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2014年6月の記事

『王様と私』通信

6月29日(日)

 子供たちと大人たちの合流、2日目。

 昨日と今日で、子供たちが登場する全場面をあたった。
 子供たちは集中が切れるのも早いが、飲み込みも早い。なので、長時間の稽古では能率が落ちることもあるが、そうさえならなければ、子供たちの進歩に日々目を見張らされることになる。
 稽古の後はカーテン・コールの段取り。これで、やっておかなければならないメニューは全て消化した。通し稽古の態勢は整った。

 さて。

 稽古場も残すところ2日。そんなタイミングで、何と稽古場の引っ越しである。
 と言っても、同じ建物の2階から地下のスタジオに移動するだけなのだが、そうは言っても引っ越しは引っ越しである。演出部の皆さんは、稽古場に組まれた道具をバラし、運び、また組み立てなければならないし、音響チームは、稽古場に広げられた音響システム一式を撤収し、運搬し、再度結線しなければならない。
 手間暇かけて貼られた床面のバミリ・テーブ(キャストの立ち位置や大道具、小道具の置き場所を示す、床面に貼られたビニール・テープ製の印)もイチから貼り直しである。

 と言う訳で、明日、明後日は通し稽古。

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斎藤晴彦さんのこと

 斎藤晴彦さんが亡くなった。突然のことであったらしい。倒れられた前日も、普段と変わらず稽古に参加されていたと言う。

 斎藤晴彦さんとご一緒したのは『南太平洋』であった。1999年の上演なので、もう15年も経つのだが、斎藤さんは、第二次大戦中の南太平洋に駐屯するアメリカ軍の指揮官、ジョージ・ブラケット大佐を演じてくださった。

 斎藤さんの演技は独特だった。自然と言えばとても自然だし、演じていると言えばどう見ても演じている。その両方が不思議と違和感なく同居している。そんな演技をされた。
 その結果、斎藤さんが演じるキャラクターはユニークで、ユーモラスで、誰にも出せない説得力を備えることになった。
 叩き上げの軍人であろうブラケット大佐も、或いは『レ・ミゼラブル』のテナルディエも、決して知的な人物ではない筈なのに、斎藤さんはそんなキャラクターを知的なアプローチで演じて、斎藤さんにしかなしえないやり方で人物を造形した。

 ホーム・グラウンドであった劇団黒テントでの活動から、髙平哲郎さんとのヴォードヴィル的なショーまで、活躍されたフィールドも内容も実に多様、多彩であった。その全てが、斎藤さんの中では何の疑問もなく繋がっていたのだと思う。

 それにしても晴彦さん。早過ぎますよ。

 合掌。

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『王様と私』通信

6月28日(土)

 子供たちと大人たちが合流。

 子供たちは毎週末、ひと月に渡って稽古を重ねて来た。ただし、今までは王様やアンナ先生などはアンサンブルさんが務めてくれていた。今日からは、本物の王様や本物のアンナ先生と一緒に稽古である。
 松平さんや紫吹さんと稽古することは、子供たちにとっては結構緊張するものだったらしい。今までの稽古でとても元気で溌剌としていた子供たちが、今日はちょっと「借りてきた猫」の様であった。

 確かに、頭を剃り上げた精悍な松平さんが目と鼻の先にいらして、こっちを睨んでいる状況で、それを「気にするな」と言われても、そうできる方が不思議だろう。
 しかし、それは最初だけのことで、やがていつもと変わらぬ子供たちに戻った。普段とのちょっとした違いにも敏感な感受性を持っていて、同時に、そんな違和感をあっという間に乗り越える順応性をも、子供たちは合わせ持っている。なんとも羨ましい。

 稽古後は子供たちのヘアのレッスン。レッスンをしてくださるのは石渡英男さんである。子供たちの、と言うことは、全行程におつきあいくださる保護者の皆さんも、と言うことでもある。
 お世話になります。

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『王様と私』通信

6月27日(金)

 2幕をおさらい。

 今朝のNHK『あさイチ』はご覧いただけたであろうか?
 松平さんの来し方が丁寧に紹介されていて、大変充実した内容だったと思う。『王様と私』も、昨年の舞台映像や、先日このブログでも触れた稽古場の様子などが紹介され、大変ありがたい。
 『あさイチ』に生出演された後、稽古場に入られた松平さんは、なんと剃髪を済ましていらっしゃった。『あさイチ』の時点では確かにあった頭髪が、見事に無くなっているのである。ブロードウェイの初演(と映画版)で王様を演じたユル・ブリンナー同様、頭を丸めた精悍な王様である。

