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2011年4月の記事

『GWTW』通信

4月29日(金)

  バザーのダンスの振り付け、そしてそのダンスに至るまでのバザー会場の「風景」を作る。

  昨日、今日と稽古メニューの中心は振り付けだが、今回の『風と共に去りぬ』はミュージカルではない。ストレート・プレイである。
  昨日の『GWTW』通信でご紹介した帝劇での上演記録で、特に「ミュージカル」と記されていないものはストレート・プレイである。つまり、1966年の帝劇初演はミュージカルでは無かったのである。ミュージカルでは無いのに5カ月以上のロング・ランを行った、という事実が、ミュージカル全盛の現在ではちょっと想像し辛いかもしれない。

  今回の『風と共に去りぬ』はストレート・プレイだが、当時の菊田一夫さんの演出を再現するものではない。今までの全ての『風と共に去りぬ』に敬意を払いつつ、今回のキャスト&クリエイティブ・チームの力を借りて、まったく新しい『風と共に去りぬ』を再創造しようと言うのが私たちのスタンスである。

  明日も振り付け。ミュージカルじゃないのに。

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『GWTW』通信

4月28日(木)

  『風と共に去りぬの稽古が始まった。

  『風と共に去りぬ』は、マーガレット・ミッチェルが1936年に発表した、アメリカの南北戦争時代を舞台にした大河小説である。発売4ヶ月で70万部を売る大ベストセラーとなり、同年のピュリッツァー賞を受賞した。
  これを世界で初めて舞台化したのが、菊田一夫/製作・脚本・演出による帝劇グランド・ロマン『風と共に去りぬ』である。1966年11月3日に初日を迎え、翌年の4月2日まで続く大ロング・ラン公演であった。
  帝劇での、その後の『風と共に去りぬ』上演史は公式ページに詳しいのでそちらに譲るが、この作品が帝劇開場100周年を記念する1本に選ばれている理由はお分かりいただけるだろう。

  稽古は、アトランタのバザー会場でのダンスの振り付けからスタートした。振付は広崎うらんさんである。そしてその後、この作品の幕開きとなるオハラ家の園遊会の段取りを付けた。南部の上流階級に属する人々がさざめき合う風景をざっくりと作らせてもらったのだが、どちらの場面もまだストーリー部分には手を付けていない。
  ダンスや、大勢が登場するモブ・シーンの稽古には、とにかく時間が掛かるのである。なので、ストーリー部分の稽古の前に、1日かけて2つのシーンを当たらせてもらった。

  明日もダンス。そして別のシーンのさざめき合い。大勢がさざめき合う場面を演出するのは結構消耗する。10年前はそれほどでもなかったのだが。

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アカデミー、『GWTW』通信、そして送別会

4月27日(水)

  午前中は東宝ミュージカルアカデミーへ。

  先週まで2週間かけて歌稽古したナンバーを、今日からは動いてやってみる。つまり「立ち稽古」。
  譜面と台本の上ではスムーズに通る様になっていた場面も、ひとたび立って動いてみると、歌稽古の段階では想像もしていなかったような様々な不都合が続出する。逆に言うと、歌稽古の段階で「動いた時の様子」がイメージできていれば、今日のような事態は回避できるのだ、と言う話でもある。
  今の内に色々な困難を経験しておいて欲しい、と思う。それが君たちひとりひとりの武器になるのだ。

  午後は『風と共に去りぬ』の稽古場へ。

  いよいよ『風と共に去りぬ』が本格始動である。と言っても、今日はまだ稽古ではない。今日は、今後の作業を手際良く進めるための採寸と、ヘア・ウィッグのフィッティングであった。
  だが、折角大勢のキャストに足を運んでいただいているので、皆さんとお目に掛かることにした。で、声を聞かせてもらったり、初対面の人には自己紹介したり、近況報告をし合ったり……、稽古に入る為の情報交換をさせてもらった。
  お陰で明日からの稽古のイメージが掴み易くなった。大助かりである。皆さん、ありがとうございました。

  夜は送別会へ。

  長年、帝劇の支配人を務めて来られた田島尚史さんが、このほど映画演劇文化協会に出向されることになった。で、その送別会が行われ、多くの関係者が集まった。
  田島さんは物知りなことで有名であった。例えば、歌劇団の生徒のことに実に詳しかったりするのだが、その膨大な知識は、東京宝塚劇場に勤務されていたから身に着いた、と言うレベルではない。田島さんは、もはや「歩く宝塚おとめ」である。
  『ウェディング・シンガー』をニューヨークで観劇した夜、一緒に繰り出したことも懐かしい。田島さんは根っからの芝居好きでいらした。

