« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年5月の記事

『GWTW』&『三銃士』通信ミニ

5月30日(月)

   
  朝から仕込み作業の続き。午後からは道具調べ・照明合わせ。作業を終えて楽屋口を出た時には、空は既に白み始めていた。早朝作業ならだれにも負けない自信があるのに。

  さて。

  『三銃士』は帝劇で製作発表。Ustreamでのライブ配信、見損ねたぁ~。

| | コメント (0)

『GWTW』&『三銃士』通信

5月29日(日)

   大阪、梅田芸術劇場メインホールに来ている。

 今日は終日スタッフ・ワーク。舞台では朝から大道具、照明、音響、特効などの仕込みと調整。楽屋周りでは衣裳やヘアのチームが作業。

 劇場に着いてすぐ、エレベーターの中で顔を合わせた帝劇の大道具の棟梁は、私の顔を見るなり一言「でかいよ……」とおっしゃった。
 今回の舞台美術のコンセプトはとてもシンプルである。大きな屋台が出たり入ったりもしないし、舞台転換を見せ場にすることもない。が、少ないセットの幾つかは確かに「でかい」かもしれない。
 舞台美術のデザイナー、松井るみさんは、しきりに「大きすぎる?」と気にする素振りを見せていたが、「私は大きいのが好きなの」と、スカーレットの様なことものたまわれていた。演出家として意見を述べれば、この大きさには演劇的な意味がある。だから、るみさん、大きくて良いのである。

 今日は深夜作業。最近ではめっぽう深夜に弱い私は、最後まで付き合えず途中リタイア。

 さて。

 昨日まで19世紀のアメリカ南部であった帝劇9階の稽古場は、今日からは17世紀のフランスである。
 『三銃士』は、瀬奈じゅんさん、シルビア・グラブさん、和音美桜さんの歌稽古。劇中には、ミレディ、アンヌ王妃、コンスタンスの3人で歌うナンバー『愛こそが命』があるのだが、瀬奈・シルビア・和音のヴァージョンを早く聞いてみたい。

| | コメント (0)

『GWTW』&『三銃士』通信

5月28日(土)

  稽古場最終日。

  3回目の通し稽古。
  通す毎に上演時間が短くなる。僅か数十秒のことではあるが、これはとても良い兆候である。本当は劇場入りする前に、あと1回でも2回でも多く通したかったが、それは贅沢というものかもしれない。この規模の新作で3回も通せたのだから。
  大阪・梅田芸術劇場メインホールでは今朝から舞台の仕込みが始まっている。舞台監督の菅田さんは既に大阪の人である。演出部の皆さんは稽古場を撤収した後、大阪へ向かう。私も明日には大阪入りする(読賣テレビさんのサイトはこちら)。
  初日まであと6日。住み慣れたタラを離れアトランタに向かうスカーレットになった様な気分である。

  さて。

  『三銃士』はアンサンブルの皆さんの歌稽古。
  稽古を重ねながら、より良い訳詞を求めて細部の修正が続く。新作ミュージカルを世に出すまでには、多くの人々の愛情が注がれているのである。

| | コメント (0)

『GWTW』&『三銃士』通信

5月27日(金)

  2回目の通し稽古。

  1回目の通し稽古での課題が上手に処理され、スピーディで、情熱的で、ロマンティックで、ユーモラスで、そして感動的な、手応えの感じられる良い出来であった。何より、登場人物のひとりひとりが瑞々しく新鮮であったのが嬉しい。大きな収穫である。
  明日は稽古場最終日。今日以上の完成度を目指して、もっともっと貪欲に行きたい。

  さて。

  『三銃士』は今日もアクションのワークショップ。前回のワークショップ後は、多くのキャストが筋肉痛などに苛まれたと聞く。どうか皆さんが無事であります様に。
  ところで、5月30日に行われる『三銃士』の製作発表がUstreamを使用してライブ中継されることになった。詳細はこちらから。

| | コメント (0)

『GWTW』&『三銃士』通信

5月26日(木)

  午前中は日大芸術学部所沢校舎へ。

  私が受け持っているのは、演劇学科演出コースの1年生を対象とした「演出実習Ⅱ」である。
  演出の初心者は、俳優が台詞を読んで何となく動いていれば、それでその場面が成立したように思ってしまう。そうではない、と言うことを実体験してもらうために、このクラスでは毎週、既成の戯曲から短い1場面を抜き出して、それを学生たちに演出してもらっている。
  演劇にも演出にも可能性は無限にあるのだ。

  午後は『風と共に去りぬ』の稽古場へ。

  今日から通し稽古である。稽古開始から約4週間、ようやくここまで、と言う感慨もあるし、まだまだそんな、という焦りもある。まあ、それは毎度のことであるが。
  上演時間も見えて来た。以前のミュージカル版『風と共に去りぬ』(大改訂を施した再演以降)は、25分の休憩を挟んで約3時間15分の上演時間だったのだが、今回はそれより短くなる。概ね予想通りの時間で、一安心である。

