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2013年6月の記事

『王様と私』通信

6月28日(金)

  午前中は江古田へ。日大芸術学部の芸術総合講座「アート・マネジメント」で話をせよ、とのご依頼を頂いたので、アート・マネジメントについて話す。
  と言っても、私はアート・マネジメントの専門家でもなければ関係者でもない。むしろアート・マネジメントから最も遠そうなショー・ビジネスの住人である。私の話が学生たちにとって意味のあるものになっていたのなら良いのだが。

  話は逸れるが、学部の中ホールでは、今日と明日、ライティング・デザイナーズ・クラブ・オブ・ジャパン主催の照明ワークショップ/シンポジウムが行われていて、私が校舎に顔を出した頃は、ちょうど照明機材の仕込みの真っ最中であった。
  で、普段は同時にお目に掛かることの無い照明デザイナーの皆さん、服部基さん(年末の『モンテ・クリスト伯』でご一緒する)や、成瀬一裕さん(『シラノ』でお世話になった)、原田保さん(『ALive Ⅱ』でご一緒した)、塚本悟さん(『王様と私』の照明デザイナー)等に一遍にお目に掛かって、なんだか朝から気分が高揚する。

  さて。

  午後は『王様と私』の稽古場へ。劇中劇「トーマス伯父さんの小さな家」を固める。
  週末である明日、明後日は、子供たち中心の稽古。但し、私は明日、明後日と出張の為、『王様と私』通信はお休みさせていただくことになる。何とぞご了承頂けます様に。

  (6月26日よりつづく)コール・ポーターが活躍したのは、1920年代の終わりから1950年代の終わりにかけての約30年間である。
  だが、最もコール・ポーターらしい時期は、代表作と言われる『陽気な離婚』(挿入歌に「ナイト・アンド・デイ」が)、『エニシング・ゴーズ』、『ジュビリー』(こちらには「ビギン・ザ・ビギン」が)などが発表された1930年代であろう。

  ロジャース&ハマースタインの活動期間は、コンビの第1作『オクラホマ!』が書かれた1943年から、最終作『サウンド・オブ・ミュージック』が発表された1959年までの16年間である。
  2人はその間に、『王様と私』を含む11本のミュージカルを送りだした。そのことは昨年の『王様と私』通信で記した通りである。(つづく)

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『王様と私』通信

6月27日(木)

  立ち稽古。2幕6場。

  2幕6場はラストシーンである。ラストシーンは別れのシーンでもある。
  アンナがシャムの国をで過ごした決して短くはない歳月。その間に、アンナにも、シャムの人々にも、多くの驚きと発見があった筈である。もちろん多くの喜びと、そして乗り越えることのできない相違も……。

  幕が下りる瞬間はこの上なく美しい。人間の尊厳が描かれているからであろう。同じロジャース&ハマースタインのミュージカル『南太平洋』のラストシーン、テーブルの下の握手と双璧をなす名場面だと思う。

  明日は2幕3場を集中的に稽古する予定。つまりダンス・ナンバーの固め。

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『王様と私』通信

6月26日(水)

  立ち稽古。2幕2場と2幕5場B。その後、1幕4場の後半をおさらい。

  (6月23日よりつづく)『ウエストサイド物語』や『キャンディード』でお馴染みのレナード・バーンスタインは1918年生まれ。1953年当時はまだ30代の半ばである。一方『エニシング・ゴーズ』や『キス・ミー、ケイト』のコール・ポーターは1891年生まれ。既に60代に入り、キャリアの最晩年であった。
   コール・ポーターの世代が最後の輝きを見せ、バーンスタインら新しい世代が台頭する。『王様と私』が初演された当時のブロードウェイは、つまりそんな時代だったのである。

  リチャード・ロジャースは1902年生まれ、オスカー・ハマースタインⅡ世は1895年の生まれである。『王様と私』発表当時はロジャースが48歳、ハマースタインが55歳。脂の乗り切った年齢だったと言えるだろう。
  因みに、『ガイズ&ドールズ』のフランク・レッサーは1910年の生まれ。ロジャースとバーンスタインの、ちょうど間に挟まれた世代だと言うことになる。(つづく)