  新天地での益々のご活躍をお祈りいたします。

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『ウェディング・シンガー』通信 ロビー&ジュリア・リターンズ

4月26日(火)

  3月6日にシアタークリエから始まった2011年の『ウェディング・シンガー』も、遂に今日の日本青年館で大千穐楽。

  会場では、お客様のひとりひとりにペンライト……というか、コンサートなどで振る、色の変化するライトが配られた。1曲ごとに手拍子、拍手が巻き起こり、日本青年館は確かにコンサート会場の様な盛り上がりであった。その様子などは、いつもの様に公式ブログにUPされている。
  終演後には、打ち上げ公演ならではのキャスト全員参加によるトーク・ショーが行われた。そして、キャスト全員がサインをしたチャリティTシャツ購入権の抽選、更にペンライトを使って、会場全員参加でのオープニング・ナンバー「君の結婚式」と続いた。

  関係者一同心待ちにしていた2011年の『ウェディング・シンガー』は幕を閉じた。キャスト&スタッフの皆さん、お疲れ様でした。そして『ウェディング・シンガー』を愛して下さった全ての方、ありがとうございました。
  井上芳雄さんによると「もしかしたら再々演?」があるかもしれない、と言うことである。その日を首を長くして待ちたいと思う。そしてその時は、今回叶わなかった盛岡市民文化ホールへ行くことができます様に。

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第36回菊田一夫演劇賞

4月25日(月)

  東京會館へ。菊田一夫演劇賞の授賞式。

  一般社団法人映画演劇文化協会の主催する菊田一夫演劇賞も36回目となる。今年度も昨年度同様に、受賞者の全員が(大賞の平幹二朗さんから特別賞の大地真央さんまで)以前お仕事でご一緒したことのある方々であった。
  その中で、大塚千弘さん(4月1日より、今までの「ちひろ」を本名の「千弘」に戻された)が『ゾロ  ザ・ミュージカル』、そして私の演出した『レベッカ』での受賞であった。

  今年は帝劇開場100周年の記念すべき年で、その記念公演の1本に、菊田一夫さんが精魂を込められた『風と共に去りぬ』が選ばれている。
  菊田一夫演劇賞の趣旨には「……菊田一夫氏の業績を永く伝えるとともに、……大衆演劇の舞台ですぐれた業績を示した芸術家を表彰する」とあるのだが、私たちの『風と共に去りぬ』も、菊田さんの業績を永く伝える一助になれば、と願う。

  受賞者の皆さん、おめでとうございます。益々のご活躍を楽しみにしています。

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『三銃士』

4月24日(日)

  『三銃士』の舞台美術打ち合わせ。

  今日は17世紀のパリである。ここのところ19世紀のアメリカ南部にいることが多いので、頭を切り替えなければいけない。
  『三銃士』の美術デザイナーは大田創さんである。今日は大田さんの他、照明デザイナーの服部基さん、振付の田井中智子さん、舞台監督の廣田進さん、演出助手の末永陽一さん、そして演出部や東宝舞台の皆さんなどが集まった。
  既に何度も打ち合わせを重ねているので、舞台の全体像はほぼ出来上がっている。後は細部を洗練させることと、製作上の技術的な点をクリアにすること、それに予算内に納めることであろう。

  『三銃士』も帝劇開場100周年を記念する1本である。それに相応しい、華やかな舞台になる様に、関係者一同知恵を絞っている。

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『ニューヨークに行きたい!!』

4月22日(金)

  帝劇開場100周年記念公演の1本『ニューヨークに行きたい!!』の打ち合わせ。

  『ニューヨークに行きたい!!』はドイツのハンブルクで初演されて大ヒットしたミュージカル・コメディである。
  ドイツ語圏ではとてもポピュラーな歌手/ソングライターのウド・ユルゲンスの数々のヒット曲を散りばめたジュークボックス・ミュージカルで、現在はウィーンとシュトゥットガルトで上演中。ウド・ユルゲンスは、日本ではペドロ&カプリシャスが歌った「別れの朝」(1971年)で知られているが、『ニューヨークに行きたい!!』には「別れの朝」は使われていない。

