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2010年6月の記事

『ナンシー』通信 東京千穐楽

6月19日(土)

  紀伊國屋サザンシアターで行われていた『ナンシー』東京公演が本日無事に千穐楽を迎えた。ご来場下さった皆様、本当にありがとうございました。

  ありがたいことに、6月11日から始まった東京公演は、連日ほぼ満席であった。昨日や今日はキャンセル待ちの列に並んで下さるお客様もいらした。
  このご時世である。ご多分に洩れず、演劇界でも不景気な話をあちこちで聞く。お客が入ることだけが演劇の全てでは決してないが、でもやはり、1人でも多くのお客様に観て頂けるということは何よりも嬉しい。『ナンシー』がそう言う芝居の1本になれたことが嬉しい。

  この後『ナンシー』は、6月21日の新潟を皮切りに、7月4日の大千穐楽まで再びに出る。後半の旅も、前半同様、実り多いものになります様に!

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クリエ ミュージカル・コンサート

6月16日(水)

  シアタークリエへ。『クリエ  ミュージカル・コンサート』のお手伝い。

  今日は午後から、場当たりを兼ねたオケ合わせであった。私の仕事は、演出的なことを補佐することでは無く、場当たり兼オケ合わせをタイムテーブル通りに進める進行係であった。
  本来の演出助手である末永君の作ってくれたタイムテーブルが実にしっかりと作られていたので、私は構成・演出の岡本義次さんの横に座って、只只タイムテーブル通りに進めて行けば良いのであった。

  とにかく、豪華な顔ぶれが入れ替わり立ち替わりゴージャスな楽曲を披露してくれるので、それはそれは贅沢感溢れるコンサートであった。何しろオーケストラの人数はシアタークリエで『レベッカ』を上演した時より大編成なのである。もちろん『レベッカ』からのナンバーも登場する。

  『クリエ  ミュージカル・コンサート』は18日より。

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アカデミー、ナンシー、ミュージカル・コンサート

6月15日(火)

  午前中は東宝ミュージカルアカデミーへ。

  入学以来ふた月が過ぎ、受講生たち(5期生)も随分と落ち着いて来た。新しい世界に踏み出す時、この「落ち着き」は結構重要だと思う。
  未経験の分野に飛び込むのだから、誰しも気負いや緊張はある。その、ある種の「火事場の馬鹿力」的な瞬発力も大いに必要なのだが、それだけでは「受け取り損ねる物」「見落としてしまうこと」が出来兼ねない。
  この「落ち着き」を良い方向に利用して欲しいと思う。

  午後は紀伊國屋サザンシアターへ。東京へ帰って来た『ナンシー』を観る。

  お陰様で客足も上々だそうである。まずはご覧いただいた皆様、観劇予定の皆様に御礼申し上げたい。
  久しぶりに見た『ナンシー』は楽しかった。私の立場でそんな感想もどうかと思うが、今日は仕事モードに陥ることなく、素直に観劇することができたのである。
  話は逸れるが、『ナンシー』は、どちらかと言うと「芝居を観慣れた人」よりも「初めて芝居を観る人」に向けて作られている。『ナンシー』だけでなく、このチーム「ドリス&オレガ」の製作して来た一連の芝居は、どれもがそうであった。それがこのプロデュース・チームのポリシーなのである。このチームの偉いところは、中々芝居が出掛けて行かない様な土地土地に出向いて芝居を打って来るところだと思う。
  もしかすると、芝居通の方には『ナンシー』は物足りなく映っているかもしれない。が、『ナンシー』の役目は、上に記した様なところにあるのだと考えている。
  客席に座っても肩肘が張らないで済むのは、そのせいかもしれない。

  『ナンシー』終演後、東宝演劇部の末永君、振付の田井中智子さんと会う。

  シアタークリエで6月18日から始まる『クリエ ミュージカル・コンサート』。そのお手伝いを、急遽、明日1日だけだが、お引き受けすることになったのである。で、色々なことをレクチャーして貰う必要があって、お2人にわざわざご足労いただいた。
  明日は頑張ります。関係者の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