  残すところ稽古場はあと2日。明日ももちろん通し稽古。

  さて。

  『三銃士』は今日も歌稽古。ダルタニャンと3人の銃士たちが、彼らの友情と同じくらい美しいハーモニーを響かせている、はずである。

| | コメント (0)

『GWTW』&『三銃士』通信

5月25日(水)

  午前中は東宝ミュージカルアカデミーへ。

  4月から、あるミュージカルのオープニング・ナンバーをテキストにして来たのだが、今週から新しいテキストに進む。で、今日はその音取りから。
  東宝ミュージカルアカデミーでは歌、ダンス、演技と、様々なカリキュラムが組まれている。私のクラスは演技のカリキュラムの1コマなのだが、できるだけ実際のミュージカルの稽古場に近い雰囲気を再現するように心がけている。私以外の先生方のクラスが「ある分野」を徹底的に深めるものだとしたら、私のクラスは「それぞれに深められたスキル」を総合的に応用する場でありたいと思っているのである。
  ミュージカルでは「歌うこと」も「踊ること」も演じることなのだから。

  午後は『風と共に去りぬ』の稽古場へ。1幕、2幕を台本順に全場面あたる。

  今日の稽古でキャスト&スタッフに求めたのは、通し稽古に臨むのと変わらない「集中」であった。
  ここまで稽古が進んだら、「取り敢えず」とか「暫定的に」でやっていても最早何の意味もない。劇場で、観客の前で演じている時と同様の説得力で演じて見せて欲しいのである。それが実行されて、始めて「上手く行っている」とか「改善の要あり」の判断が下せるのだから。
  今日の出来はとても良いものであった。まだケアレス・ミスは頻発するが、それは明日からの3日連続通し稽古が解消してくれる筈である。

  さて。

  『三銃士』は一昨日に続いての歌稽古。目前に迫った製作発表で披露される楽曲を中心に、鋭意稽古中!

| | コメント (0)

『GWTW』&『三銃士』通信

5月24日(火)

  2幕のおさらい。

  予定通り、昨日の1幕ほどは手間取らずに済んだ。2幕はつい最近整理整頓したばかりなので、当然と言えば当然だが。
  全体稽古の後、アクション・シークェンスの抜き稽古。ステージングは、アクションの手数が多いことで有名な渥美博さんである。『風と共に去りぬ』のアクション・シークェンスには大人数が登場するので、事故の無い様に、そしてリアルに見える様に念入りにさらう。
  稽古後は照明打ち合わせ。照明デザイナーは、このブログでは私と生年月日と最寄り駅が同じなことでお馴染みの高見和義さんである。どんなスタイルで照明をデザインするのか、どこにどんな照明CUEを作るのか、意見交換。

  ところで、公式サイトのキャストの写真が扮装したものに差し替えられている。それぞれ動画コメントも付いているので、覗いてみてください(こちらから)。

  さて。

  『三銃士』はアクションのワークショップ。
  『三銃士』と言えば剣戟。即ちチャンバラである。今日はアトス、アラミス、ポルトス、ロシュフォール、バッキンガム公、ミレディ、そしてアンサンブルの皆さんが参加してのワークショップであった。アクションのステージングは、手数が多いことで有名な渥美博さんである。
  渥美さんの報告によると、身体のキレも段取りの覚えも抜群だったのは瀬奈じゅんさんであったらしい。男子諸君、頑張れ!

| | コメント (0)

『GWTW』&『三銃士』通信

5月23日(月)

  1幕のおさらい。

  久々の1幕である。今日は台本の順番通りに、1幕の全場面をさらった。
  今日から音楽とSE(効果音)が入った。冒頭の園遊会や、アトランタに戦禍が近づいている場面などでは音楽やSEの力は大きい。雰囲気、と言うか、臨場感が劇的にUPする。
  明日は2幕を台本順に。そして音楽とSEをはめる。今日は久し振りの1幕で、やや長時間の稽古になったが、明日の2幕は今日ほどは手間取らない……予定。

  さて。

  『三銃士』の歌稽古が始まった。本来ならばそちらにも立ち会いたい所なのだが、『風と共に去りぬ』を開けるまではお預けである。
  訳詞の竜真知子さん、歌唱指導の山口正義さん、ちあきしんさん、演出助手の末永陽一さん、稽古ピアノのお姉さま方、どうぞよろしく。

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月21日(土)

