5月22日(土)
今日の稽古はOFF。
東宝4本目のブロードウェイ・ミュージカルは『サウンド・オブ・ミュージック』である。1965年の正月公演として芸術座で2月末まで上演された。
『サウンド・オブ・ミュージック』は『マイ・フェア・レディ』と並んで繰り返し繰り返し上演されて来た東宝ミュージカルの代表的な演目である。後には帝劇や日生劇場、青山劇場などの大劇場で上演されたが、初演は芸術座であった。あの芸術座の舞台にどうやってセットとオーケストラを入れたのか、実に興味深い。これもご存じの方があれば是非ともお教え願いたい。
東京宝塚劇場の1965年9月公演は『ハロー・ドーリー!』であった。が、これはメリー・マーティンが主人公のドーリー・リーヴァイ夫人を演じた来日公演(アメリカ合衆国国務省派遣文化使節団)である。
今でこそ、海外ミュージカルの来日公演は珍しいことではないが、この企画は当時としては大英断であったに違いない。ノウハウの何も無い中で、関係者の苦労と奮闘は想像に難くない。因みにメリー・マーティンはブロードウェイの伝説的な名女優である。『サウンド・オブ・ミュージック』のマリアも『南太平洋』のネリーも彼女がオリジナル・キャストである。
同年の12月には東京宝塚劇場に『王様と私』が登場する。『王様と私』もこれまでに幾度となく再演を重ねて来た。その2カ月後の1966年2月には同劇場にて『キス・ミー、ケイト』が、同年の7~8月には芸術座で『心を繋ぐ6ペンス』が上演されている。この本数はもう完全にミュージカル・ブームと言ってよいだろう。
『王様と私』でシャムの王様を演じたのは市川染五郎(現在の松本幸四郎)さんである。そして『心を繋ぐ6ペンス』の主人公キップスを演じたのも染五郎さん。染五郎さんはこの翌年には『屋根の上のヴァイオリン弾き』初演で仕立て屋モーテルを演じ、その2年後の1969年には遂に『ラ・マンチャの男』を演じることになる。
今回のコンサートでは、『サウンド・オブ・ミュージック』からは「サウンド・オブ・ミュージック」「わたしの好きなもの」「ドレミの歌」を、『王様と私』からは「口笛吹いて」「仲良くしましょう」「シャル・ウィ・ダンス?」を、『キス・ミー、ケイト』からは「ソウ・イン・ラブ」を、『心を繋ぐ6ペンス』からは同名のタイトル・ソングを、『屋根の上のヴァイオリン弾き』からは「伝統(しきたり)の歌」「もしも金持ちなら」「サンライズ、サンセット」を、『ラ・マンチャの男』からは同名曲と「見果てぬ夢」を取り上げる。
今日休んだ分、明日は朝から晩まで稽古! の予定。
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