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『王様と私』通信

6月24日(月)

  立ち稽古は2幕に入る。2幕1場と4場を稽古。

  2幕1場は、イギリスからの訪問者、エドワード・ラムゼイ卿の一行を迎えることになったシャムの人々の泥縄的な対応ぶりと、ラムゼイ卿に対する王様の些か過剰な自意識が描かれるユーモラスな場面である。
  ラムゼイ卿を演じるのは、昨年に引き続き橋爪淳さんである。エネルギッシュな松平健さんの王様とは好対照な、エレガントな英国紳士ぶりが楽しい。そして、慣れない西洋スタイルでの応接に四苦八苦する磯辺勉さんの総理大臣も微笑ましい。

  そして4場。ここには『王様と私』最大のヒット・ナンバー「Shall We Dance?」がある。
  幕開きから、事ある毎に対立して来た王様とアンナ。その2人が、それまでの因縁を乗り越えて通じ合うナンバーが「Shall We Dance?」である。稽古の1回目から、松平さんも紫吹さんも、1年のブランクを感じさせない素敵な「Shall We Dance?」であった。
  但し、物語はこのままハッピーエンドでは終わらない。2人のダンスを邪魔するかの様に、王様のもとにある報告がもたらされる……。

  今日も盛り沢山な1日であった。なので明日は稽古OFF。『ALive Final』のことをするつもり。

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『王様と私』通信

6月23日(日)

  今日も子供たちの稽古。途中からアンナ先生(紫吹淳さん)も合流。

  『王様と私』のブロードウェイ初演は、1951年3月29日にセント・ジェームズ劇場でオープンした。
  その時代のブロードウェイがどんなだったかを想像することは現在の我々には容易なことではない。が、それを承知で試みてみると……

  前年(1950年)には、後に繰り返しリバイバルされることになるフランク・レッサー/作詞・作曲の『ガイズ&ドールズ』が初演されている。
  同じ年(1951年)には、5年後に『マイ・フェア・レディ』を作ることになるアラン・ジェイ・ラーナーとフレデリック・ロウのコンビによる『ペンチャー・ワゴン』(1969年にクリント・イーストウッドなどの出演で映画化された)が初演。
  更に翌々年(1953年)には、レナード・バーンスタインの『ワンダフル・タウン』とコール・ポーターの『カンカン』が初演されている。

  ますます分からなくなったかもしれない。(つづく)

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『王様と私』通信

6月22日(土)

  ブログのネタをくださる奇特な方が現れなかったので、引き続き「無い知恵」を絞って行く覚悟を決める。

  さて。

  『王様と私』は子供たちが大活躍するミュージカルである。
  ロジャース&ハマースタインが手掛けたミュージカルには『王様と私』以外にも子供たちが活躍する物が少なくない。2人の代表作『サウンド・オブ・ミュージック』はもちろん、『南太平洋』にも子供たちのナンバーがある。
  子供たちの稽古は、学校の無い土曜日、日曜日に行うことが多い。本番が近付くとそうも言っていられなくなるのだが、今はまだ土・日を中心に稽古スケジュールを組んでいる。

  今日も子供中心の稽古デーであった。大人のキャストと合わせる前に、子供(と、子供場面の稽古に付き合ってくれるアンサンブルさんたち)だけで稽古を重ねておく作戦である。
  演出助手の落石さんと振付助手の日比野さんのお2人が、(アンサンブルさんたちの手も借りて)手際良く、と同時に粘り強く、子供たちに芝居の手順をひとつひとつ渡して行く。

  昨年の『王様と私』では、子供たちには4つのチームが存在し、交互に出演していた。
  今だから言えることだが、4つのチームを創り上げるのは(しかも2チームは東京で、他の2チームは仙台で、それぞれ稽古をして)並大抵の苦労ではなかったのではないだろうか。幸いなことに、今年は2チームの交互出演であるが。

  この場をお借りして、落石さんと日比野さんの労をねぎらいたいと思う。

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『王様と私』通信

6月21日(金)