  2幕のおさらいデー、その2。

  昨日やっていない場面を整理整頓。物語の着地点は随分はっきりと見えて来た。
  昨日と今日の稽古後に、劇中で流れる「声」の録音。台詞以外にも笑い声とか拍手の音なども録らせてもらったのだが、拍手は大変な豪華キャストである。米倉涼子さん、寺脇康文さんから子役のみちるちゃん、瑤子ちゃんまでが参加してくれた。
  が、所詮は効果音。幕が開いても、手を叩いているのが誰なのかは残念ながら全く分からない。

  明日は最後の稽古OFF。そして10日ぶりに1幕へ。

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月20日(金)

  2幕のおさらいデー、その1。

  段取りは付けたもののしっくり来ていなかった部分や、曖昧であった箇所を整理整頓。今日1日でドラマの焦点はとても明確になったと思う。

  帝劇の稽古場は建物の9階にある。一面に大きな窓が並んでいて、その外はライト・コートになっている。そこからたっぷりと外光が入るので、昨日、今日の様な良い天気の日はとても居心地が良い。加えて、この季節だと窓を開ければ気持ちの良い風も入る。つい床でゴロゴロしたくなる稽古場なのである。
  『風と共に去りぬ』でも、多くのキャストが稽古前の早い時間からのんびりとストレッチなどを行っている。2幕に入るとシリアスな場面が増えるので、この環境は良い気分転換になりありがたい。

  明日はその2。

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月19日(木)

 午前中は日大芸術学部所沢校舎へ。午後は『風と共に去りぬ』の稽古場へ。

 『風と共に去りぬ』は、今日は稽古は無し。スカーレットとメラニーの衣裳合わせであった。衣裳合わせの後はサウンド・イン・スタジオへ。『風と共に去りぬ』の音楽録音に立ち会う。

  『風と共に去りぬ』初演(1966年)の音楽を担当されたのは、菊田一夫氏の盟友、古関裕而(こせきゆうじ)氏であった。ミュージカルでは無いのに帝劇のピットにはオーケストラが控え、舞台の進行に合わせて生で劇伴を奏でていた。
 今回、音楽を手掛けてくださるのは佐橋俊彦さんである。佐橋さんとはミュージカル版『風と共に去りぬ』(2001年)が初仕事であった。以来、『ミー&マイガール』の音楽監督や舞台版『フラガール』の音楽などをお願いして来た。
  舞台やミュージカルのみならず、映画、テレビ、アニメからディズニーランドまで、佐橋さんが活躍されているフィールドは実に幅広い。昨年末にシアタークリエで上演された『プライド』の音楽も佐橋さんの手によるものであった。

  帝劇での『風と共に去りぬ』には、映画で有名なマックス・スタイナー作曲の「タラのテーマ」は登場しない。あくまでもマーガレット・ミッチェル女史の小説の舞台化であって映画の舞台化ではないからであるが、その代わりに、ストレート・プレイ版では初演以来古関裕而氏の音楽が使われて来たのである。
  今回、台本や演出を一新するにあたり、音楽も新たに製作しなおすことにした。全編を彩るのは佐橋さんが書き下ろしてくださった新しい音楽である。
  ただし、今回は生演奏ではない。オーケストラ・ピットを使用しないことで、舞台と客席の関係を緊密にしたかったからである。

  明日、明後日は2幕の復習。そして1幕に戻る。

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月18日(水)

  午前中は東宝ミュージカルアカデミーへ。午後は『風と共に去りぬ』の稽古場へ。

  『風と共に去りぬ』では2幕後半をさらい、更にラスト・シーンへ向けての数シーンを作る。これで曲がりなりにも全シーンを当たった。まだまだ先は長いが、精神的にはひと息ついた感じで、少しほっとした。
  物語の終幕は別れ、そしてまた別れの連続である。スカーレットと彼女を取り巻く人々の切なさが痛い様に伝わって来て、見ている私も胸が熱くなる。
  タイトルである「風」と共に去ったものとは果たして何だったのだろう。1幕の終わりでは、それは「古き良き南部の暮らし」ではないかと思う。そして物語の終わりでは「人々」であろう。どちらもスカーレットがこよなく愛したものである。

  明日はスカーレットとメラニーの衣裳合わせ。そして音楽録音。

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月17日(火)

  1幕の一部と、昨日新たに手を付けた場面をおさらい。更にその続きを当たる。

  この辺りまで来ると、登場人物の感情の昂りもかなり激しい。演じるキャストの皆さんの消耗も相当だろうと想像する。見ているだけの我々でも、稽古の後にはかなりぐったりとするのだから。
  明日は稽古予定を1日前倒ししてラスト・シーンまで。首尾よく幕が切れます様に。

  と言っても、今回、劇場の緞帳(どんちょう)は使用しないのだが。

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月16日(月)