  翻訳ミュージカルを準備する際に神経を使うのは、原語をどんな日本語に置き換えるか、である。その作業を進めるためには、元々の意味やニュアンスをしっかりと把握する必要がある。
  『ニューヨークに行きたい!!』はドイツ語で書かれている。日本語に翻訳された準備用の粗訳台本は既にあるのだが、それを読んでも意味やニュアンスが良く分からない部分が出てくる。原語が英語である場合は、それに当たることである程度は理解できる場合が多いのだが、ドイツ語となるともうお手上げである。
  で、『ニューヨークに行きたい!!』のプロダクション・コーディネーターで、ウィーン在住の(ドイツ語やドイツ語圏の文化に堪能な)小熊節子さんが来日されたので、訳詞の高橋亜子さん、上演台本の飯島早苗さん、それに私でお目に掛かって、色々なことをレクチャーしていただこう、と言うのが今日の打ち合わせの目的なのであった。

  『ニューヨークに行きたい!!』は10月29日初日。お楽しみに。

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日大藝術学部演劇学科

4月21日(木)

  日大藝術学部演劇学科の授業も先週から始まっている。

  演出コース1年生の科目「演出実習Ⅱ」が私の担当する授業である。早いもので、日藝の所沢校舎に通う様になって7年目になる。
  学生たちの雰囲気、と言うか印象は年度ごとに結構異なっている。これは、私が日藝で教え始める時に恩師がおっしゃっていたことなのだが、確かにその通りである。今年度の演出コース1年は17名。男女比は相変わらず女子が多い。
  ここ数年の傾向として、学生たちが素直で積極的になっている気がする。今年度の第一印象もそうなのであるが、第一印象と言うものは案外当てにならない。ゴールデン・ウィークが明ける頃には、ひとりひとりの個性も見えてくる筈だし。

  午後は『風と共に去りぬ』の舞台美術打ち合わせ。

  『風と共に去りぬ』の準備も着々と進んでいる。先週から今週にかけて、衣裳打ち合わせ、音楽打ち合わせ、アクション打ち合わせ、音響打ち合わせ、子役さんのオーディション、そして製作発表をこなした。
  映画とそのメイキング映像も久し振りに観た。何度観ても素敵な映画だと思う。原作も読み返しているのだが、何しろ文庫で5冊に及ぶ長編なので、果たして稽古開始までに読み終えることができるかどうか。早く稽古に入りたくてわくわくする気持ちと、まだ始まらないで欲しいという不安な気持ちが入り混じる今日この頃である。

  菊田一夫さんもそうだっただろうか。

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東宝ミュージカルアカデミー

4月20日(水)

  東宝ミュージカルアカデミーの今年度(6期生たち)が先々週から始まっている。

  昨年度までは毎週火曜日の午前中を受け持っていたのだが、今年度からは水曜である。5年間続いていた習慣なので、それを変えるのにはいささか骨が折れる。
  私のクラスでは毎年度、東宝で上演されたミュージカルをテキストにしている。あるナンバーを選び、音を取り、歌稽古をし、動きを付け、最終的にはシーンとして仕上げる。つまり、実際にミュージカルを上演する時と同じプロセスを受講生たちにも体験してもらっているのである。

  東宝ミュージカルアカデミーでは「歌、踊り、演技」の3つでカリキュラムが組まれている。それぞれが受講生たちにとっては大切なレッスンなのだが、実際のミュージカルでは歌いながらも踊るし、踊っている時も芝居である。
  なので、私のクラスは「演技」のクラスではあるのだが、ピアニストさんもいるし、テキストが譜面であることも多々ある。そして、演技として歌うことや演技の中で踊ること(踊ることは滅多にないが)など、音楽の流れの中で演じる経験を積むのである。

  話はがらりと変わるが、先日の『風と共に去りぬ』の製作発表の様子が公式ページにUPされている。こちらからどうぞ。

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『風と共に去りぬ』製作発表

4月18日(月)

  グランドプリンスホテル高輪にて『風と共に去りぬ』の製作発表。

  『風と共に去りぬ』は、1936年に発表されたマーガレット・ミッチェル作の大ベストセラー小説であるが、馴染み深いのは3年後に公開された映画版だろう。映画が日本で公開されたのは太平洋戦争の影響もあって1952年になるのだが、この映画と小説は日本でも大いに愛された。
  その名作が世界で初めて舞台化されたのが帝劇であった。菊田一夫氏の製作・脚本・演出で、2代目となる現在の帝劇のオープニング公演として、1966年11月3日より翌年の4月2日まで、驚異的なロングラン公演を行った。

  そのオープニング公演で上演されたのは、「主人公スカーレットが、戦火に見舞われたアトランタを逃れて生まれ故郷のタラに戻るまで」の部分である。これを「第1部」と称した。翌年には物語の後半が「第2部」として上演され、更に後年、第1部と第2部を合わせた「総集編」も作られた。
  1970年には『スカーレット』のタイトルでミュージカル化され、2001年には『風と共に去りぬ』のタイトルで2度目のミュージカル化もなされた。『風と共に去りぬ』が帝劇開場100周年記念公演の1本に選ばれているのは、そう言う経緯に因るのである。

  さて、本日の製作発表であるが、スカーレット役の米倉涼子さん、レット役の寺脇康文さん、メラニー役の紫吹淳さん、アシュレ役の岡田浩暉さん、ベル・ワトリング役の高橋ひとみさん、そして私が登壇した。キャストの5人は扮装である。
  それぞれがこの作品に取り組むにあたっての抱負を述べ、その後取材の皆さんとの質疑応答、そしてスチール&ムービーの撮影と進んだ。その様子は明日のスポーツ紙やワイドショー、ネットのニュースなどでご覧いただける筈である。

  『風と共に去りぬ』は、まず大阪の梅田芸術劇場メインホールで6月3日より12日まで上演される。そして帝劇では6月18日より7月10日まで。
  単なる再演では無い、新しい『風と共に去りぬ』を作りたいと思う。

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『ALive Ⅱ』通信 大阪編・最終回

4月10日(日)

  4月1日に赤坂ACTシアターで始まった瀬奈じゅんConcert『ALive Ⅱ~Handsome Woman』も、本日遂に大千穐楽。回を増すごとに盛り上がりを増し、今日のNHKホール大阪も昨日以上に熱かった。

  『ALive Ⅱ』は、私にとっても忘れられない作品になった。それはあの震災に因るところが大きい。が、震災に伴う様々な困難が忘れられないのではなく、その困難を乗り越えるために人々が連帯している、と言う事実が忘れ難いのである。
  初めは稽古場内での小さな連帯であった。が、たとえ小さくても、その連帯が『ALive Ⅱ』の参加者ひとりひとりをどんなに力づけたことか。
  初日が開くと、舞台と客席の間により大きな連帯が生まれた。更に、幕が降りた後も、義援金箱を持ってロビーに立つ瀬奈さんを中心に、劇場の枠を超えた連帯があった。

  『ALive Ⅱ』を通して私が得たのは、「人間はひとりでは生きられない」と言う、ごく当たり前の教訓であった。私は『ALive Ⅱ』に、「多くの困難から目を背けないことの大切さ」を教えられた。人と人の出会いに、人と人を出会わせてくれる劇場に、いま改めて感謝したい。

  大阪から帰京する新幹線の中で、名古屋での『ウェディング・シンガー』を終えた井上芳雄さんと偶然遭遇した。チーム『ウェディング・シンガー』は、引き続き各地の劇場に出かけている。

  いつまでも、劇場が「人と人を繋ぐ場所」であり続けます様に。

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『ALive Ⅱ』通信 大阪編

4月9日(土)

 『ALive Ⅱ』大阪初日。

 ご来場くださった皆さん、ありがとうございました。昼、夜、共に大変な盛り上がりで、キャスト&スタッフ一同、それに大いに元気づけられました。特に、夜の部の「Apassionado!!」以降。場内総立ちであった。
 客席の熱気は舞台上をヒートアップさせる。ヒートアップした舞台が客席を更に熱くする。これはライヴの理想的な形だと思うが、『ALive Ⅱ』では毎回、この舞台と客席の理想的な(と同時に奇跡的な)関係を見ることができた。

 そんな『ALive Ⅱ』も遂に明日で大千穐楽。最後の瞬間まで無事であります様に。

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『ALive Ⅱ』通信 大阪編

4月8日(金)

 大阪に来ている。『ALive Ⅱ』大阪公演のためである。

 『ALive Ⅱ』の大阪公演は谷町四丁目のNHK大阪ホールで行われる。私は初めて訪れる劇場なのだが、東京の会場だった赤坂ACTシアターとはまた違った、木の温もりが感じられる柔らかな雰囲気の空間である。それが『ALive Ⅱ』にどう作用するのか、とても楽しみである。
 今日は終日スタッフ・ワーク。朝から搬入・仕込み、そして諸々の作業。キャストは明日の朝イチから、場当たりを兼ねたサウンド・チェック。ただし、明日は昼夜2回公演なので、持ち時間はごく僅か。とても全曲を当たっている暇はない。

 と言うわけで『ALive Ⅱ』大阪公演、初日の明日は12:30と17:30の2回公演である。劇場近くの大阪城公園の桜も今が正に見ごろである。お待ちしています。

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『ALive Ⅱ』東京千穐楽

4月5日(火)

  1日より始まった『ALive Ⅱ』、本日無事に千穐楽。ご来場下さった皆さん、本当にありがとうございました。
  引き続き『ALive Ⅱ』は大阪で、4月9日、10日と公演される。残すところ3ステージであるが、回を重ねるごとにメリハリ、緩急と言った部分がこなれて更に良いショーになった『ALive Ⅱ』である。大阪ではもっともっと良くなるだろう。

  赤坂ACTシアターには連日大勢のお客様に越しいただいた。少なくとも東京では、劇場へ出かける余裕が戻りつつある、と感じた。が、チケットをお求めになったのにご来場いただけなかったお客様も毎公演いらっしゃった。

  劇場に出かけることを心の底から楽しめる日が、1日も早く訪れます様に。

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6期生入学式 そして第36回菊田一夫演劇賞

4月4日(月)

  東宝ミュージカルアカデミー6期生の入学式。

  と言うことは、東宝ミュージカルアカデミーも設立から6年目を迎える訳である。その間には多くの卒業生が羽ばたいて行った。
  東宝ミュージカルアカデミーの公式ページ左側にあるカテゴリー最下段「卒業生の活躍」をクリックすると、卒業後の皆の足跡を見ることができる。例えば、間もなく初日を迎える今期の『レ・ミゼラブル』には9人の卒業生が出演する。コゼットやエポニーヌにキャスティングされた者もいる。
  6期生のアカデミー生活は始まったばかりであるが、1年は「あっ」という間に過ぎる。1日1日を大切に過ごして欲しいと思う。

  話は変わるが、4月4日は菊田一夫氏の命日である。菊田一夫演劇賞の受賞者は、毎年この日に発表となる。36回目となる今回も、例年通りに今日、受賞者が発表された(こちらから)。
  今年も嬉しい名前が受賞者に並んだ。皆さん、おめでとうございます。

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『ALive Ⅱ』通信 初日

4月1日(金)

  朝から照明の直し。照明デザイナーの原田保さんは、より良い明りを目指して貪欲である。
  お昼から、昨日消化しきれなかった部分の舞台稽古。更にその後、通し舞台稽古(ゲネプロ)。ゲネプロ終了後も、原田さんは開場時間まで明かりを直していた(終演後も)。

  『ALive Ⅱ』は開演の45分前にロビーが開場し、30分前には客席も開場となる。初日の今日は沢山のお客様がご来場下さった。
  定刻通り、19時に開演し、休憩なしで1時間20分余り。コンパクトではあるが、今やれることを精一杯やり切った、我々としては悔いのないショーに仕上がった。

  今日は瀬奈じゅんさんのお誕生日であった。今の時期なので盛大に祝うことは準備していなかったのだが、せめてみんなで「ハッピー・バースデイ」を歌おう、と言う話になり、カーテン・コールで、瀬奈さん以外のキャストとお客様とで、アカペラで合唱をした。
  それはとても感動的なひと時だったのだが、感極まった瀬奈さんが大切なインフォメーションを忘れて舞台を降りてしまった。終演後、瀬奈さんは募金箱を持って劇場ホワイエに立つ手筈なのだが、そのことをお客様に告げずにホワイエに向かってしまったのである。
  そのことを告げられなかったお客様は、当然のことながら拍手を続けて席を立とうとなさらない。止むに止まれず、私が緞帳前に出て事の次第を説明する羽目になった。

  募金は強制でも何でも無いが、大変多くのお客様のお心が集まった。瀬奈さんは明日以降も毎日、終演後のロビーに立つ。

  これで『ALive Ⅱ』通信はお終いである。ご愛読いただきありがとうございました。次は『GWTW』通信。本格的なスタートは今月下旬の予定である。

  赤坂ACTシアターの前では枝垂桜「三春桜」がたわわに花を開いていた。どんなに切ない年にも春は訪れるのである。

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『ALive Ⅱ』通信 ミニ

3月31日(木)

  朝から照明合わせ、そしてサウンド・チェック。15時より舞台稽古。最後のブロックが残る。
  明日は今日残った所を稽古した後、GP。そして初日。19時開演。

  赤坂ACTシアターでお待ちしています。

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