 ユル・ブリンナーと言えば「剃り上げた頭」がトレード・マークであるが、ブリンナーに頭を剃る様に進言したのは、『王様と私』初演時の衣裳デザイナーであったアイリーン・シャラフだったと言う。以後、剃り上げた頭はブリンナーのトレード・マークとなった。
 王様を生涯の当たり役としたブリンナーは、『王様と私』を離れてもその頭で通した。そして、生涯で4633回、王様を演じたそうである。晩年、自らが癌に侵されたことを知った後も王様役でブロードウェイの舞台に立ち、1985年に亡くなった。

 さて。

 明日、明後日は、子供たちと大人たちの合流。通し稽古も目前に迫った。

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『王様と私』通信

6月25日(水)

 2幕5場、6場を稽古。

 『王様と私』に登場する子供たちの中で年齢が最も上なのは、シャムの皇太子であるチュラロンコンと、アンナの1人息子のルイスである。2人は、その他の子供たちと比べると出番も多いし台詞も多い。
 今年、ダブル・キャストでチュラロンコンを演じているのは渋谷龍生くんと渋谷樹生くん、ルイスは河崎修吾くんと柴入拓矢君である。

 チュラロンコンもルイスも、当たり前だが男の子である。が、昨年も、一昨年も、2人を男子だけでキャスティングすることができなかった。オーディションでチュラロンコンやルイスに相応しい男子と巡り合えなかったからである。
 が、今年は、3年目にして初めて、全員男子でチュラロンコンとルイスのキャスティングをすることができた。

 子供たちが登場する舞台で、男の子の役を女子が演じることはそれほど珍しいことではない。舞台を目指す子供たちの男女比を比べてみると、女子が圧倒的に多いからであるが……。

 男子の層が厚くなってきたのかな?

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『王様と私』通信

6月24日(火)

 2幕2場、3場を稽古。

 2幕の3場は、丸々が劇中劇「トーマスおじさんの小さな家」の場面である。「トーマスおじさん……」の事は、もう6月9日のブログに書いてしまったなあ……。

 えーと……。

 2幕2場にはミュージカル・ナンバー「I Have Dreamed」がある。これはタプチム(はいだしょうこさん)とルン・タ(石井一彰さん)による2つ目のデュエットである。
 1つ目は1幕で歌われる「Kiss in the Shadow」であるが、「Kiss in the Shadow」が2人の「人目を忍ばなければならない恋」の哀しさ、切なさを歌ったナンバーであるのに対して、「I Have Dreamed」は前向きに2人の未来を歌った、希望溢れるナンバーとなっている。
 2曲とも今では作品から独り立ちして、スタンダード・ナンバーとなっている。様々なシンガーやミュージシャンが取り上げているので、それらを探して聴き比べてみるのも楽しいだろう。

 稽古の後、女性アンサンブルの皆さんのメイクアップ・レッスン。メイク・アップ指導は青木満寿子さんである。
 女性アンサンブルの皆さんは、シャムのお妃たち、庶民、そして「トーマスおじさん……」のキャスト、などを演じるのだが、褐色あり、白塗りあり……なので、公演中にメイク替えをしなければならない。これは結構大変な作業である。

 男性にはちょっと実感しづらい話だが。

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『王様と私』通信

6が23日(月)

 2幕1場、4場を稽古。

 稽古は快調、且つ悠然としたペースで進んでいる。
 主要キャストの全員が2年目、或いは3年目なので、芝居の手順をイチから段取る必要もないし、それぞれの気持ちの流れも出来上がっているからである。その分大変なのは、今年が初参加になるアンサンブルさんの何人かであろう。彼ら、彼女たちにとっては稽古時間がやや少ないことは否めない。

 以前にも触れたが、前回の記憶が鮮明な内に再演が行われるのは、キャストやスタッフにとっては大変有益なことである。日本の演劇界には「トライアウト」や「プレビュー」と言った、作品を練り上げるためのシステムが存在しないので、この「再演を繰り返す」ことがその代わりとなるからである。

 そうして練り上げられた『王様と私』も、今回の上演で一区切り。まだ『王様と私』をご覧になっていらっしゃらない方には、今回のご観劇を強くお勧めする次第である。

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深町幸男さんのこと

 深町幸男さんが亡くなった。

 深町さんは、昭和の頃のNHKを代表するディレクターであった。代表作は『夢千代日記』『あ・うん』『事件』など、枚挙にいとまが無い。NHKを退職された後も引き続きテレビで、加えて映画や舞台でも演出活動を続けられていた。