  2幕前半をおさらい、そして新しい場面を稽古。

  2幕も2/3辺りまで辿り着いた。1幕冒頭から10年の年月が流れた。人生経験を重ねたスカーレットも随分と大人びて見える。
  残りの場面は僅か数日の間の出来事である。その数日の間に、様々な出来事がスカーレットとレットに降りかかる。ストーリーをご存じない方にはもちろん、結末を知っていらっしゃる方にも大いに楽しんで頂ける様に仕上げたいと思う。

  明日からは不幸な出来事が続く。と言っても、それは物語の中の話であるが。

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月15日(日)

  『風と共に去りぬ』には2人の子役さんが登場する。須見みちるちゃんと田邊瑶子ちゃんである。今日はその2人の稽古から。

  物語の中で、スカーレットは何度も結婚を繰り返すことになる。3度目の結婚で授かった娘がボニーで、2人はそのボニー役を交互出演で演じるのである。
  映画の『風と共に去りぬ』でも我々の舞台版でも、スカーレットがもうける子供はボニーひとりである。が、原作では、最初の結婚でも2度目の結婚でも子供を産んでいる。
  映画や舞台が原作と異なることは往々にしてあることである。理由は様々だろうが、時間の制約であったり、その時代のメディアを取り巻くモラルの問題もあっただろう。原作と映画や舞台の違いにご興味を持たれた方には、それぞれを楽しんでみて頂きたいと思う。

  子役さんの稽古の後は、昨日のおさらいと2幕中盤の新しい場面の稽古。いよいよスカーレットは人生3度目の結婚を決意する。そして……。

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月13日(金)

  稽古前に『テアトロ』誌の取材。『風と共に去りぬ』を演出するに当たり心掛けていることや、キャストの印象などについて語る。

  稽古は昨日のおさらいから。昨日手を付けて、気になっていた場面を少し修正する。更に、それらに続く場面を新たにあたる。
  今日で2幕の1/3辺りまで来た。立ち稽古開始から2週間、今まではとても順調に進んで来られたと思う。今後は、とにかくまずラストまで進み、それから再び冒頭に戻り、そして後は繰り返し繰り返し、である。

  この稽古場とは今日でお別れである。明日は引っ越しのため稽古はOFF。明後日からは帝劇の稽古場になる。遂に帝劇。でも帝劇の前に梅田芸術劇場

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月12日(木)

  午前中は日大藝術学部へ、午後は『風と共に去りぬ』の稽古場へ。この移動は距離にして約40km、昨日の様に簡単には行かない。

 さて、『風と共に去りぬ』は2幕に突入。2幕では南北戦争後のタラ、そしてアトランタでドラマが進行する。
 ストーリーをご存じない方の興味を削がないために「どんな場面なのか」は省略するが、2幕の幕開きと、それに続くいくつかの場面に手を付けた。2幕に入ると、1幕とは打って変わって少人数の場面が続く。濃密なドラマもあれば、ユーモア溢れるシーンもある。
 『風と共に去りぬ』はコメディではもちろんないが、観ていて思わず笑みがこぼれる様な場面はいくつも登場する。そこは原作も、映画も、私たちの舞台も同様である。

 稽古後はスカーレットの衣裳合わせ。
 どの衣裳もスカーレットらしく、それを着た米倉さんもスカーレットそのものである。このページでご覧いただきたいところだが、それは劇場でのお楽しみ、ということで。

 『三銃士』の製作発表が告知された。そのオーディエンスが募集されている(こちら)。それと『ラ・カージュ・オ・フォール』公式サイトのデザインがリニューアルされた(こちら)。覗いてみてください。

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月11日(水)

  午前中は東宝ミュージカルアカデミーへ。今週に限り、アカデミーの稽古場と『風と共に去りぬ』の稽古場が同じ建物内となる。これは楽ちん。

  さて、『風と共に去りぬ』は衣裳合わせ。
  大勢の登場人物に10年に及ぶ時の流れ。となれば、衣裳の数も当然多くなる。正確な点数を数えた訳ではないが、250点は下らないのではなかろうか。その1点1点を試着し、寸法を直し、周囲とのバランスを見、コーディネイトを考え……。そんな気の遠くなるような地道な作業が今日も終日続けられた。
  扮装をすると、今まで漠然としていた人間関係やキャラクターが一気に具体的なものになる。そこが具体的になると、当然ながら芝居自体の説得力も増す。衣裳、ヘア・メイクのマジックであろう。

それにしても長時間であった。お付き合い下さったキャスト&スタッフの皆さん、お疲れ様でした。

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月10日(火)

  1幕後半をおさらい。

  南北戦争が始まり、スカーレットはタラを離れ、アトランタで色々あって、スカーレットはタラへ戻る。これが物語の前半=1幕である。2幕ではスカーレットは再びタラを離れ、アトランタで更に色々あって、そして感動のラスト・シーンを迎える。
  1幕の手順がひと通り付いた所で、明日は終日衣裳合わせ。何しろ登場人物の数が膨大なので、衣裳の点数もそれに比例する。明日1日でも終わらないかもしれない。