  立ち稽古。1幕4場と6場。

  1幕4場には、『王様と私』の中で私が最も好きなナンバー「Getting to Know You」がある。好きなだけでなく、とても大切なナンバーのひとつだとも思っているが。ここにはもうひとつ、タプチムとルン・タのデュエット「Kiss in a Shadow」もある。
  昨年の『王様と私』通信でも触れた様な気がしないでもないが、この時代のミュージカルは現代のミュージカルと違って1場面、1場面が結構長い。
  今日稽古した1幕4場もそうだし、昨日やった1幕2場や5場もそうだが、1場面にミュージカル・ナンバーが2つ、或いはそれ以上あったりすることもザラである。現代のミュージカルであれば、恐らく3~4の場面に分割されているに違いない。

  6場は1幕の最終場面。対立している王様とアンナの関係が大きく変化する場面である。
  話はいきなり変わるのだが、『王様と私』についてや、その作者ロジャース&ハマースタインについて、などは昨年の『王様と私』通信に書き尽くしてしまった。なので、今年はここに何を書けば良いのか、良いアイデアが思い浮かばなくて連日四苦八苦している。
  良いアイデアをお持ちの方はこっそり教えてください。

  明日は稽古OFF。なので『エニシング・ゴーズ』のことをするつもり。

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『王様と私』通信

6月19日(水)

  1幕5場を立ち稽古。その後、2幕3場の劇中劇「トーマス伯父さんの小さな家」を稽古。

  1幕5場はアンナの私室が舞台。ここには、アンナと王様との対立がいよいよ抜き差しならない所まで来て、アンナの怒りが炸裂するナンバー「Shall I Tell You What I Think of You」がある。
  このナンバーは通称「カエル」と呼ばれていて、それは歌詞の一節に「シャムのお辞儀は地べたに這いつくばってまるでカエルみたいだ」と言う部分があるからなのだが、そう言えばこのナンバーの正式な題名は何だったっけ?  と言う話に今日たまたまなった。
  で、改めて題名を確認したところ、正式な題名は「Shall I Tell You What I Think of You」だったのであった。そうだったのか。

  「トーマス伯父さんの小さな家」は『王様と私』のハイライトとも言うべきダンス・ナンバーである。
  オリジナルの振付は『ウェストサイド物語』や『屋根の上のヴァイオリン弾き』などを手掛けた才人、ジェローム・ロビンズで、その振りを元にして、日本版振付の真島茂樹さんがこのナンバーをリクリエイトしている。
  真島さんご自身は、今回も劇中のキャラクター、サイモン王を演じる。と言うか、踊る。サイモン王は終始仮面を被っているので、真島さんのご尊顔を拝むことができるのは前回同様カーテン・コールだけである。マジー・ファンの皆さん、悪しからず。

  今日も順調にメニューを消化して稽古は終了。雨が酷くならなくて良かった。

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『王様と私』通信

6月18日(火)

  今日から立ち稽古。1幕1場、2場、3場を当たる。

  昨年に続いての『王様と私』であるが、大半のキャストが続投する中で、今回から参加となるキャストもいらっしゃる。
  シャム国の総理大臣であるクララホムを演じる磯辺勉さん、そして、ビルマからやって来た若者ルン・タを(藤岡正明さんとダブルキャストで)演じる石井一彰さんのお2人である。

  稽古では、まず幕開きの「船乗り」と「バンコクの街の人々」の動きを演出補の落石君に作り直して貰う。そして早速、新総理大臣・磯辺さんが登場。意気揚々とバンコクの港に降り立ったアンナ(紫吹淳さん)の前に立ちはだかる。
  磯辺さん独特の低く響く声が、クララホムに新たな風格を加えてくれている。何より、権力者の「怖さ」が嫌と言うほど伝わって来る。

  続く王宮の場面では、ルン・タが登場。まずは初演からのキャスト、藤岡さんで稽古を行い、石井さんにはそれを見ていて貰うことに。ひと通り確認が済んだ所で選手交代、石井さんの出番となる。

  お2人とも呑み込みが大変早く、稽古は快調なペースで進んだ。
  周囲の殆どが昨年からの経験者で、とてもやり難かったことだろうと想像するが、それを微塵も感じさせることの無かったお2人に敬意を表したい。