 私は、深町さんが東宝で演出された2本の舞台に演出部のひとりとして付いた。1987年に東京宝塚劇場と御園座で上演された『螢』と、翌年に東京宝塚劇場で上演された『夢見通りの人びと』である。
 主演は共に森繁久彌さんで、やはりNHKで美術デザインをされていた川口直次さんによる巨大な舞台美術に難儀したことも思い出深い。
 稽古場での深町監督は、額に巻いたバンダナがトレード・マークであった。で、演出補の井上思(おもう)さん以下、私たち演出部も、監督に倣ってバンダナを巻いて気勢を上げた。

 その後は仕事でご一緒する機会は無かった。が、私が演出した『マディソン郡の橋』(1998年)をご覧になって、直々にお電話をくださったり、2012年に日大芸術学部の実習発表で『ゼブラ』を取り上げた時、「監督の教え子が出ている」ということで、わざわざ江古田までお運びくださったりした。
 その時、東宝での仕事以来四半世紀の時を経て、お目に掛かってお話をさせていただくことができた。それが監督との最後となった。往時と何も変わらない、気さくで情熱家の監督のままであった。

 ご冥福をお祈りいたします。

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『王様と私』通信

6月22日(日)

 今日も子供たちの稽古デー。

 誰かの弱点のことを、その人の「アキレス腱」と呼ぶことがある。
 ギリシャ神話に登場する英雄アキレウスは、その弱点が足首の後ろ側の部分だった。アキレウスは不死身の肉体を持っていたのだが、ただ一か所の弱点、足首の後ろ側を弓で射られて命を落とした。そのことから、足首の後ろ側の部位を「アキレス腱」と呼ぶ様になったのだ、とWikipediaには記されている。

 演出補の落石さんのアキレス腱はアキレス腱である。
 落石さんは先日アキレス腱を断裂した。よく「アキレス腱が切れる時にはぷちっと言う音がする」という話を聞くが、本当にするのだそうだ。現在は無事に手術も終わり、日常生活に大きな支障はなさそうであるが、なので落石さんは今、アキレス腱がアキレス腱なのである。
 「切るとは思わなかったですねえ、本当に。山田さんもお気を付けください」と、このブログを書いている私の隣で落石さんも言っている。

 今日の東京地方は朝から雨が降ったり止んだりする、湿度の高い鬱陶しい1日であった。こんな日にはアキレス腱のセンサーが働くのだそうである。「古傷が疼く」ことで天気の先行きが分かる、という話をよく聞くが、これも本当らしい。

 稽古の先行きも予測できたりはしないのだろうか、落石さん?

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『王様と私』通信

6月21日(土)

 子供たちの稽古デー。

 今日、明日は子供たちの稽古日であるが、昨日はウィーク・デーだったので、子供たちの代わりに「大人子供」が活躍した(大人子供について記した日記はこちら)。
 昨日の稽古場にNHKさんの『あさイチ』のカメラが入ったことは既に触れたが、もし『あさイチ』の中で稽古風景が流れることがあれば、そこに「大人子供」の活躍ぶりが含まれている可能性もある、と言うことである。

 昨日の稽古メニューは1幕だったので、可能性があるのは「子供たちの登場」や「Getting to Know You」などの子供たちであるが、もし「大人子供」が全く映っていなかったとしたら、それはやはり「放送しない方がいいかも」と言う『あさイチ』サイドの判断が働いた、と言うことではないかと想像する。
 果たして、大人子供は番組に登場するのか。

 放送日が待ち遠しい(色々な意味で)

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『ファースト・デート』続報

 ミュージカルコメディファースト・デート』の続報が。こちらからどうぞ。

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『王様と私』通信

6月20日(金)

 1幕をおさらい。

 稽古場に取材のカメラが入る。
 NHKさんの『あさイチ』のカメラで、番組内の「プレミアム・トーク」のコーナーに松平健さんがご出演の予定なのである。『王様と私』の稽古の様子や、松平さんについての××さんと×××さんのコメント(これ、かなり面白い、と私は思う)などが収められた。それぞれ、番組の中で紹介されることになるのだろうと思われる。

 放送予定は(何しろ生放送なので)6月27日(金)で、連続テレビ小説『花子とアン』に続いて、8時15分からNHKの総合テレビにて、である。

 お楽しみに。

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『王様と私』通信

6月19日(水)

 1幕5場、6場を稽古。

 私の苦境を見かねて、演出補の落石さんがブログのネタになりそうな話題を色々と考えてくれる。のみならず、振付助手の日比野さんも引き込んで、2人で色々なネタを提案してくれる。
 ネタは自然と過去(去年&一昨年)の「旅先での話」になり、芝居の巡業中にありがちな、愉快ではあるがちょっと公けにはし難いエピソードが次から次へと掘り起こされた。

 私たちの仕事では、初日が開いてから先がやはり楽しい。芝居を作っている時ももちろん楽しいのだが、開幕した後は、仕事の前後の時間帯がまた楽しいのである。
 特に旅(ツアー)のある公演では、交通機関や飲食や宿泊や観光などなど、劇場の外でも忘れることのできないエピソードに事欠かない。

 ……でも、それ、ここに書けないじゃん!