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『ウェディング・シンガー』『ナンシー』『レベッカ』通信

6月13日(日)

  1週間ほど留守にしていた。

  その間に色々なことが起こっていた。
  まず『ウェディング・シンガー』の再演が発表になった。これはとても楽しい仕事だったので、無条件に嬉しい。あ、劇場条件が変わるので、演出はやり直しである。だから条件付きで嬉しい。
  次に『ナンシー』が、北海道や九州を回って東京に戻って来た。新宿の紀伊國屋サザンシアターで、6月19日まで公演中!  その後、再び旅に出ます。
  そして大阪『レベッカ』大千穐楽。留守にしていたので無事だったのかどうかは全く分からないが、3ヶ月半に渡る長期公演を全行程終了した。関係者の皆さん、お疲れ様でした。ご来場下さった皆さん、ありがとうございました。

  ところで、5月29日付の日記に記した「大阪公演より施した『レベッカ』の変更点」とは、「わたし」が「モンテカルロでのマキシムとの想い出を瓶に詰めて残しておくことができれば」と歌う「永遠の瞬間」を短くしたことである。
  皆さんのご感想は如何だったであろうか?

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『SFF&DFF』通信 初日にして千穐楽!

6月6日(日)

  晴天で何よりであった。

  スタッフは9時から直し作業。11時からAキャストのゲネプロ。終了後、A、B合同で最後の駄目出し。更に各セクションの調整、その後、開場。
  15時、Aキャストの本番。2時間弱で終演。入れ替え作業の後、夜の部開場。18時、Bキャストの本番。A同様2時間弱で終演、撤収作業へ。21時よりコリドー街の店で打ち上げ。70人での打ち上げは壮観であった。

  6月に入ってからは、時間の流れ方が普段の数倍速い様に感じられた。昨日、今日は更に速かった。
  私が今回のショーでやりたかったことが『SFF&DFF』通信の1回目に記されている。即ち「東宝版『ザッツ・エンタテインメント』を作りたい」。それが今回の私の全てであった。

  『ザッツ・エンタテインメント』は、MGM映画が創立50周年を記念して製作した、同社のミュージカル映画のハイライト場面を並べたアンソロジーである。全体が幾つかのセグメントに分かれており、セグメント毎に縁あるスターが登場してエピソードや名場面を紹介する。今回の『SFF&DFF』のフォーマットは、正に『ザッツ・エンタテインメント』であった。
  映画『ザッツ・エンタテインメント』の功績を2つだけ挙げるとすれば、「過去のミュージカル映画の再評価」と「当時のスター、クリエイター達へのオマージュ」だろう。私が今回目指したのは『ザッツ・エンタテインメント』のフォーマットを真似ることよりも、『ザッツ・エンタテインメント』が持っているその精神を(と言うことは『ザッツ・エンタテインメント』を製作したジャック・ヘイリーJrの精神を)継承することであった。

  その是非や成否には色々なご意見があるだろう。忌憚のない感想をどうかお聞かせいただきたい。私自身、数々の反省がある。

  だが、今の気持ちを率直に記せば、私はこのひとつき本当に幸せであった。

  『ザッツ・エンタテインメント』を初めて観た中学2年の春に戻った様な気持ちであった。

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『SFF&DFF』通信 小屋入りしました。

6月5日(土)

  シアタークリエに入る。

  明日は本番だが、全ての作業は今日1日で終えなければならない。
  朝から照明、音響、バンドの皆さんの仕込み。午後イチで舞台稽古に掛かる。サウンド・チェックと照明デザインを兼ねた場当たり稽古である。が、今夜20時にはBキャストのGPをスタートさせなければならない。それまでにA、B両キャストで全てのナンバーを当たり終えることができるのか……?

  関係者の皆さん、本当にありがとうございました。皆さんのご尽力のお陰で無事にスケジュールを消化することができました。
  明日は11時からAキャストのGP。そして、いよいよ15時からAキャストの本番。更に、18時からBキャストの本番。

  「足を折れ!」

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なおかつ『SFF&DFF』通信(ネタバレ!)

