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『王様と私』通信

6月28日(金)

  午前中は江古田へ。日大芸術学部の芸術総合講座「アート・マネジメント」で話をせよ、とのご依頼を頂いたので、アート・マネジメントについて話す。
  と言っても、私はアート・マネジメントの専門家でもなければ関係者でもない。むしろアート・マネジメントから最も遠そうなショー・ビジネスの住人である。私の話が学生たちにとって意味のあるものになっていたのなら良いのだが。

  話は逸れるが、学部の中ホールでは、今日と明日、ライティング・デザイナーズ・クラブ・オブ・ジャパン主催の照明ワークショップ/シンポジウムが行われていて、私が校舎に顔を出した頃は、ちょうど照明機材の仕込みの真っ最中であった。
  で、普段は同時にお目に掛かることの無い照明デザイナーの皆さん、服部基さん(年末の『モンテ・クリスト伯』でご一緒する)や、成瀬一裕さん(『シラノ』でお世話になった)、原田保さん(『ALive Ⅱ』でご一緒した)、塚本悟さん(『王様と私』の照明デザイナー)等に一遍にお目に掛かって、なんだか朝から気分が高揚する。

  さて。

  午後は『王様と私』の稽古場へ。劇中劇「トーマス伯父さんの小さな家」を固める。
  週末である明日、明後日は、子供たち中心の稽古。但し、私は明日、明後日と出張の為、『王様と私』通信はお休みさせていただくことになる。何とぞご了承頂けます様に。

  (6月26日よりつづく)コール・ポーターが活躍したのは、1920年代の終わりから1950年代の終わりにかけての約30年間である。
  だが、最もコール・ポーターらしい時期は、代表作と言われる『陽気な離婚』(挿入歌に「ナイト・アンド・デイ」が)、『エニシング・ゴーズ』、『ジュビリー』(こちらには「ビギン・ザ・ビギン」が)などが発表された1930年代であろう。

  ロジャース&ハマースタインの活動期間は、コンビの第1作『オクラホマ!』が書かれた1943年から、最終作『サウンド・オブ・ミュージック』が発表された1959年までの16年間である。
  2人はその間に、『王様と私』を含む11本のミュージカルを送りだした。そのことは昨年の『王様と私』通信で記した通りである。(つづく)

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