  大変充実した(或いは、やや欲張り過ぎな?)メニューを無事に消化して、立ち稽古1日目は終了。幸先の良いスタートを切ることができた、と思う。

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『王様と私』通信

6月17日(月)

  『王様と私の稽古が始まっている。

  ブロードウェイ・ミュージカル『王様と私』は、ミュージカル史上最も成功したチームであるリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン2世の2人が1951年に発表した大ヒット・ミュージカルである。
  ハリウッドでウォルター・ラング監督の手で映画化されたのは1956年。そして、日本での翻訳上演の初演は1965年である。以来50年近く、『王様と私』は繰り返し上演され、愛され続けて来た。
  その最新ヴァージョンが、昨年の夏に各地を巡業した『王様と私』で、今回は、その2年目である。

  今日は関係者一同が稽古場に参集し、顔寄せであった。
  まず、主催者を代表して、映画演劇文化協会の髙橋昌治副会長がご挨拶。続いてスタッフとキャストが紹介され、キャストを代表して松平健さんがご挨拶。私も指名されて一言申し述べたのだが、昨年以上にグダグダで、もうその場から消えてしまいたい様な最低の出来であった(昨年の顔寄せの日記はこちら)。
  顔寄せ終了後は読み合わせ。但し、今日はミュージカル・ナンバーの部分は割愛。そして、読み合わせの終了後は紫吹淳さん、はいだしょうこさん、藤岡正明さん、そして初参加の石井一彰さんの歌稽古。

  『王様と私』は7月13日(土)の東京を皮切りに、8月25日(日)の福島まで、都合15か所を旅して回る。初日までの約1ヶ月、『王様と私』通信にどうぞよろしくお付き合いください。

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舞台総合実習ⅢA終了

6月16日(日)

  今年度の舞台総合実習ⅢAが終了した。

  舞台総合実習は、日大芸術学部演劇学科で行われている(その名の通りの)実習授業である。演劇、日舞、洋舞、それぞれの舞台総合実習があり、ⅢAは3年生を中心とした演劇の実習であった。
  3月の春休み期間中から準備に入り、4月初旬からの約ふた月に及ぶ稽古期間を経て迎えた、3日間4ステージの本番であった。
  ご来場くださった皆さん、ご観劇ありがとうございました。そして、ご指導くださった先生方、お力添えいただいた皆さん、お世話になりました。お疲れさまでした。

  参加した学生たちは果たして何を学んだだろう。今回の経験が彼ら、彼女たちの将来に少しでも役に立つ時が来れば嬉しいのだが。

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エスター・ウィリアムスさん

  エスター・ウィリアムスさんが亡くなった。

  エスター・ウィリアムスは1940年代から50年代にかけて活躍した、ハリウッドのミュージカル女優である。エスターは、他のどの女優とも異なる個性を持っていた。彼女は、ミュージカル映画の中で「泳いだ」のである。
  MGM映画が1920年代の末から30年間に渡って作り続けたミュージカル映画の名場面をダイジェストした『ザッツ・エンタテインメント』に、フレッド・アステアやジーン・ケリーなどと並んで、エスターは1つのセグメントを与えられている。ミュージカル映画の歴史の中で、彼女はワン・アンド・オンリーの存在だったのだ。(MGMミュージカルについての拙文はこちらから。その4まであります)

  エスターの活躍を俯瞰するには『ザッツ・エンタテインメント』のPart 1からPart 3を観ていただくのが手っ取り早い。とくにPart 3にはナレーターのひとりとしてご本人が出演しており、撮影当時のエピソードなども披露してくれる。

  私がミュージカル映画の魅力に目覚めた頃(1970年代の真ん中辺)、ハリウッド・ミュージカルを生み出した人たちの大半はまだまだ現役であった。だが、年月は残酷に流れ、今またエスター・ウィリアムスが旅立った。

  ご冥福をお祈りいたします。

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そして、あっという間に千穐楽! 『Wildhorn Melodies』通信

6月6日(木)