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『王様と私』通信

6月17日(火)

 1幕3場、4場を稽古。

 今日も稽古は順調にサクサクと進んだ。なので、今日も(昨日も)日が暮れる前に全体の稽古は終了した。
 全体の稽古は終わっている訳なので、誰であろうと稽古場を出て帰宅してくれて一向に構わないのだが、毎日必ず、誰かが「自主稽古をしたい」と申告して来る。で、申告通りに自主稽古が繰り広げられることになる。

 振りの確認であったり、歌のおさらいであったり、翌日の場面の予習であったり……、自主稽古のメニューは様々であるが、その自主稽古のお蔭でオフィシャルの稽古は一層サクサク進むことになる。
 そして、そんなに早い時刻に終わってしまうのなら……、と、また誰かが自主稽古の申告にやって来る。

 悪循環なのか? それとも好循環なのか?

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『王様と私』通信

6月16日(月)

 1幕1場、2場を稽古。

 3年目の今年は、主要なキャストは全員が続投である。なので、稽古もサクサクと、とても手際良く進む。
 毎年毎年、と言う上演のサイクルが、カンパニーにはとても良い方向に作用している。キャストにもスタッフにも、「コツ」とか「「ノウハウ」とか「そんな風にやっていた」などと言ったものが遺っていて、皆がそれを利用して合理的に役割を果たしている、と言った感じである。

 昨日辺りからブログに書くことを思いつかない。

 ブログネタ募集中です。(結構マジで!) 

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『王様と私』通信

6月15日(日)

 今日も子供の稽古デー。昨日と同じ1幕4場を稽古。

 1幕4場は、子供たちが舞台上にいる滞空時間が長い。出番が多い、と言うことであるが、なので、昨日に続いて今日もこの場面。
 演出補の落石さんと振付助手の日比野さんが、お芝居やステージングの手順、その時々の気持ち……などを子供たちに手取り足取り、懇切丁寧に渡して行く。大人子供のアンサンブルさんたちも、付きっきりでその作業に付き合ってくれている。

 子供たち自身も、とても熱心に稽古に参加してくれている。前日までに渡された夥しい約束事も、翌日には確実に覚えて来てくれている。頼もしい子供たちである。

 明日は1幕前半の立ち稽古。冒頭をほんのちょっと手直しするつもり。

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平野忠彦さん

 平野忠彦さんの訃報に接した。

 平野さんとご一緒したのは、2005年にオーチャードホールで上演された二期会のオペレッタ『メリー・ウィドー』であった。平野さんは、ポンテヴェドロ国(架空の国です)のフランス公使、ミルコ・ツェータ男爵を演じた。
 平野さんは、とにかく大らかな方だった。舞台に登場すると、四辺がそれこそ花が咲いた様に明るくなった。稽古場での覚えは決して褒められた方ではなかったかもしれないが、陽気で無邪気、そして洒脱、実にチャーミングな方であった。

 ミュージカル『アニー』で、ウォーバックス氏を演じられるのを拝見したことがあった。平野さんご自身の大らかさが、『アニー』で描かれているアメリカの楽天性と重なって、絶妙なウォーバックス氏であったことを思い出す。
 週刊誌を賑わす様なこともあったが、それもあって、まだまだお元気でいらっしゃると思い込んでいた。

 ご冥福をお祈りいたします。

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『王様と私』通信

6月14日(土)

 子供たちの稽古デー。1幕4場=アンナ先生の「教室」の場面を稽古。

 1860年代の初め。英国夫人アンナ・レオノーエンズは、シャム(現在のタイ)王室より子供たちの教育係として招聘された。王室の子供たちに西欧流の教育を受けさせよう、とシャムの国王が考えたためである。
 しかしシャムの伝統的な文化と、アンナが持ち込んだ西欧流の価値観とは水と油であった。王様とアンナは事ある毎に、ことごとく衝突する。