  そして明後日より2幕へ。

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月9日(月)

  1幕前半をおさらい。

  稽古場にTVや雑誌などのカメラが入る。大所帯な上にアクティング・エリアも広く取っているので、決して狭い稽古場ではないのだが、取材クルーの皆さんには窮屈な思いをさせたのではないかと思う。
  今回は、舞台をできるだけ広く使うことを心掛けている。松井るみさんによる美術デザインも、帝劇や梅田芸術劇場メインホールの空間を最大限に活用するものになっている。なので、大勢が舞台上に登場する場面はまだ良いのだが、登場人物が数人のシーンでは、多くの人々が稽古場内での待機場所の確保で思わぬ苦労をすることになる。
  オンエア情報などはやがて公式ページで告知されると思われるが、その辺りはどう写るだろうか。

  稽古後、来年の仕事のことで髙平哲郎さんにお目に掛かる。楽しい仕事になりそうで嬉しい。

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月8日(日)

  昨日のおさらいをした後、1幕の残り、スカーレットのタラへの帰郷までを作る。

  今日で1幕の全シーンに手を付けた。まずは順調な滑り出しだと言えよう。ただし、もちろんまだ単に手を付けただけの段階であり、残された時間を使って、それをドラマに、物語にしなければならない。
  が、「この作品の中でどんなことが待ちうけているのかが半分近く見えた」と言う現実は、精神衛生上はすこぶる良い筈である。キャストにとっても。スタッフにとっても。演出家にとっても。

  明日は1幕の前半に戻る。明日と明後日で1幕を復習する予定、なのだが……果たして覚えているのか?

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月7日(土)

  1幕後半、スカーレットがレットの助けを借りてアトランタを脱出する場面を作る。

  南北戦争の終盤、アトランタ周辺では激しい戦闘が繰り広げられた。南軍は公共の建物や資産を破壊して敗走した。更にその後、南進する北軍によって街は焼き払われた。
  映画の『風と共に去りぬ』では、レットとスカーレットを乗せた馬車が、今にも焼け落ちんとするアトランタ市街を駆け抜けて行く場面がお馴染みであろう。あの焼け落ちる建物は、以前に映画『キング・コング』のために使用されたセットに火を放ったものだと言う。そして、画面のスカーレットとレットはスタント・マンたちであるらしい。
  その炎上シーンの撮影を見学に来ていたヴィヴィアン・リーを見て、プロデューサーのディヴィッド・O・セルズニックが「彼女こそスカーレットだ!」と叫んだ、と言う逸話もあるが、恐らくは宣伝のための作り話であろう。

  帝劇初演の「アトランタ脱出」シーンは、2つ前の記事「『GWTW』通信・特別編」にも記した様に、舞台後方から映写された特撮映像の前を、生きた本物の馬に引かれた馬車が走る、という趣向であった。
  今回は特撮映像も馬も登場しない。それらは確かに見ものではあっただろうが、その楽しさはストーリーを離れての楽しさだったのではなかろうか、と考えるからである。

  明日はいよいよ故郷タラへ。

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月6日(金)

  アーサー・ローレンツ氏が亡くなった。氏は、ミュージカル・ファンには『ウェストサイド物語』や『ジプシー』の劇作家として知られているだろうし、映画ファンにはヒッチコックの『ロープ』や『追憶』『愛と喝采の日々』の脚本家としてお馴染みだろう。
  私にとっては『ラ・カージュ・オ・フォール』の演出家であった。ご冥福をお祈りいたします。

  さて、『風と共に去りぬ』は1幕の中盤をおさらい。その後、「ベル・ワトリングの店」を稽古。

  ベル・ワトリングは、アトランタで豪奢な娼館を経営している女である。レット・バトラーと特別な関係にもあるらしい。
  その店も、今や開店休業の状態にある。北軍が既にアトランタ近くにまで迫り、人々も街を捨てて逃げ出したからである。そこにスカーレットの侍女プリシーがやって来るが……。

  寺脇康文さんの愛称は「テラリン」になった。寺脇さんは「テラリン」では無い愛称もお持ちだったのだが、その愛称はやや日本的で「この作品の稽古場には馴染まない」と、多くの人に却下されてしまった。それでテラリンである。
  岡田浩暉さんは「ツブヅブ」である。なぜツブツブなのか、と言うと……

  (つづく)

| | コメント (1)

『GWTW』通信/特別編

  以下の文章は、ミュージカル版『風と共に去りぬ』博多座公演の稽古中(2006年9月)にこのブログに記した『GWTW』通信から、東宝での『風と共に去りぬ』上演史について触れた部分をまとめたものである。ご参考までに。 