6月4日(金)

  稽古場最終日である今日は、終日バンドとの合わせであった。何しろ曲数が多いので(それは私のせいなのだが)やってもやっても終わりが見えてこない。皆さん本当にお疲れ様でした。

  さて。

  日本のミュージカル史に貴重な足跡を残した芸術座は惜しまれながら2005年に38年間の歴史を閉じた。その跡地に2007年に開場したのがシアタークリエである。
  シアタークリエのオープニング・シリーズ第3弾として上演されたのが『レベッカ』(2008年4~6月)である。シアタークリエではその後も意欲的にミュージカルを取り上げて来た。
  『デュエット』(同年7月)、『RENT』(同年11~12月)、『スーザンを探して』(2009年1~2月)、『ニュー・ブレイン』(同年3~4月)、『この森で天使はバスを降りた』(同年5月)、『ブラッド・ブラザース』(同年8~9月)、『グレイ・ガーデンズ』(同年11月)、『シー・ラヴズ・ミー』(同年12月~2010年1月)、『ガイズ&ドールズ』(同年4月)。
  これだけの作品が僅か2年の間に上演された。お馴染みの名作から最近の話題作、そして知られざる小品も並んでいるが、これだけミュージカルに積極的に取り組んだ劇場は他に例がないだろう。

  昨日記した過去10年のミュージカル、そして上記のクリエ・ミュージカル。それぞれの成否を「集客」の面から判断することは難しいことではない。が、「その作品や上演にどんな意味があったのか」を知るにはもう少し時間が必要であろう。集客のことを言えば『屋根の上のヴァイオリン弾き』の初演も『スウィーニー・トッド』も失敗であった。
  5年後とか10年後とかに振り返って、21世紀の最初の10年間が日本のミュージカルにとってどんな時代だったのか、改めて考えてみる必要があるだろう。この10年間は自分が当事者のひとりでもあるので、今はまだ冷静に判断を下し辛い、と言うこともあるのだが。

  『SFF&DFF』では『RENT』から「シーズン・オブ・ラブ」を、『この森で天使はバスを降りた』から「フィナーレ」を取り上げる。明日はいよいよ劇場入り。

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相変わらず『SFF&DFF』通信(ネタバレは続く!)

6月3日(木)

  午前中は日藝所沢へ、午後は『SFF&DFF』の稽古場へ。

  そして21世紀である。ここで21世紀最初の10年間に上演された東宝ミュージカルを俯瞰しておきたい。
  まずレパートリー作品であるが、『マイ・フェア・レディ』『ラ・マンチャの男』『屋根の上のヴァイオリン弾き』は、キャストを入れ替えながら今日まで現役である。そして『ラ・カージュ・オ・フォール』が新たにレパートリーに加わった。ロジャース&ハマースタイン作品は、今のところその役目を終えた感がある。

  東宝ミュージカルのこの10年の柱は(6月1日の日記で触れた通り)ブーブリル&シェーンベルグ作品とクンツェ&リーヴァイ作品である。
  それらと並行して上演されたのは、『ワンス アポン ア マットレス』  (2000年11月/青山劇場)、『ジキル&ハイド』(2001年11月/日生劇場)、『パナマ・ハッティー』(2002年3月/帝劇)、『チャーリー・ガール』(同年4月/帝劇)、『ミー&マイガール』(2003年3月/帝劇)、『イーストウィックの魔女たち』(2003年12月/帝劇)、『ベガーズ・オペラ』(2006年1月/日生劇場)、『ダンス オブ ヴァンパイア』(2006年7~8月/帝劇)、『ウェディング・シンガー』(2008年2月/日生劇場)、『ルドルフ』(2008年5月/帝劇)、『シラノ』(2009年5月/日生劇場)、『シェルブールり雨傘』(2009年/日生劇場)であった。
  この内『ジキル&ハイド』『ミー&マイガール』『ダンス オブ ヴァンパイア』は繰り返し上演される大ヒット作となった。 

  『SFF&DFF』では、『ジキル&ハイド』から「嘘の仮面」「連れて来て」「その眼に」を、『チャーリー・ガール』から同名のタイトル・ナンバーを、『ミー&マイガール』から「あついアイツがやって来た」「ランベス・ウォーク」「街灯の下で」を、『イーストウィックの魔女たち』から「崩れゆくモラル」「そのまま」を、『ダンス オブ ヴァンパイア』から「永遠」「サラへ」を、『ウェディング・シンガー』から「君の結婚式」「ゴミ箱から出てきて」を、『ルドルフ』から「それ以上の……」を、『シラノ』から「我らガスコン」「どんな日も」をお送りする。

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今日もまた『SFF&DFF』通信(ネタバレしてます!)