 異なる価値観。対立する人々。これらは長年に渡ってミュージカルの主要な題材のひとつであった。『ミー&マイガール』『ラ・カージュ・オ・フォール』などは、それらを題材としたミュージカルの代表的な作品だろう。
 『王様と私』もそんな作品群の1本である。誕生から既に60年を超え、今では古典と呼んでも差し支えないミュージカルだが、観る人の心に訴えかける力は今日でも失われてはいない。

 ロジャース&ハマースタインの作品には「異なる価値観、対立する人々、それを克服する勇気」などが描かれた作品が少なくない。『サウンド・オブ・ミュージック』『南太平洋』などもそれに連なる作品である。
 その系譜に新たに加わったミュージカルが、現在帝劇で上演中の『シスター・アクト』である。『シスター・アクト』でも、描かれるのは「異なる価値観による対立とその克服」である。

 これらの作品の中では、「もはや修復不可能」と思われた対立が、物語の終わりでは奇跡の様に解消される。もちろん、現実社会では事はそう簡単ではないだろう。ミュージカルの中のハッピー・エンドは確かに綺麗ごとかもしれない。
 しかし、「劇場が社会に対して果たすべき役割」があるとすれば、それは「人間も社会も、今より良くなることができる」と示し続けることではないだろうか。たとえそれが「綺麗ごとだ」と受け取られたとしても。

 子供たちの「Getting To Know You」を見ながら、そんなことを考えていました。

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『王様と私』通信

6月13日(金)

 顔寄せ。キャストとスタッフ、そして関係者の皆さんが集まった。

 顔寄せと言えば「挨拶」である。
 『王様と私』の顔寄せでは、過去2年間、挨拶に良い思い出がない(1年目、2年目の顔寄せを記したブログはこちらこちら)。今年も顔寄せ開始間際になって酒井プロデューサーが近づいていらして、私の耳元で「一言お願いします。」とおっしゃった。「面白い奴をね。」と付け加えることをお忘れにならなかったことは言うまでもない。
 私の挨拶の順番はあっという間に回って来た。で、挨拶の冒頭で「今年も面白い挨拶は用意できませんでした」と真っ先に謝罪した。せめてもの慰めは、「4年目は無い」と言うことである。
 
 顔寄せの後は読み合わせ。

 幕開きからラストシーンまで、ミュージカル・ナンバーも割愛せずに読み合わせ。
 さすがに3年目である。スタッフ席から「もう明日初日でも大丈夫なのでは」と言う、いささか無責任な感想も飛び出すくらいの、大変充実した読み合わせであった。
 とは言え、明日初日はさすがに無理だと思うので、明日以降もコツコツと稽古を重ねたいと思う。

 明日、明後日は子供たちの稽古デー。大人子供の皆さん、どうぞよろしく。

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『イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー』通信

6月11日(水)

 今日も『イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー』のスチール撮りへ。

 昨日と今日で、キャスト全員の撮影を無事に終えた。以前ご一緒した方もいらっしゃるし、はじめましての方もいらっしゃる。
 以前ご一緒したことがあるのは錦織一清さん(『チャーリー・ガール』)、はしのえみさん(『エキストラ』)、瀬戸カトリーヌさん(『ザ・ヒットパレード』)、池谷のぶえさん(『風と共に去りぬ』)、福本伸一さん(『フラ・ガール』)、俵木藤汰さん(『クールの誕生』)、土屋祐一さん(『ハゲレット』)、そして綾田俊樹さん(『竜馬の妻とその夫と愛人』)で、初めましては塚田僚一さん、酒井敏也さん、そして竹内都子さんである。

 綾田俊樹さんが10年前の『イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー』から唯一続投されていることには昨日も触れた。
 綾田さんは、この作品以外にもレイ・クーニー作品に数多くかかわっていらっしゃった(レイ・クーニーの息子、マイケル・クーニーの作品までも)。ある時はキャストとして、またある時は演出家として。
 そもそも『イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー』日本初演(その時の邦題は『パパ・アイ・ラヴ・ユー』)の演出家は綾田さんでいらっしゃったのだ。

 昨日、今日で皆さんの様々な表情に触れることができたことが、私にとっては大きな収穫であった。とりわけ大きかったのは、この物語の中で誰よりも気の毒な目に会うことになる医師・ヒューバートを演じる酒井敏也さんの表情が、ネット上で見つけたレイ・クーニー(作者であるだけでなく、キャストとして酒井さんと同じ役をウェストエンドで演じた)のそれとそっくりであったことである。

 その写真はこちら(上の写真が特にそっくり)。

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『イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー』通信

6月10日(火)