■マーガレット・ミッチェルによる原作小説が刊行されたのは1936年のことで、4ヶ月で70万部を売り、同年のピュリッツァー賞を受賞した当時の大ベストセラーである。今でも新潮文庫で読むことができるが、これは全5冊に及ぶ大河小説である。
 
一般に馴染みが深いのは映画版の『風と共に去りぬ』であろうが、1939年に映画化されて同年のアカデミー賞を8部門で受賞した、上映時間4時間に迫る超大作である。日本でこの映画が公開されたのは、第2次世界大戦の影響で1952年のことであるが、以来繰り返し上映されて、その都度新しいファンを生み出して来た。
 
このベストセラー小説を世界で初めて舞台化したのが菊田一夫で、それは1966年のことであった。

■帝国劇場は1911年に開場した日本初の洋式劇場である。現在の帝劇は2代目で、1966年の9月に竣工した。そのオープニングとして、10月の歌舞伎公演に続いて11月3日から上演されたのが菊田一夫/脚本・演出による『風と共に去りぬ』で、これが世界初の舞台化であった。
 
この公演は翌年の4月2日まで続く大ロングラン公演だったのだが、この時上演されたのは「第1部」と銘打たれた前編で、ここではスカーレットのアトランタからの帰郷までが描かれた。後編に当たる「第2部完結編」は1967年の6月1日から帝劇で、こちらも3ヶ月に渡るロングラン興行であった。
 
現在の帝劇は、この時の『風と共に去りぬ』上演を想定して様々な舞台機構や設備が設計されたと聞く。地下6階にも及ぶ奈落、2層になった巨大な迫り、直径9間(けん)にも及ぶ回り舞台、舞台上下(かみしも)からセットを乗せたまま入ってくるスライディング・ステージ、奈落でセットごと舞台を差し替えるワゴン・ステージ、舞台後方からの映像投影を可能にするリア・スクリーンと映写室・・・。
 
これらを駆使した
『風と共に去りぬ』に、当時の観客は度肝を抜かれたに違いない。アトランタを脱出する場面の背景には、円谷英二による特撮の炎上シーンが用いられ、スカーレットたちを乗せた馬車を引いたのは生きた本物の馬であった。
 
ピットにはオーケストラも入っていたが、この時の『風と共に去りぬ』はミュージカルではなかった。当時はストレート・プレイの劇伴を生のオーケストラが演奏することがあったのである。
 
この舞台化の成功を受けて、当時東宝の演劇担当重役でもあった菊田一夫は『風と共に去りぬ』のミュージカル化に着手する。

ミュージカル『スカーレット』は1970年1月2日に帝劇でオープンした。菊田一夫が担当したのは製作・脚本で、演出・振付にはジョー・レイトンが、作詞・作曲にはハロルド・ロームがブロードウェイより招かれた。
 
 ジョー・レイトンは『サウンド・オブ・ミュージック』(振付)や『ワンス・アポン・ア・マットレス』(振付)、『バーナム』(演出・振付)などを手掛けた才人で、『ノー・ストリングス』(演出・振付)と『George M!』(演出・振付)でトニー賞の最優秀振付賞を受賞している。
 
ハロルド・ロームには『Pins and Needles』『Call Me Mister』などのブロードウェイ作品があるが、日本で比較的知られているのは『ファニー』だろうか。
 
ミュージカル
『スカーレット』の製作に当たっては、他にも美術、照明、衣裳、編曲などのスタッフがアメリカより招かれた。そして帝劇の様々な部屋が占拠され、昼夜を問わぬ作業が続けられたらしい。
 
このミュージカル『スカーレット』は1972年にはロンドンに上陸し、由緒あるドルリー・レーン劇場で5月3日から翌年の4月7日まで上演されている(タイトルは『Scarlett』ではなく『Gone With The Wind』に戻された)。これは日本発のオリジナル・ミュージカルの初めての輸出だったのではないだろうか。ミュージカルの上演に関しては、日本は未だに輸入超過のままである。
 
ややこしいのは、後に発表された『風と共に去りぬ』の続編小説(アレクサンドラ・リプリー/作)が同じ『スカーレット』と言うタイトルで、『スカーレット』と言う題名のままで帝劇で舞台化(1996年)もされていることである。
 
菊田版のストレート・プレイ『風と共に去りぬ』は初演の後も「総集編」が作られたり(1968年帝劇)、再演も行われたり(1974年、1987年)したのだが、ウエストエンドにまで進出した菊田版ミュージカル『スカーレット』の方は、その後国内で上演された記録が見あたらない。
 
『風と共に去りぬ』を新しくミュージカルにしたい、と聞かされたのは『ローマの休日』をミュージカル化してようやく一息ついた頃のことであった。

■1963年の『マイ・フェア・レディ』初演以来、東宝は翻訳ミュージカルのパイオニアとして数々の名作、話題作を上演して来た。が、その一方でオリジナルでミュージカルを製作する試みは、数える程しかリストに残されていない。
 
