『ラ・カージュ・オ・フォール』通信
1月17日(土)
『モーツァルト!』を終えて市村正親さんが帰っていらした。で、今日は1幕を稽古。
稽古開始から既にひと月半経過した『ラ・カージュ・オ・フォール』であるが、やはり市村さんがいらっしゃるのとそうでないのとでは、稽古場の熱量が違う。
今までだって真剣、かつ誠実に稽古を重ねて来たのだから、キャストひとりひとりの表現が今日から突然変わった訳ではない。では何が稽古場の熱量を押し上げているのか、と言えば、それは稽古を見ている側の「気持ち」なのではないか、と思う。
『ラ・カージュ・オ・フォール』の稽古場では、稽古中に時々不思議な感覚に陥ることがある。
稽古中の私は、普段は「半分は観客」で、「残り半分は芝居作り職人」と言った意識で稽古に臨んでいる。が、『ラ・カージュ・オ・フォール』の稽古場では、それ以外の、第3の状態になる瞬間があるのである。
「観客」であることも「芝居作り職人」であることも忘れて、目の前で繰り広げられているシーンにただただ見とれてしまう、そんな瞬間である。その瞬間には様々な思いが去来する。過去の記憶であったり、思いがけない感情であったり、その時々で異なるのだが、その瞬間には「稽古中であること」も「職業意識」も雲散霧消してしまう。
恐らく、稽古を見ているキャスト&スタッフのひとりひとりにも、そんな瞬間があるのではないか、と私は想像する。そしてそんな瞬間に遭遇したひとりひとりの「気持ち」の在り様が、稽古場の「熱量」の正体なのではないかと思う。
『ラ・カージュ・オ・フォール』が特別な作品であるとすれば、カンパニーのひとりひとりにそう言う瞬間が訪れるからかも知れない。
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