 都内、某スタジオへ。イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー~パパと呼ばないで~のチラシ、プログラム用スチール撮影。

 『イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー』は、イギリスのコメディ作家(そしてコメディアンでもある)レイ・クーニーの大爆笑ドタバタ・シチュエーション・コメディである。
 クーニー最大のヒット作は『ラン・フォー・ユア・ワイフ』(1983年初演)で、ロンドンのウェストエンドで9年に渡って続演された。日本でも繰り返し上演されているので、ご覧になった方もいらっしゃるに違いない。2012年にはイギリスで映画化もされたが、これは稀に見る様な大失敗作であったらしい。

 『イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー』は1987年の初演で、日本でも過去に様々な団体が取り上げている人気作品である。
 日本初演は1994年。加藤健一事務所によって行われ、その時の邦題は『パパ・アイ・ラヴ・ユー』とされていた。“It Runs in the Family”と言う原題名が日本語になり難いからであろうが、当時出版されていたレイ・クーニーの戯曲集にも『パパ・アイ・ラヴ・ユー』のタイトルで収録されていた。

 私も2004年にこのコメディを演出する機会を頂いた。今回の上演は、その時と同じPARCO劇場のプロデュースであるが、そのヴァージョンの再演ではなく、キャストを一新したニュー・プロダクションである。
 「一新した」と記したが、1人だけ10年前と同じ役を演じてくださるキャストがいらっしゃる。綾田俊樹さんである。(明日に続く)

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『王様と私』通信

6月9日(月)

 ミュージカル・ナンバー「トーマスおじさんの小さな家」の固め。

 「トーマスおじさんの小さな家」は、『王様と私』の2幕で登場する劇中劇である。
 19世紀アメリカの女性作家、ハリエット・ピーチャー・ストウの小説に感銘を受けたタプチムが自ら脚色を施した、と言う設定の舞踊劇(バレエ)で、タプチム自らも語り部として出演している。原作の小説は『アンクル・トムの小屋』の題名で馴染み深いだろう。
 『王様と私』の初演でこのナンバーをクリエイトしたのは、『屋根の上のヴァイオリン弾き』や『ウェストサイド物語』を手懸けた演出家・振付家のジェローム・ロビンズである。

 ジェローム・ロビンズは、ブロードウェイ・ミュージカルとバレエの2ジャンルにその足跡を残す巨人である。
 ブロードウェイでの代表作には、上記の他にも『オン・ザ・タウン』『ピーター・パン』『ジプシー』などがあるが、『屋根の上のヴァイオリン弾き』(1964年)を最後にミュージカルを離れ、バレエの仕事に軸足を移した。

 1989年にはロビンズがクリエイトしたミュージカル・ナンバーを集めたアンソロジー『ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ』が作られ、ブロードウェイのインペリアル・シアターで上演された(ボブ・フォッシー作品を集めた『Fosse』タイプのミュージカル・ショーであった)。
 『ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ』で取り上げられたのは、『ハイ・ボタン・シューズ』『オン・ザ・タウン』『ミリオンダラー・ベイビー』『ローマで起こった奇妙な出来事』『ウエストサイド物語』『ジプシー』『ミス・リバティ』『屋根の上のヴァイオリン弾き』などの名場面であるが、『王様と私』からも「Shall We Dance?」と「The Small House of Uncle Thomas(トーマスおじさんの小さな家)」が選ばれていた。
 1991年には来日公演も行われたので、ご記憶の方もいらっしゃるだろう。

 明日、明後日は歌稽古。私はちょっと別件へ。

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『王様と私』通信

6月8日(日)

 昨日に続いて子供たちの稽古デー。

  今日のメニューはミュージカル・ナンバー「Getting to Kow You」のステージング。
  「Getting to Kow You」のメロディが『王様と私』のために書かれたものではなかったことは、2012年の時に触れた(そのブログはこちら)。

 新しいミュージカルが製作される過程では、多くの書き直しが行われるのが常である。
 台本が書き直され、登場人物が追加されたり削除されたり、出来事の順序が入れ替えられたり、出来事そのものが差し替えられたり、また、それらによってミュージカル・ナンバーの入る場所が変わったり、内容や曲想が変わったり、ナンバーそのものが削られたり、書き加えられたり……も起こるだろう。
 ウィキペディアなどによると、『王様と私』の製作過程でも、その様な変更、修正が頻繁にあったらしい。