パラマウント映画『ローマの休日』を素材に日本人クリエイターの手でオリジナル・ミュージカルを作る、という企画がいつ、どのようにして出て来たものなのか、残念ながら私は知らない。私はその事実を1996年9月の新聞報道によって知ったのであった。私がその演出を担当する様に命じられたのは翌年の5月のことである。
 
1年半の準備期間を経て、ミュージカル『ローマの休日』は1998年10月1日に青山劇場でワールド・プレミアが行われた。幸いなことにこの公演は好評を博し、『ローマの休日』はその後大阪、名古屋、博多で上演され、2000年の3、4月には帝劇に凱旋した。更にその後韓国へ輸出され、韓国人スタッフ&キャストによる上演も行われたのである。
 
その好評を受けて(だろうと私は想像しているが)、東宝発のオリジナル・ミュージカル第2弾として企画されたのが
『風と共に去りぬ』であった(のだろうと私は理解している)。
 
脚本は『ローマの休日』も手掛けた堀越真さんで、菊田一夫の一連の脚本を元にはしているが、実際は堀越さんによる「ほぼ」書き下ろしである。
 
音楽(作曲、編曲、オーケストレーション、音楽監督)は佐橋俊彦さん。今年(註/この文章を書いた2006年)の『ウルトラマンメビウス』、去年(註/2005年)の『仮面ライダー響鬼』など、テレビの世界でも売れっ子だが、『テニスの王子様』『こちら葛飾区亀有公園前派出所』など、こつこつとミュージカル作りも続けてきた才人である。
『風と共に去りぬ』の縁で、『ミー&マイガール』の音楽監督も引き受けて貰った。
 
そして作詞はあの秋元康さんである。若い頃よりブロードウェイやラスベガスで本物のショーを観て来ただけあって、ミュージカルについての見識も想像していた以上に深い方であった。出来上がった
『風と共に去りぬ』の歌詞は「いわゆるミュージカル風」というものとは異質であるが、それこそが秋元さんがこだわったことである。

ミュージカル『風と共に去りぬ』は、帝劇初演とそれ以降とでヴァージョンが異なっている。改訂は台本、ミュージカル・ナンバーから舞台美術まで多岐にわたって行われた。
 
前作『ローマの休日』の時にも、上演の度に繰り返し手直しが行われたのだが、『風と共に去りぬ』は、帝劇初演から次の大阪梅田コマ劇場での再演まで1年以上間が空いていたこともあり、かなり大規模な改訂を一気にやり遂げた感じであった。大阪以降の再演は、この時の「梅田コマヴァージョン」にほぼ準じている。今回の博多座版もである。
 
前回、最後に『風と共に去りぬ』が帝劇で上演されてから今回の博多座再演までの間には3年の年月が流れている。そのせいか、稽古に入ってみて幾度となく「あれ・・・?」という瞬間に出くわした。
 
「あれ・・・?」というのは、「この場面に出ていたっけ?」であったり、「そっちに退場するんだっけ?」であったり、「こんなこと、やってなかったっけ?」と言った類のことである。
 
それは初演ヴァージョンと再演ヴァージョンがごちゃ混ぜになって記憶に残っていることに起因する混乱であった。やはり苦労した初演の時のことの方が強く残っているらしく、それが「あれ・・・?」という違和感を引き起こしたのである。
 
そう感じたのは私だけでなく、以前も参加していた人はほとんど全員、スタッフも出演者も、例外なく同じ感覚を味わった様である。
 
人の記憶ほど当てにならないものはない。(了)

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月4日(水)

  1幕中盤の「アトランタ駅」の場面を中心に稽古。

  ジョージア州の州都であるアトランタは、南北戦争当時はまだ歴史の浅い新興都市であった。原作小説には、この街がアトランタと命名されたのはスカーレットが生まれた年のことだという記述がある(それ以前はマーサズヴィルと呼ばれていた)。スカーレットとアトランタは同じ歳なのであった。
  ここを中心として鉄道網が広がったことから街は発展し、南北戦争時には南軍の重要な軍事拠点のひとつとしても機能していた。
  『風と共に去りぬ』では、スカーレットの生まれ育ったジョージア州北部クレイトン群の「タラ」(この地名はフィクション)と、ここアトランタが物語の主要な舞台となっている。アトランタにはアシュレと結婚したメラニーの実家があり、出征したアシュレを待つ間、メラニーは叔母のピティパットとアトランタで暮らすことになる。
  メラニーの兄チャールズ・ハミルトンと結婚したスカーレットも、メラニーに呼び寄せられアトランタへ向かう。そして・・・・・・。

  明日は稽古OFF。明日の『GWTW」通信は特別編。

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月3日(火)