6月2日(水)

  『SFF&DFF』の稽古場へ。

  「オリジナル・ミュージカルを作りたい」という夢は、ミュージカルに携わる者なら誰しも1度は抱くものであろう。東宝は、断続的ではあるが、意欲的なオリジナル・ミュージカルを製作して来た。
  5月24日付の日記にも記したが、『スカーレット』はその代表的な1本である。その他にも『歌麿』(1972年5~6月/帝劇/東宝創立40周年記念公演)、『裸のカルメン』(同年3月/日生劇場)、『慕情』(1976年1月/日生劇場)、昨日の日記でも触れた『アンネの日記』(1985年7~8月/芸術座)などがある。

  東宝にとって久々のオリジナル・ミュージカルとなったのは『ローマの休日』(1998年10月/青山劇場)である。
  アメリカ映画『ローマの休日』の世界で初めての舞台化、それもミュージカルとして、と言う野心的な企画が実現したのは、1990年代のミュージカル・ブームが最早一過性のものではなかったからであろう。大地真央さん、山口祐一郎さんと言う、この作品に相応しい俳優が揃ったことも、この企画の実現を後押ししたに違いない。
  1970年の『スカーレット』がクリエイティブ・チームにブロードウェイの才能を招いたのとは異なり、『ローマの休日』は脚本、作詞、作曲を含む全クリエイティブ・チームを日本人で編成した。ミュージカルを「当たり前のもの」として育った世代が日本のミュージカルを担う時代がやって来たのである。

  『ローマの休日』成功の余勢をかって、東宝は次に『風と共に去りぬ』(2001年7~8月/帝劇)のミュージカル化に着手した。
  またまたややこしい話なのだが、1970年の『スカーレット』は、そもそも小説『風と共に去りぬ』をオリジナル・ミュージカル化したものであった。そして2001年の『風と共に去りぬ』も同小説のオリジナル・ミュージカル化だが、これは『スカーレット』とは別の作品なのである。
  菊田一夫の戯曲(『スカーレット』)を基にしてはいるが、脚本も音楽、歌詞も、新たなクリエイティブ・チームによって新たに書き下ろされた新作であった。もちろんこちらも日本人の手による作品である。
  更には『十二夜』(2003年10~11月/帝劇)、『SHIRO』(2004年12月/帝劇)、『眠らない音』(2005年10月/青山劇場)などがこれに続く。

  『SFF&DFF』では『ローマの休日』から「時間よ止まれ」「それが人生」などを、『風と共に去りぬ』からは「マグノリア」「女は降伏しない」などをお送りする。

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帰ってきた『SFF&DFF』通信(ネタバレ、ネタバレ!)

6月1日(火)

  帰京している。

  午前中は毎週火曜日定例の東宝ミュージカルアカデミーへ。午後は『SFF&DFF』の稽古場へ。稽古場が今日からアカデミーが使用しているスタジオの真下のフロアになった。楽チン楽チン。

  さて。

  20世紀の終わりに、東宝ミュージカルに新しい風が吹いた。『エリザベート』である。
  『エリザベート』のウィーン初演は1992年。宝塚歌劇団が取り上げた日本初演が1996年である。帝劇での東宝版初演は2000年6~8月のことであった。ご承知の様に東宝版『エリザベート』は大ヒット、以後10年の間に、ほぼ毎年と言っても良い頻度で再演を繰り返している。
  続いて東宝が取り上げたウィーン・ミュージカルは『モーツァルト!』(2002年10月/日生劇場)。両作品ともミヒャエル・クンツェ&シルヴェスター・リーヴァイのコンビの手掛けたミュージカルである。
  21世紀の東宝ミュージカルは、ブーブリル&シェーンベルグ作品(『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』『パイレート・クイーン』)とクンツェ&リーヴァイ作品(『エリザベート』『モーツァルト!』『マリー・アントワネット』『レベッカ』)を車の両輪としてレパートリーを組み立てて行くことになる。

  が、21世紀に入る前に、1980年代後半から90年代にかけて上演された東宝ミュージカルを挙げておきたい。
  まず帝劇では『ラ・カージュ・オ・フォール』(1985年7~8月)、『回転木馬』(1995年5月~9月)、『シー・ラヴズ・ミー』(同年12月)、芸術座では『ラブ・コール』(1985年3~5月)、『アンネの日記』(同年7~8月)、日生劇場では『エニシング・ゴーズ』(1989年8月)、『ガイズ・アンド・ドールズ』 (1993年5月)、『アイリーン』(1995年10月)、『フォーティセカンド・ストリート』(1997年12月)、そして、新たに青山劇場でも東宝公演が始まり『ジョージの恋人』(1987年3月)、『王子と踊り子』(同年10月)、『カルメン』(1989年1~2月)、『20世紀号に乗って』(1990年10月)、『The 5 O’clock Girl(5時の恋人) 』(1992年11月)、『レディ、ビー・グッド!』(1993年10月)などが上演された。
  並行してレパートリー作品が再演されていたことは言うまでもない。

  『SFF&DFF』で取り上げるのは、『ラ・カージュ・オ・フォール』から「ありのままの私たち」「マスカラ」「今、この時」、『回転木馬』から「カルーセル・ワルツ」「6月に花開く」、『シー・ラヴズ・ミー』から同名のタイトル・ナンバー、『ラブ・コール』から「パーティーズ・オーバー」「ジャスト・イン・タイム」、『エニシング・ゴーズ』から同名のナンバーと「あなたに夢中」、『ガイズ・アンド・ドールズ』から「私が鐘なら」、『アイリーン』から「チャンスが私を呼んでいる」「虹を探して」、『フォーティセカンド・ストリート』からタイトル・ナンバーと「お金がジャンジャン」、『パイレート・クイーン』から「女って」「男は男」「星を目指して」、『レベッカ』から「レベッカⅠ」である。
  クンツェ&リーヴァイ作品から「レベッカⅠ」1曲のみなのは、 『SFF&DFF』の後に『M.クンツェ&S.リーヴァイの世界』が控えているからである。お2人の楽曲はそちらで存分に堪能してほしい(前売りは完売ですが)。

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『レベッカ』通信・大阪編 最終回

5月31日(月)

  2日目。シルビア・ダンヴァースの初日。

  プロローグからモンテカルロへのシーン・チェンジで、舞台転換のトラブルがあった。
  舞台が止まるまでには至らなかったのだが、私は客席から観ていて肝を冷やした。こう言う時、演出家は全くと言っていいほど無力である。トラブルに気付かれたお客様もいらっしゃったと思うが、「その間」をたった1人で耐え忍び、繋いでくださった寿さんに、心よりお詫びと感謝を申し上げたい。
  それはともかく、以後は至って順調に進行し、シルビア・ダンヴァースも無事に大阪デビューを果たした。カーテン・コールは今日より通常スタイル、最後は昨日同様スタンディング・オベーションであった。

  1月の稽古からスタートした『レベッカ』も、いよいよ残り2週間である。開演前、たまたま楽屋のエレベーターで一緒になった阿部裕さんに、「(稽古から今日まで)長かったでしょ?」と尋ねたら、「この緊張感ですから長さは感じないですね」とおっしゃった。なるほど、現場の皆さんの感じ方はそうなのか。

  これで『レベッカ』通信・大阪編はお終いである。短期間ではあったが、お付き合いありがとうございました。
  ところで、5月29日の日記に記した大阪から施した「変更」についてであるが、これは全公演が終了したところで種明かしをしようと思う。

  『レベッカ』は6月13日まで!

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