 ロジャースとハマースタインは、幾つかのナンバーをカットした時点で「1幕に何かが欠けている」様に感じられてならなかった。『王様と私』の初演でアンナ先生を演じたガートルード・ローレンスは、2人に「アンナ先生と子供たちのナンバー」を書く様に助言した。
 『南太平洋』(や、後に『サウンド・オブ・ミュージック』)でロジャース&ハマースタイン作品のヒロインを演じたメリー・マーティンが、以前『南太平洋』のために書かれたが使用されなかった楽曲「Suddenly Lovely」のことをロジャースとハマースタインに思い出させ、そのメロディにハマースタインが新たに詩を書いて「Getting to Know You」が誕生したのだそうだ。

 明日は「トーマスおじさんの小さな家」。

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『王様と私』通信

6月7日(土)

 子供たちの稽古デー。

 『王様と私』は全部で13場面。子供たちはその内の7場面に登場する。半分以上の場面に登場し、歌ったり、走ったり、笑ったり、騒いだり、怒ったり、怒られたり……する訳である。
 昨日のブログでも触れた通り、今日はアンサンブルさんたち(大人子供)の助けを借りての稽古。ストレッチや発声など、ウォーミング・アップを入念に行った後、まずは子供たちの一番の見せ場である「王子たちと王女たちが登場する場面」を稽古した。

 この場面での子供たちは、登場する時間こそ長くはないが、ひとりひとりに細かい約束事があり、それを音楽のカウントに合わせて行う必要があるので、それを覚えるだけでもなかなか大変である。
 それぞれの手順をひと通り渡し、何回か音楽に合わせてさらって、今日の所はこの場面の稽古は終了。続いて、幾つかあるミュージカル・ナンバーの歌をおさらい。

 今年の子供たちは、去年、一昨年の子供たちに負けず劣らず元気で、個性的で、熱心で、ちょっと飽きっぽい。だが、それも無理はないだろう。最年少は6歳さんなのだから。

 明日も子供たちの稽古。

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『王様と私』通信

6月6日(金)

 『王様と私』は、大勢の子供たちが大活躍するミュージカルである。

 子供たちの稽古は、原則として土曜日と日曜日で行っている。今週で言えば明日と明後日であるが、子供たちの稽古に先立って、今日は「大人の子供」の稽古。

 子供のキャストは、チュラロンコンとルイスを含めて10名。全員がダブル・キャストなので、稽古場には20名の子供たちがひしめいている。
 20名のひとりひとりに順番に芝居の段取りを渡していたのでは、稽古時間は幾らあっても足りなくなる。なので、子供と同人数のアンサンブルさんたち(つまり10名)が子供の役を分担して受け持ち、芝居の段取りや振り付けを覚えて、子供たちに付き添ってそれを教える、と言うシステムを採っている。
 で、今日はそのアンサンブルさんたち(大人の子供)に「子供の芝居や振り付けを覚えてもらうデー」であった。

 大人の子供たちが活躍するのは、子供たちの稽古の時だけではない。本当の子供たちが参加しない月曜日~金曜日の稽古では、子供たちの稽古場代役として登場することにもなるからである。
 例年このスタイルでやって来ているので、我々はもう慣れっこになっていて何とも思わないが、大人のキャストに交じって「大人の子供」が無邪気に歌い、踊り、演じている光景は、初めて見る人にはちょっとしたカルチャー・ショックかも知れない。

 明日は「本当の子供たち」と「大人の子供たち」(通称「大人子供」)が合流。

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『王様と私』通信

6月5日(木)

 王様と私』の稽古が始まっている。

 ブロードウェイ・ミュージカル『王様と私』は、ミュージカル史上最も成功したチームであるリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン2世の2人が1951年に発表した大ヒットミュージカルである。
 ハリウッドでウォルター・ラング監督の手で映画化されたのは1956年。そして、日本での翻訳上演の初演は1965年である。以来50年近く、『王様と私』は繰り返し上演され、愛され続けて来た。
 その最新ヴァージョンが昨年、一昨年の夏に各地を巡業した『王様と私』で、今回はその3年目である。

 ここまでの文章は、昨年の『王様と私』通信(6月17日付)に記した文章を丸ごと書き写し、最後の部分にちょっぴり加筆したものである(その日記はこちら)。さすがに3年目ともなると、ブログに書きたいことはほとんど書き尽くしてしまっていて、何を書いていいのか、もはや何も思いつかない。
 これからひと月、毎日何を書いて行けばいいのだろう。それを考えると気が遠くなりそうである。

 それはともかく、チラシや公式ページをご覧いただくと、上部に「全国ツアー3年間の集大成! どうぞお見逃しなく!!」と記されていることに気が付かれるであろう。
 これは、「上演成果の向上」のことのみを謳っているのではない。それもあるが、それに加えて「このヴァージョンの『王様と私』は今回で見納めになる」ことをも告知しているのである。

