』への期待が不安を上回っていた。

 事件はハンブルク空港のバゲージ・クレームで起きた。

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『TDV』通信

9月26日(土)

 歌稽古。

 『ダンス オブ ヴァンパイア』を観劇するためにドイツのハンブルクに向かったのは2004年の5月のことであった。

 1997年10月4日にオープンしたウィーンの『ダンス オブ ヴァンパイア』は、2000年1月15日に幕を閉じていた。
 ウィーンの後、ドイツのシュトゥットガルトに移動した『ダンス オブ ヴァンパイア』は同年の5月31日にオープンし、2003年8月31日まで続演された。そのシュトゥットガルトに続く上演地がハンブルクであった。

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『TDV』通信

9月25日(金)

 振り付け・振り起こし。

 『吸血鬼』の脚本を書き、監督し、主演し、『ダンス オブ ヴァンパイア』初演の演出を手掛けたロマン・ポランスキーさんは、日本初演に際して公演プログラムにメッセージを寄せてくださった。

 “I’m delighted that the curse of the vampire has reached the shore of Japan...Greetings!”(ヴァンパイアの呪いがはるか日本列島まで及ぶなんて、感慨無量だ...おめでとう!)

 それから既に9年。『ダンス オブ ヴァンパイア』は再演を重ね、今回の上演で4演目となる。感慨無量である。

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『TDV』ニュース

 10月3日より日比谷シャンテにて『ダンス オブ ヴァンパイア』のパネル展が。詳細はこちらからどうぞ。

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『TDV』通信

9月24日(木)

 振り付け・振り起こし。並行して歌稽古。
 ……だが、私は『ドッグファイト』の舞台美術打ち合わせ。

 映画『吸血鬼』を初めて観たのは大学時代である。同級生だった三谷幸喜君に「とても面白いコメディ映画がある」と教えられて一緒に観た。
 後にそのミュージカル版に携わることになろうとは想像もしなかった。人生とは面白いものである。

 三谷君が『ダンス オブ ヴァンパイア』初演のプログラムに寄せてくれた文章によれば、彼は小学生の時にテレビの洋画劇場でこの映画と出会い、夢中になったらしい。
 小学生で『吸血鬼』を面白いと感じた感性に三谷君らしさを感じるが、『吸血鬼』に関しては、私より三谷君の方が遥かに強い思い入れを持っていると思う。

 三谷版の『ダンス オブ ヴァンパイア』を観てみたい、と思うのは私だけではないだろう。

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『TDV』通信

9月22日(火)

 振り付け・振り起こし。

 日本版『ダンス オブ ヴァンパイア』の初演は2006年7月2日に開幕した。

 終演後に帝劇のロビーで開かれたオープニング・パーティの席で、脚本・作詞のミヒャエル・クンツェさんはこうおっしゃった。
 「演出家と言う人々は本(脚本)が読めません。(会場内、爆笑)本の読める演出家は世界中に10人しかいません。(更に爆笑)その1人が山田さんだ。」

 もちろんこれはクンツェさん一流のジョークであるが、例えジョークであったとしても、作者から「本の読める演出家」だと言われて、私は悪い気はしなかった。

 今になって思うのは、あの言葉には「ブロードウェイ進出にまつわるあれやこれや」が込められていただろう、と言うことである。
 私たちに「台本とスコアを守って欲しい」と望んだ思いも想像に難くない。

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『TDV』通信

9月21日(月)

 歌稽古。

 仕切り直された日本版の製作に際して、「台本とスコアに関してはウィーン版に忠実に上演すること」を(ウィーン劇場協会からなのか、クンツェさん自身からなのか、あるいは双方からなのか)私たちは求められた。

 オリジナル・プロダクションの関係者たちにとってブロードウェイで体験したことは、恐らくは悪夢であったに違いない。『貴婦人の訪問』の音楽を担当したマイケル・リードさんも関係者の1人であった。
 リードさんは『ダンス オブ ヴァンパイア』でも『ダンス オブ  ヴァンパイア』でも編曲を担当されていた。『貴婦人の訪問』開幕に合わせて来日されたリードさんに伺ったところでは、それはぞっとする様な体験であったそうである。

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『TDV』通信

9月20日(日)

 振り付け・振り起こし。並行して歌稽古。

 ミンスコフ・シアターで2002年12月9日に開幕した『ダンス オブ  ヴァンパイア』は、56回の本公演の後、2003年の1月25日にクローズした。
 『ダンス オブ ヴァンパイア』ブロードウェイ進出の目論見は外れた。「最新版」の行方を見守っていた日本版の上演準備も仕切り直しとなった。

 日本版『ダンス オブ ヴァンパイア』が帝劇にお目見えしたのは2006年のことである。『モーツァルト!』日本初演から4年の月日が流れていた。

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『TDV』通信

9月19日(土)

 ダンス・ナンバーの振り付け・振り起こし。並行して歌稽古。

 日本版『ダンス オブ ヴァンパイア』の上演準備は、「最新版」となるブロードウェイ版の骨子が固まるのを睨みつつ進められていた。が、その骨子がいつまでたっても固まらない。

 『ダンス オブ ザ ヴァンパイア』は、当初2002年4月に開幕すると告知されていた。
 が、製作過程で様々なトラブルを抱え(この辺の事情はWikipediaに詳しい)、ようやくプレビューに漕ぎ着けたのが10月16日。61回に及ぶプレビューの末、ミンスコフ・シアターで開幕した時には2002年12月9日になっていた。

 日本版の準備は足踏みを余儀なくされていた。

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『ドッグファイト』公式ページがリニューアル

 ミュージカル『ドッグファイト』の公式ページがリニューアル。こちらからどうぞ。

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『TDV』通信

9月18日(金)

 本日もまた歌稽古。

 2002年当時、『ダンス オブ ヴァンパイア』はブロードウェイ入りを目指していた。

 ブロードウェイ版『ダンス オブ ザ ヴァンパイア』は、クロロック伯爵をマイケル・クロフォード(ウェストエンドとブロードウェイの『オペラ座の怪人』でファントムを演じた)が務めることで話題であった。
 演出は、2002年のトニー賞ベスト・ディレクターを『ユーリンタウン』で受賞することになるジョン・ランドー(後に『ウェディング・シンガー』『オン・ザ・タウン』などを手掛ける)である。

 台本とミュージカル・ナンバーには大幅に手が加えられ、全く新しい『ダンス オブ ザ ヴァンパイア』が生まれる……はずであった。

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『TDV』通信

9月17日(木)

 本日も歌稽古。

 『エリザベート』の日本初演は1996年。上演を手がけたのはご存知の通り宝塚歌劇団である。東宝版の『エリザベート』は2000年初演で、どちらも現在まで再演を繰り返す超ヒット作となった。
 引き続き東宝は『モーツァルト!』を2002年に上演。『エリザベート』に続いて大きな話題となり、両作に続くウィーン・ミュージカルの第3弾として『ダンス オブ ヴァンパイア』の日本上演も期待されることとなった。

 が、話はそう単純には進まなかった。

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『TDV』通信

9月15日(火)

 本日も歌稽古。

 ミュージカル『ダンス オブ ヴァンパイア』を製作したのはウィーン劇場協会である。
 ウィーン劇場協会は1992年に『エリザベート』をアン・デア・ウィーン劇場で初演した。同協会製作の『モーツァルト!』は1999年に同じアン・デア・ウィーン劇場で初演され、1997年初演の『ダンス オブ ヴァンパイア』は、なので『エリザベート』と『モーツァルト!』の間に作られた作品と言うことになる。

 脚本・歌詞を担当したのは『エリザベート』『モーツァルト!』のミヒャエル・クンツェ。音楽はアメリカのミュージシャン、ジム・スタインマン。演出は原作映画『吸血鬼』の監督、ロマン・ポランスキー本人である。

 スタインマンは、日本では映画『ストリート・オブ・ファイヤー』(1984年、ウォルター・ヒル監督)の挿入歌「今夜は青春(Tonight Is What It Means To Be Young)」で知られる(こちらからどうぞ)。
 この楽曲は、日本語の歌詞が付けられてテレビドラマ『ヤヌスの鏡』(1985~86)の主題歌としても使われた(それはこちら)。

 ご存知でしたか?

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『TDV』通信

9月14日(月)

 ダンス オブ ヴァンパイアの歌稽古が始まっている。

 『ダンス オブ ヴァンパイア』は、1997年にウィーンのライムント劇場で初演されたゴシックホラー・ミュージカルである。
 原作は1967年に公開されたコメディ映画『吸血鬼』で、監督はロマン・ポランスキー。ポランスキーは共同で脚本も書き、頼りない主人公のアルフレート役も演じている。

 『吸血鬼』は映画史に残る傑作……ではないかも知れないが、現在でも日本語字幕入りのDVDが(『ロマン・ポランスキーの吸血鬼』のタイトルで)入手可能である。
 1960年代後半の映画らしい、ちょっとひねりの利いた不思議な味わいのコメディであるが、今ではカルト・ムービーとしての価値があるだろう。

 現在の映画を観慣れた目にはどう感じられるのだろう?

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『貴婦人の訪問』2015 大千穐楽

9月13日(日)

 名古屋、中日劇場へ。

 7月27日にシアター1010でプレビューの幕を開けたミュージカル『貴婦人の訪問~THE VISIT~』が、本日ついに大千穐楽。

 中日劇場は、20代の頃には毎年の様にお邪魔していた劇場である。演出家になる以前、まだ演出部だった頃の話であるが、今日もその当時にご一緒したスタッフの何人かがお声を掛けてくださった。とても懐かしく、とても嬉しかった。
 今日は1階席の後方で観劇した。この劇場は『貴婦人の訪問』にはやや広すぎるのでは、と想像していたのだが、そういう風にはまったく感じなかった。
 「シアタークリエで観る良さ」と言うものがあり、「中日劇場ならではの良さ」と言うものもある。『貴婦人の訪問』は、その両者に耐える力を持った作品なのだと思う。

 カーテン・コールは幾度となく繰り返された。カーテン・コールの終了後、幕を下ろした舞台にて、全行程を無事に終えたことを祝って、山口祐一郎さんの音頭で三本締め。降ろされた幕越しに、客席からも手を締める音が聞こえた。

 カーテン・コールのご挨拶で、涼風さんが「来年の再演までモチベーションを保ち続けたい」と言う様なことをおっしゃった。私もその様にしてその時を迎えたい。

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『貴婦人の訪問』東京千穐楽 そしてご報告

8月31日(月)

 8月13日(木)に開幕した『貴婦人の訪問』のシアタークリエでの公演が千穐楽。

 ご来場くださった皆さん、ありがとうございました。キャスト&スタッフ、そして関係者の皆さん、お疲れ様でした。
 クリエ千穐楽につき、カーテン・コールではキャストの皆さんがご挨拶。中山さん、今さん、石川さん、今井さん、春野さん、涼風さんと回り、最後は山口さん。

 ご挨拶の中で山口さんから『貴婦人の訪問』の再演が決まったことが報告された。時期は「来年の秋」。詳細は続報をお待ちいただきたい。

 それはともかく、今年の『貴婦人の訪問』は、この後まだ福岡・キャナルシティ劇場と名古屋・中日劇場での公演が残っている。

 来年まで待ちきれない方は、どうぞ福岡へ! 名古屋へ!

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