  「始まり」があれば「終わり」はもちろんある訳で……。

  この半年間、私はワイルドホーンさんの音楽漬けであった。
  それは嬉しくもあり、たまにちょっぴりシンドくもあったが、その荷物を降ろす日が来た。無事に運びきった安堵感もあるし、いざ降ろしてみると、もう少し担いでいたい未練も残る。勝手なものである。

  ご来場くださった皆さんに、この場をお借りして御礼申し上げます。そして、全ての公演関係者にも。皆さんのお力で、こんなに素敵なコンサートになりました。

  ワイルドホーンさんは、「ちょっとしたステージングがとても効果を上げている」ことと、「コーラスの皆さんにしっかりと役割が与えられている」ことを褒めてくださった。そのことが私個人はとても嬉しい。

  さて。再演やPart 2はあるのか?

  今の私にはまったく分からない。が、是非あって欲しい、と思う。
  これで『ildhorn elodies』通信はお終いである。次は『王様と私』通信。10日ほど後に始まる予定です。

  我らがマエストロ、塩田明弘さんがつくづく言っていた。
  「30曲分の譜面作って、たった2日しかやらないなんて勿体ないよ!」

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あっという間に初日! 『Wildhorn Melodies』通信

6月5日(水)

  長い長い1日であった。

  朝からスタッフは照明作り。昼前より場当たり兼サウンド・チェック、昨日の続き(つまり2幕全部)。それを終えた後、ゲネプロ(GP=通し舞台稽古)。そしてその後、ようやく本番である。つまり、今日は2.5回公演!
  このコンサートの本当の主人公はフランク・ワイルドホーンさん、その人であろう。その主人公がゲネプロに登場。『シラノ』の初日以来、半年ぶりの再会であった。
  ゲネプロが始まる前、ワイルドホーンさんは「きっと驚くと思うよ。何しろ、一体どんなショーなのか、舞台上で何が行われるのか、曲目も何も知らないんだからね」と茶目っ気たっぷりにおっしゃった。

  無事にゲネプロを終え、いよいよ初日。定刻通り、19時に開演し、20分の休憩を挟んで、あっという間の2時間30分であった(先日の予測より2幕が10分ほど長かった)。2幕のラストでは、ワイルドホーンさんも舞台に上がってくださった。
  終演後は関係者一同で初日の乾杯。華やかで、和やかで、素敵な乾杯であった。

  更にその後、塩田さん、そして東宝とホリプロのプロデュース・チームの皆さんと、ワイルドホーンさんを囲んでささやかなお祝い。席上ワイルドホーンさんは「このショーを母に見せてあげたい」とおっしゃっていた。

  あっという間に明日は千穐楽。観ようか止そうか迷っている方、悪いことは言わないから、是非オーチャードホールへ!

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『Wildhorn Melodies』通信

6月4日(火)

  オーチャードホールへ。

  スタッフは朝から仕込み作業。夕方にはオーケストラを迎えてサウンド・チェックが始まる。それまでに各セクション、態勢を整えておかなければならない。その道のベテラン達が、テキパキと要領良くそれぞれの作業を進めて行く。
  無事にサウンド・チェックを終わらせ、若干の休憩の後、舞台稽古に突入。M1から順番に、キャストのサウンド・チェックを兼ねた場当たりである。高見和義さんの照明デザインが抜群に格好良い。

  本当は2幕を少しかじっておきたかったのだが、残念ながら1幕の終わりで今日は時間切れ。この続きはまた明日。
  楽屋口を出ると、渋谷の街から歓声、と言うか、どよめき、と言うか、が響いて来た。サッカー日本代表のワールドカップ出場を喜ぶ皆さんの声であるらしい。ブルーのユニフォームを着た大勢の興奮した人たちとも擦れ違ったが、こちらは反対にクール・ダウンの真っ最中なのであった。

  明日はいよいよ初日。フランク・ワイルドホーンさんもご来場の予定!