 つまり、そういうことである。私たちの『王様と私』は、今年がファイナルなのである。なので、「もう一度見たい」と言う方も「今まで見逃していた」と言う方も、今年は本当にお見逃しの無い様に。

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『シスター・アクト』通信 ダブル・キャスト初日

6月2日(月)

 瀬奈さんと吉原さんの初日。

 今日も定刻(18時)通り、マエストロのエネルギッシュなカウントとともに『シスター・アクト』は始まった。場内は昨日と同様に大きく沸き、時に手拍子も起こり、カーテン・コールの最後にはスタンディング・オベーションとなった(カーテン・コールの映像はこちらから)。
 何度も舞台に呼び戻された後、ようやく袖に戻っていらした瀬奈さんは、つくづくと「楽しかった!」とおっしゃった。昨日に続きご観劇くださったシルバーマンさん、小熊さんからも、労いのお言葉を頂戴した。

 瀬奈さんのデロリス、森さんのデロリスはずいぶんと違う。大澄さんと吉原さんも然りである。私たちの『シスター・アクト』では、「みんなちがって、みんないい」のである。

 これで『シスター・アクト』通信はおしまいである。ご愛読、ありがとうございました。次は『王様と私』通信。数日後には始まります。

 ミュージカル『シスター・アクト~天使にラブ・ソングを~』は、東京・帝国劇場で7月8日まで上演中。その後、神奈川、岩手、仙台、大阪、名古屋へ参ります。

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初日 『シスター・アクト』通信

6月1日(日)

 初日。

 この規模の新作ミュージカルとしては稀に見る、大変落ち着いて迎える初日であった。ゲネプロは既に昨日済ませているし、全体としての公式行事は開演2時間前の初日のお祓いからであった。

 定刻の17時。オーケストラのチューニングとともに場内が暗くなる。塩田マエストロ入魂のタクトが振り下ろされ、私たちの『シスター・アクト』は始まった。
 大変素敵な初日であったと思う。ご覧いただいた方の感想などをTwitterなどで拝見しても、客席最後尾で固唾を飲んでいた私たちの感想と大きな誤差は無い様に思う。暖かくご覧くださったお客様に感謝したい。

 そしてカーテン・コール。興奮と感動に包まれたその様子が早くもUPされている。ご興味のある方はこちらからどうぞ。

 終演後、オリジナル・プロダクションを製作したステージ・エンターテインメント社のアダム・シルバーマンさん(バズ・ラーマン演出の『ラ・ボエーム』や『ゴースト』『スパイダーマン』のプロデューサーでもいらっしゃる)ご夫妻、プロダクション・コーディネーターの小熊さん、そして東宝のプロデュース・チームの皆さんと祝杯を挙げる。
 いつものことながら、海外からいらした演劇関係者の皆さんは、日本の「劇場入りしてから初日が開くまで」の期日の短さに目を丸くされる。シルバーマンさんも例外ではなく、「そんなに短期間で開けられるなら、このチームをブロードウェイに連れていきたい」とおっしゃっていた。
 ブロードウェイに連れて行ってもらった暁には、我々もテクリハだけに2週間は要求しよう。

 さて。

 明日はダブル・キャストのもう1組、瀬奈さん&吉原さんの初日。

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『シスター・アクト』通信

5月31日(土)

 ゲネプロ2回。1回目は森さん&大澄さんの初日コンビで。2回目は瀬奈さん&吉原さんの2日目コンビで。

 ここで『シスター・アクト』ミュージカル・トリビア。

 劇中で、デロリスとエディが高校時代の思い出話をする場面があるのだが、デロリスは高校時代に、仲間を集めて『ファニー・ガール』を上演して大ウケしたらしい。
 『ファニー・ガール』は1964年にブロードウェイで初演されたミュージカルである。1968年には映画化され、舞台と映画の両方に主演したバーブラ・ストライサンドの出世作(アカデミー主演女優賞を受賞)となった。
 代表的なミュージカル・ナンバーには「ピープル」「パレードに雨を降らせないで」などがあるが、エディが劇中で「人は人を必要としてて、そいつらは世界一ラッキーだ……みたいな歌、歌ってた……」と言っているのは「ピープル」のことであろう。
 ちなみに『ファニー・ガール』の日本初演は1980年で、主人公のコメディエンヌ、ファニー・ブライスを演じたのは鳳蘭さんであった。

 さて。

 明日はいよいよ初日。

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