  昨日の2シーンを整理した後、それに続く「銃後のアトランタ」のシーンを稽古。
  昨日の2シーンとは一転、ここは少人数のシーンである。このダイナミックなメリハリが『風と共に去りぬ』の楽しさでもある。

  稽古初日からの3~4日は、キャストの皆さんを名字で、「さん」付けで呼んでいた。ベテラン、新人の分け隔てなく、全員平等にそうしていた。
  この作品で初めて共演する、と言うキャストが結構多いので、稽古の中でできるだけ多くの方の名前を呼ぶことで、初対面のキャスト同士が顔と名前を知る機会になれば、と考えたからである。この稽古場では全員が平等なんですよ、という演出家の意思表示のつもりもあった。
  が、その作戦を終了して、皆さんを愛称で呼ぶ作戦に移行することにした。初対面同士のよそよそしさを早く払拭してもらいたいのと、稽古場を居心地の良い、寛いだ場所にしたいからである。

  振付の広崎うらんさんは、愛称「うーちゃん」で呼んでもらうことを自ら推奨している。ベル・ワトリング役の高橋ひとみさんは、以前ご一緒した時の「とみひー」で行くことに。メラニー役の紫吹淳さんは元タカラジェンヌさんなので、既に愛称「リカ」をお持ちである。米倉さんは「よねちゃん」が定番らしい。

  「山田くん」と呼んでください。

| | コメント (1)

『GWTW』通信

5月2日(月)

  立ち稽古。「タラ・オハラ邸での園遊会」、「アトランタ・南軍支援のバザー会場」を稽古。

  帝劇の初演版(1966)では、園遊会のエピソードだけで1幕全部を使っていた。南北戦争開戦の知らせが届き、チャールズ・ハミルトンがスカーレットに結婚を申し込んだところで休憩、なのであった。
  それは、当時が現在よりも悠長な時代であったことの反映でもあるだろうし、その時の上演が「スカーレットがアトランタを脱出し、タラへ帰還するまで」、つまり物語の前半だけを取り上げていた(「第1部」と銘打たれていた)から、でもあるだろう。
  今回の『風と共に去りぬ』は、チラシにもある通り『「第1部」「第2部」一挙上演』である。なのでストーリーも目まぐるしく進む。そして稽古も、初日で1幕の半分近くに手をつける、と言う目まぐるしさなのであった。

  「園遊会」も「バザー会場」も、大人数が入れ替わり立ち替わりして様々な情報を観客に届けなければならない場面なので、登場人物の交通整理をするだけでもかなりの時間を費やす。部分を部分として成立させながら、同時に全体も成立させなければならないのに手間がかかるのである。

  明日は今日のおさらい。そして、それに続く場面の稽古。

| | コメント (0)

『GWTW』通信

5月1日(日)

  顔寄せ。

  総勢46名のキャスト全員が揃った。初めて帝劇に出演される方から1966年の『風と共に去りぬ』初演に出演されていた方まで、多士済済の豪華キャストである。
  顔寄せではキャスト、スタッフ、公演関係者が紹介され、主催者を代表して東宝の増田専務、大阪公演を主催される讀賣テレビの伊藤さんが、そしてキャストを代表して米倉さんがご挨拶。私も、「開場から100年経っても帝劇は新しくて面白そうなことをやっている、と言われる様な『風と共に去りぬ』を作りたい」と抱負を述べる。

  顔寄せ後は読み合わせ。全キャストで全編を読んでみる。更にその後、バザー場面のダンス稽古、長い一日を終えた。
  明日から立ち稽古。スカーレット・オハラの波乱万丈の人生が幕を開ける。

| | コメント (0)

『GWTW』通信

4月30日(土)

  バザーのダンスの後半を振り付け。そしてアトランタ駅頭の風景を作る。

  この3日間でモブ・シーン(大人数が登場する場面)3つの段取りを付けたのだが、一昨日の日記にも記した様に、こう言うシーンを作るのが年々しんどくなって来た。演出を始めたばかりの頃は、こう言う場面を作るのが大好きだったのだが。
  広大な舞台を縦横無尽に使って人々を動かし額縁全体でストーリーを語るのは、大劇場ならではの醍醐味である。演出を始めた頃は私もその醍醐味に心を躍らせていたのだが、こう言う場面をきっちりと作るのにはそれなりに時間が掛かるし、下準備も欠かせない。
  もちろん今でもこう言うシーンの稽古ではワクワクするのだが、稽古後に、以前は感じなかった、それほど心地よく無い疲労感も感じる様になって来たのである。家に着く頃にはもうぐったりである。

  この先にもアトランタを脱出するシークェンスや、戦後の復興するアトランタなど、モブ・シーンは多い。が、ひとまずは今日で区切りをつけて、明日は顔寄せ。そしてキャスト全員での読み合わせ。

| | コメント (1)

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »