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2010年9月の記事

演出助手募集!

9月27日(月)

  東宝演劇部が演出助手、並びにプロデューサーを募集している(詳細はこちらから)。

  東宝演劇部では、不定期で何年か置きに、このように演出助手とプロデューサーを採用しているのである。
  どの様な人材が望まれているのか、と言えば、意欲的で向上心に富み、素直で明るく熱心で、指示待ちをせず自分から仕事を発見して処理し、様々な世代・職種の人たちとコミュニケーションを取ることが上手……、そんな人間である。
  それなら何も東宝に限らない?  そうかもしれない。だが、と言うことはつまり、東宝で無くてもどこででもやって行ける能力を備えた、当たり前のことが当たり前のようにできる人間こそが必要とされている、と言うことなのではないだろうか。

  もっとも、上に記したのは私個人の意見である。直接の先輩となる現役の演出部の皆さんや、共に仕事をすることになるプロデューサー、或いは劇場の方々、俳優さん、デザイナーの皆さん、または演劇部で業務管理にあたっている方々……、「演出助手にはこうあって欲しい」と望む像は、それぞれで異なっているに違いない。
  何れにせよ、何事も前向きに捉えられる人であって欲しいと思う。それひとつで、現場をいくらでも創造的にして行けると思うからである。

  ご応募を心よりお待ちしています(と言っても、私が募集をかけた訳ではもちろん無いのだが。でも採用になれば、演出家と演出助手は一蓮托生で芝居を作ることになるので)。

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またまた ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために!

9月26日(日)

  帝劇へ。『三銃士』の衣裳打ち合わせ。

  『三銃士』の衣裳デザイナーは前田文子さんである。前田さんとは以前『ハゲレット』や『謎の下宿人』でご一緒した。今度の『メリー・ウィドー』も前田さんのデザインである。
  大抵の場合、本編の衣裳打ち合わせに先駆けて、まずは宣伝用スチールのためのデザインの打ち合わせが行なわれる。「飽くまでも宣伝写真だけ」と割り切って、本編とは異なるイメージの衣裳でスチールを撮ることも多いが、『三銃士』はそうではない。スチールのために製作された衣裳は、本公演にも登場することになる。
  今日の打ち合わせの趣旨は、チラシ、ポスターに載る12人のデザインに関する意見交換だったのだが、作品全体の衣裳に関するコンセプトを話し合わないことには、スチールのためのデザインの根拠も見えてこない。結局は香盤表を広げて、全体の衣裳デザインについてのディスカッションから始めることになった。

  実は、1週間前の日曜日(19日)も『三銃士』の打ち合わせであった。19日は翻訳・訳詞の竜真知子さんとのミーティングだったのだが、来年の夏に向けて、僅かずつではあるが着々と、準備は動き出している。

  お楽しみに。

 

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演劇学科60周年 そして『メリー・ウィドー』

9月25日(土)

  日本大学藝術学部演劇学科は今年で創設60周年である。それを記念する祝賀会が、新宿のハイアット・リージェンシーで行われた。

  何しろ60年である。その間の卒業生も相当な人数になるだろう。今日も、広い会場が様々な世代の方々で大いに賑わっていた。
  私の同期生も6人程見かけたが、我々の期は昨年同期会を行っているので、それ程の懐かしさは無い。が、すぐ上や下の学年では「卒業以来」と言う方も多く、懐かしがる以前に、誰だったのかを確認する手続きがひとしきり必要であった。
  しかし、さすがに「演劇」を専攻する学科なので、卒業生にも演劇界やその周辺で活躍する方が多い。普段仕事で、同じ演劇学科の卒業生という認識無しにお付き合いのある方も結構いらしたのであった。
   今日、会場で個人的にお話しさせていただいた方で、私が良く記憶していなかった様子に思えた方は本当にごめんなさい。お話した後で思い出したり、未だに思い出せていなかったり……、時の流れは残酷だなぁ。
  それはともかく、演劇学科は今年60周年であると共に、6年に及んだ江古田キャンパスのリニューアル工事完成の年でもある。そう言う意味で、今日は二重におめでたいのであった。

  祝賀会の後は『メリー・ウィドー』の打ち合わせへ。今日は、今回の指揮を担当される下野竜也さんとの顔合わせであった。
  下野さんは、つい先日のサイトウ・キネン・フェスティバル松本で、小澤征爾総監督に代わってオーケストラ・コンサートの指揮をされた、あの下野さんである。今回の『メリー・ウィドー』は5年振りの再演で、出演者も大幅に入れ替わり若返っている。そして、指揮者もひと世代若返るのである。
  今日は「音楽の行き方」や「挿入曲」などについての意見交換が主な議題だったのだが、下野さんはとても穏やかで、優しそうな方で、実はとても人見知りの私は大いに安心したのであった。

  今回の『メリー・ウィドー』には、東宝ミュージカルアカデミーの卒業生で、『ミス・サイゴン』や『レ・ミゼラブル』にも出演した(来年の帝劇100周年にも出演)鎌田誠樹さんが、二期会の皆さんに交じって登場する。
  但し、歌のソロはないので、彼の美声は残念ながらご堪能いただけないのだが。

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井上芳雄10周年記念コンサート

9月18日(土)

  青山劇場へ。井上芳雄さんのデビュー10周年を記念したコンサートを観る。

  コンサートは2部構成で、1部では今迄に出演された数々のミュージカルからのナンバーを、2部ではジャズやポップス、ソンドハイムなどを歌われた。
  2部の途中にはゲスト・コーナーがあり、日替わりで、井上さんと縁のある様々なゲストが登場する趣向になっている。今日のゲストはラブリーな初風諄さんであった。

  井上さんと私の出会いは、2003年に青山劇場で上演されたミュージカル『シンデレラストーリー』までさかのぼる。2000年に『エリザベート』で彗星の様にミュージカル界に登場した井上さんは、その頃「ミュージカルのプリンス」と呼ばれていた(今も、ですか?)。そして、ミュージカルのプリンスが「プリンス」を演じる、と言うのが『シンデレラストーリー』の売りのひとつであった。
  井上さんとは、その後『ミー&マイガール』『ウェディング・シンガー』でご一緒し、来年は『ウェディング・シンガー』の再演と新作『三銃士』が控えている。井上さんの様々なレパートリーの中では、私は「愉快な作品」部門の担当なのである。

  井上さんと仕事をしていて、或いは井上さんの舞台を拝見して感じるのは、井上さんの中にある「何が何でもこれをやり遂げる」と言う強力な意志である。
  舞台を、役を、そのナンバーを「引き受ける」と言う気概、と言っても良いのだが、それは、良い俳優が備えているべき最も大切な条件のひとつだと私は思っている。つまり、井上さんは「良い俳優」なのだと私は思う。

  井上芳雄さん、10周年おめでとうございます。

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ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために!

9月12日(日)

  帝劇へ。今日と明日の2日間、ミュージカル『三銃士』のアンサンブル・オーディションが行われるのである。

  『三銃士』は、フランスの作家アレクサンドル・デュマによる小説を原作とした大ヒットミュージカルである。2003年にオランダで初演され、その後ドイツ、ハンガリーでも上演された。来年創立100周年を迎える帝劇の記念公演のひとつでもある。
  オーディションでは、今日と明日とで、歌とダンス(加えて男性はアクション)を見せてもらうことになっている。『三銃士』は、現代のミュージカルの例に洩れず、難易度の高いコーラスがふんだんに登場する。ダンスナンバーも幾つかあり、そしてもちろんチャンバラもある。何しろ恋と友情と裏切りと信頼の大冒険ロマン活劇なのである。必然的に、オーディションの項目も多岐に渡ることになる。

  1日目の今日は皆さんの歌を聞かせてもらった。オーディションの結果は明日を待たなければ分からないのだが、とにかく今日は素晴らしい時間の連続であった。参加して下さった皆さんに心より感謝と敬意を表したい。
  明日はダンスとアクションである。今日に勝るとも劣らない1日になります様に!

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谷啓さんのこと

  谷啓さんが亡くなられた。

  谷啓さんとは、2005年の9月にル・テアトル銀座などで上演された『好色一代女』でご一緒した。この時、谷さんは、“好色一代女”花子の年老いた奉公人・弥助を演じてくださった。しきりに「台詞が頭に入らないんですよ」とこぼしていらしたことが思い出される。
  私が演出家になる以前、演出部時代にも『佐渡島他吉の生涯』(1985年/東京宝塚劇場)、『レインボー通りの人々』(1992年/同劇場)でご一緒した。どちらも森繁久彌さんの主演作であるが、谷さんは『佐渡島……』では活動弁士・橘玉堂(たちばな・ぎょくどう)、『レインボー……』では出版社の社長役であった。

  『佐渡島……』の時のことである。
  当時日比谷に、輸入レーザーディスクを扱っている店があり、私はそこで、しばしば古いハリウッド映画のレーザーディスクを購入していた。その中の1枚にアメリカの喜劇俳優ダニー・ケイの主演作があったので、舞台の合間に、谷さんにそのレーザーディスクのジャケットをお見せしたことがあった。谷さんは、芸名に「たに・けい」と付ける程のダニー・ケイ・ファンである、と伺っていたからである。
  谷さんは暫くジャケットを眺められた後に、「これ、お借りしてもいいですか?」とおっしゃった。そんな展開になろうとは想像もしていなかったのだが、もちろん否やのあろう筈もない。我が国のダニー・ケイ・ファンを代表する方に、ダニー・ケイのレーザーディスクをお貸しするのである。いち映画ファンとして、これに勝る喜びがあるだろうか。因みにそれは“The Court Jester”(邦題『ダニー・ケイの黒いきつね』)であった。
  数日後、谷さんが直接レーザーディスクを戻してくださった。
  「どうもありがとうございました。」
  どんな時でも物静かな谷さんであった。

  ご冥福をお祈りいたします。

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劇団東宝現代劇

9月11日(土)

  東京芸術劇場へ。劇団東宝現代劇75人の会の公演『喜劇 隣人戦争』を観るためである。

  劇団東宝現代劇は、昭和32年に結成された歴史ある劇団である。『ラ・マンチャの男』のサンチョや『放浪記』の菊田一夫を長年演じていらした故・小鹿番さんや、『ミー&マイガール』のチャールズ、『ジキル&ハイド』のプールを演じてくださった丸山博一さんは劇団の1期生である。小鹿番さんの演じた菊田一夫氏が劇団の生みの親であった。
  私が東宝に入った頃は、今ほどミュージカルの上演本数は多くなく、ラインナップの主流は「商業演劇」と呼ばれた大劇場演劇のストレート・プレイであった。代表的な作品はもちろん『放浪記』であるが、当時は帝劇でも芸術座でも旧・東京宝塚劇場でも、その類の作品が主流を占めていた。
  東宝現代劇の劇団員はそれらの舞台を支えていた。東宝の舞台だけではなく、様々な劇場で彼らは活躍していた。『喜劇 隣人戦争』のプログラムで、作者の小幡欣治さんも
  「『隣人戦争』が初演された昭和五十年代というのは、東宝現代劇が充実期を迎えて、俳優一人ひとりの個性や演技力が評価され注目され始めた頃である。なによりも層が厚かったから、各劇場から引っぱりだこだった。」
  と記されている。

  劇団東宝現代劇75人の会は、劇団東宝現代劇の有志たちにより結成された集団である。東宝の本公演などでは中々演じることのできない様々な役に挑戦することで、それぞれのスキルを高めて行きたい、と言うのが設立の趣旨であったと思う。
  第1回公演は1986(昭和61)年に行われ、今回の『喜劇 隣人戦争』が第25回目の公演となる。私が大学を出て東宝に入ったのは1984(昭和59)年であるから、75人の会が歩んで来たのと同程度、私も東宝で過ごして来たことになる。
  私自身も、1995年の第10回公演『毒薬と老嬢』を演出させていただいた。演出家としての私の最初期の1本である。何の実績もない新人に貴重な機会を与えて頂いた喜びは、今も忘れることができない。

  現在、東宝現代劇の劇団員の姿を舞台で観る機会は多くない。が、今日もどこかの舞台を、彼らは支え続けているのである。

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アカデミー そして『メリー・ウィドー』

9月7日(火)

  東宝ミュージカルアカデミーへ。

  毎週(火)、(水)、(木)、(金)の午後がミュージカル試演会の稽古である。前期の、週1コマの授業では中々知ることのできなかった受講生たちの個性や持ち味が、毎日接していると良く分かる。2カ月かけてオーディションをやらせてもらっている様なものである。
  今回の試演会では歌の稽古にも力を入れたいと思っている。で、特別講師として東宝ミュージカルを支える4人の方にお手伝いいただいている。北川潤さん、矢部玲司さん、(8月25日付の日記にも記した)山口正義さん、そしてアカデミーの歌唱担当講師でもある山口琇也さんである。
  どの方の指導にもとてつもない説得力があり、10年以上ミュージカルに携わって来た私も毎回目から鱗が落ちる。この「試演会の稽古の中で歌唱指導を行う」という形が、受講生たちにとっては重要なのだと思う。単に「歌う」ことをレッスンする以上に身に付くことが多い筈である。

  夜は二期会へ。『メリー・ウィドー』の打ち合わせ。

  『メリー・ウィドー』はフランツ・レハール作曲のオペレッタである。2005年にオーチャードホールで初演され、今回は5年ぶり、キャストをほぼ一新しての再演となる。会場も日生劇場に変わった。
  誤解を恐れずに言えば、オペレッタとは即ちミュージカル・コメディである。素敵な音楽、美しいセット、ロマンティックなストーリー、愉快な登場人物、そしてすれ違いと人まちがい。

  『メリー・ウィドー』とは「陽気な未亡人」の意味。楽しい気持ちで日生劇場にお出掛けください。

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またスチール撮影

9月6日(月)

  松濤スタジオへ。今日もまたスチール撮影であった。

  今日撮っているのは『風と共に去りぬ』のスチールである。ここで撮られたイメージは、やがてポスターやチラシとなって皆さんの目に触れることになる。
  今回のストレートプレイ版『風と共に去りぬ』は、帝劇創立100周年を記念した公演の1本である。以前のミュージカル版『風と共に去りぬ』(大地真央さんがスカーレットを、山口祐一郎さんがレットを演じた)は帝劇創立90周年記念公演だった。
  そのミュージカル版は2001年に帝劇で初演され、その後、大阪・梅田コマ劇場、名古屋・中日劇場、再び帝劇、と上演を繰り返した。最後の上演は2006年の博多座で、その時の稽古場日記が『GWTW通信』としてこのブログに残っている。

  帝劇と『風と共に去りぬ』との関わりなどにも触れているので、興味がある方はこちらからどうぞ(2006年10月3日の初日まで続きます)。

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GWTW

8月31日(火)

  帝劇へ。 『風と共に去りぬ』の台本打ち合わせ。

  『風と共に去りぬ』は、南北戦争当時のアメリカ南部を舞台にした大河ロマン小説である。作者はマーガレット・ミッチェルで、1936年の6月に出版され、たちまち70万部の大ベストセラーとなり、同年のピュリッツァー賞を受賞した。
  そのベストセラーを世界で初めて舞台化したのが菊田一夫である。菊田一夫は戦前・戦後に活躍した劇作家・演出家で、東宝の演劇担当重役でもあった。その菊田が、2代目(現在の)帝劇の杮(こけら)落とし公演に選んだのが『風と共に去りぬ』であった。1966年のことで、5カ月に及ぶ大ロングランを敢行したのである。

  私は2001年に帝劇で上演された『風と共に去りぬ』のミュージカル版を演出しているのだが、今回上演されるのはその時のミュージカル版ではない。来年の帝劇100周年を記念して、久々にストレートプレイ版の上演となる。
  但し、菊田一夫さんの台本は、そのままでは6時間を超える様な大長編である。なので今回、現在のスタンダードな上演時間に収めるべく、大幅な潤色を堀越真さんにお願いしているのである。で、今日はその打ち合わせであった。

  因みに、「GWTW」は『風と共に去りぬ』の原題“Gone With The Wind”の頭文字である。
  『風と共に去りぬ』は1939年にハリウッドで映画化され、これも小説に劣らず大ヒットした(アカデミー賞を作品賞を含む8部門で受賞!)。映画史の本を読んでいると、このあまりにも有名な作品はその頭文字だけで通用する、と言う様な事が書いてある。それが「GWTW」である。
  2001年のミュージカル版の稽古中に、私は作品の公式ページ向けに稽古場日記を書いていた。そのタイトルを「GWTW日記」としたのだが、掲載されたページではそうはならなかった。その日記はこちらから。

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