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『竜馬の妻とその夫と愛人』通信

9月29日(土)

  立ち稽古6日目。2場の中盤を稽古。

  (9月27日よりつづく)
  龍馬の死後、お龍は土佐の坂本家に身を寄せたり、同じく土佐の菅野覚兵衛の実家・千屋家の世話になったりした。が、いずれも続かず、京都に戻った。が、京都にも居場所がなくなり、東京へ。最終的には横須賀に辿り着いた。
  生前の龍馬はお龍にぞっこんだった様だが、海援隊のメンバーたちは彼女を疎んでいたらしい。お龍が龍馬の威を借りて権高に振舞ったからの様である。そのためか、維新後に要職に就いた元隊士たちも、困窮を極めるお龍に救いの手を差し伸べることはなかった。

  明治7年(1874)には、お龍は神奈川宿の料亭・田中屋に仲居として勤めている。そして翌明治8年に西村松兵衛と結婚、名前を西村ツルと改める。
  松兵衛は、元々は京都の呉服商の若旦那で、寺田屋時代のお龍と知己だったとも言われている。維新の動乱で家業が傾き、やがて横須賀で大道商人を始める。

  お龍の妹・起美と結婚していた菅野覚兵衛だけは、お龍の面倒を何かと見ていた様である。覚兵衛は維新後、アメリカ・ニュージャージー州のラトガース大学に留学。帰国後は海軍省に入省し、後に少佐まで昇進した。

  そして明治12年。竜馬の13回忌の年の夏。横須賀の、松兵衛のボロ長屋を覚兵衛が訪ねて来るところから『竜馬の妻とその夫と愛人』は始まる。(たぶん、もうつづかない)

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