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『Wildhorn Melodies』通信

6月3日(月)

  オーチャードホールのリハーサル・ルームへ。オーケストラとキャストの合わせ。通称「オケ歌合わせ」、略して「オケ合わせ」。

  『ildhorn elodies』のオーケストラは21名編成。これは『ジキルハイド』『シラノ』の本公演でのオーケストラの人数よりも多い。その人数を利用して、オーケストラのアレンジもより豪華に、より華やかになっている。
  今日は1日かけて全楽曲を当たった。昨日までがピアノ1台での伴奏だったので、情報量は桁違いに増えている。決して狭くは無いリハーサル・ルームなのだが、この人数のミュージシャンが一斉に演奏をすれば、それはものすごい音圧となって我々に襲い掛かって来る。
  ここにはホールの心地よい響きは無いが、ホールでは味わえない臨場感と迫力を、ホールにはない独占感も感じながら堪能することができる。

  軽く心地よい疲労感を覚えつつ、今日のオケ合わせも無事終了。明日はいよいよ仕込み、そして舞台稽古である。

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『Wildhorn Melodies』通信

6月2日(日)

  段取りの確認できていない幾つかのナンバーをさらった後、ピアノで通し稽古。

  上演時間は、1幕、2幕、ともに1時間程度になりそうである。幕間休憩は20分の予定で、合わせて2時間20分前後の上演時間と言うことになろうか(ならなかったらごめんなさい)。
  初めて全体を通してみて、これは大変贅沢なコンサートである、とつくづく感じる。
  このキャストたちの歌を1度に堪能できることもさりながら、フランク・ワイルドホーンさんの楽曲自体が持つリッチさ、華やかさ、多彩さが、聞く者をなんとも贅沢な気分にさせてくれるのである。

  さて、明日はいよいよオーケストラの皆さんと合流。稽古後にマエストロから頂いた電話では、オーケストラも「通常のミュージカル版より遥かにゴージャスにしておいたから」とのことである。

  これも大いに楽しみ。

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『Wildhorn Melodies』通信

6月1日(土)

  やや広い稽古場に移動して、幾つかのナンバーをステージング。

  『ildhorn elodies』はコンサートなので、ミュージカルの様な凝ったステージングは基本的にはしていない。が、2人以上が登場するナンバーでは、シンプルではあるが(交通整理も含めて)ステージングを施すことにした。
  既にコーラスの皆さんのナンバー1曲をステージングしたことは5月29日の日記に記した。今日はそのおさらいと、それ以外のナンバーのステージング・デーであった。

  ネタバレを避けるために「誰のナンバーか」「どんな楽曲なのか」には触れないでおこうと思う。ただ、今日の稽古はとてもスムーズに進行し、出来上がりもとても満足の行くものであったことは報告しておきたいと思う。
  キャストの皆さんの輝かしいキャリアは伊達ではない。

  明日はいよいよ全キャストが集合する。それぞれの段取りを確認した後、ピアノでの通し稽古である。

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演出助手・プロデューサー募集!

  東宝演劇部が演出助手とプロデューサーを募集している。

  東宝は直営の劇場として帝国劇場とシアタークリエを持ち、ミュージカルを中心に幅広いエンターテインメントを製作している。東宝演劇の歴史は、そのまま日本のショー・ビジネス史に重なる。
  私も演出助手として東宝演劇部に採用され、プロの舞台人としての生活をスタートさせた。もう30年近くも前のことであるが、それから今日に至るまでのことは光陰矢のごとしである。

  詳細はこちらからどうぞ。

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『Wildhorn Melodies』通信

5月31日(金)

  音楽稽古3日目。

  今日は田代万里生さんから。まずはソロの曲をいくつか当たる。そして濱田めぐみさんが登場。田代さんと濱田さんのデュエット曲(秘)を当たる。このデュエットも本邦初公開。
  その後、濱田さんのソロ曲を当たり、更にそこに鹿賀丈史さんが加わり、お2人の楽曲をおさらい。
  濱田さんが歌われるのも7曲である。ロマンティックな初挑戦曲から「そうこなくちゃ!」のあのナンバーまで、多彩な濱田さんをご堪能いただける筈である。

  明日からオーチャードホールのリハーサル・ルームでオーケストラのリハーサルが始まる。我々は別稽古場で、いくつかのナンバーをステージングする予定。

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