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2010年5月の記事

『レベッカ』通信・大阪編 初日!

5月30日(日)

  初日。

  波の音が遠くから聞こえてくる。目を凝らすと、星明りの下にうっすらと門扉が見える。オーケストラのチューニングが始まる。場内がゆっくりと暗くなる。やがて・・・・・・。

  15時ジャストに開演した『レベッカ』大阪公演のファースト・パフォーマンス。25分の幕間休憩を挟んで、本編の終了は17時55分ジャストであった。そのままカーテン・コールに突入。初日につき、カンパニーを代表して山口さんがご挨拶。既にお馴染みとなった、「消防」と「不眠不休の劇場スタッフ」への謝辞を述べられた。

  終演後、梅田芸術劇場と共に大阪公演を主催してくださった関西テレビ放送事業部の岡田美穂さんと大変久し振りの再会。
  岡田さんとは、まだ20世紀だった頃、PARCO劇場の芝居を大阪に持って来る時などに大変お世話になった。その後、出産などで一時仕事から離れられていたのだと記憶するが、今では事業部副部長として辣腕を振るっておいでである。『レベッカ』を担当する岡田さんの部下の方からお伺いしたことなので、たぶん本当だろう。

  明日はシルビア・ダンヴァースの初日。今日舞い降りた演劇の神様が、明日も浮気しません様に!

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『レベッカ』通信・大阪編

5月29日(土)

  午前中に残りのテクニカル・リハーサルを済ませ、午後から舞台稽古、昨日の続き。
  音響デザインと舞台転換のことを最優先にして、とにかくタイム・テーブルに収めるべく今日も飛ばしに飛ばす。舞台上のアクティング・エリアが名古屋、東京と大きく異ならなかったお陰で可能だったタイム・テーブルではあるが。

  演出助手の末永君、舞台監督の廣田さんとそのチーム、そして劇場スタッフの多大な協力を得て、タイム・テーブルより早くに舞台稽古を終了。休憩の後、ゲネプロへ。
  既に3ヶ月上演して来たものなので、仕上がりについては何の問題も無い。むしろ、3ヶ月続けて来たのに芝居がまったく崩れていないところが、このカンパニーの素晴らしいところである。
  1箇所だけ、大阪に来てから大きな変更を施した部分がある。これはウィーンの作者たちとも意見交換した上でそうしたのであるが、ご覧になる皆さんの賛否はどうだろうか?

  明日は初日。演劇の神様が梅田芸術劇場に舞い降ります様に!

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『レベッカ』通信・大阪編

5月28日(金)

  東京を離れると、仕事場と宿泊先を往復する以外にやるべきことがない。そうなると、思いがけず自由な時間が捻出できたりする。今日も舞台稽古までに時間が空いたので、いつも持ち歩いているくせに読めていなかった台本を一気に読み終える。楽しくてちょっとジーンとする良い話であった。

  さて『レベッカ』舞台稽古である。名古屋、東京と比べると大阪では劇場入りしてから初日までの持ち時間が1日少ない。しかも初日は15時開演である。スタッフ・ワークもだが、舞台稽古もハイペースで飛ばして行かなければ間に合わない。
  幸いなことに、と言うべきか、既に名古屋と東京で100回ほどの公演をこなして来ているので、舞台稽古もサクサクと進む。しかも今日は衣裳、ヘアメイクなし、つまり稽古着での舞台稽古であった。
  これはちょっと新鮮な見え方であった。いつもの見慣れている景色が初めての場所の様に感じるみたいに違って見えた。皆さんにもお見せしたいくらい新鮮だったのだが、残念ながらそれは叶わない。悪しからず。

  舞台稽古は予定を随分と巻いて早めに終了。まだ残っているスタッフ・ワークに時間を回せるので大いに助かった。
  明日も午前中はテクニカル・リハーサル。午後から舞台稽古の続き。そして夜はゲネプロ。ゲネプロは衣裳、ヘアメイクあり、である。

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『レベッカ』通信・大阪編

5月27日(木)

  ホテルの窓から正面には赤い観覧車が見えている。あの観覧車を屋上に戴いたビルは、かつて梅田コマ劇場が建っていた場所にある。
  旧・梅田コマ劇場が茶屋町に移転して名前も新たに「劇場飛天」として開場したのが1992年の秋である。劇場飛天はその後「梅田コマ劇場」に名前を戻し、今では「梅田芸術劇場メインホール」である。

  5月24日の『レベッカ』東京公演千穐楽を終えた後、スタッフはすぐに大阪入りして仕込み作業に入っていた。私が大阪入りしたのは昨日の夜で、それは昨日の日記に記した通り。今日からは道具調べ・照明合わせである。
  既に名古屋・中日劇場、東京・帝国劇場を終えているので、デザイナーの皆さんも、舞台監督チームも落ち着いたものである。但し、劇場側のスタッフは公演地毎に変わるので、その手順を一からまた付け直すことになる。

  中日劇場と帝劇とでは、客席と舞台の関係が随分と異なったので、見え方にもそれなりに違いがあった。梅芸もまた中日、帝劇とは異なる条件となるので、今までとは違った新たな見え方が生まれる。劇場が変わる面白さである。
  舞台の方はある部分は中日版に戻るのだが、舞台空間の高さは帝劇と同等である。そして帝劇にはなかった高所からの観劇、高所で且つサイドからの観劇がここならではの視点である。

  いつものように今日も深夜作業。が、予定のメニューを無事に終えたので一安心。明日は朝からテクニカル・リハーサル。午後からはサウンド・チェック、そして夕方からいよいよ舞台稽古に突入。

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『SFF&DFF』通信(もちろんネタバレ!)

5月26日(水)

  『SFF&DFF』の稽古場へ。

  『レ・ミゼラブル』の日本初演は1987年6月。帝劇で5カ月に及ぶロングランであった。
  『レ・ミゼラブル』を送り出したのはイギリスのプロデューサー、キャメロン・マッキントッシュである。マッキントッシュは『キャッツ』でミュージカルの作り方と興行方法を根本から変えたプロデューサーである。マーケティングを世界規模で行い、巨額の製作費を投じることで、それ以前の「台本とスコアだけをライセンスする」やり方ではなく、「オリジナル・プロダクションを世界各地で上演して収益を上げる」と言う新たなビジネス・モデルを確立したのである。『レ・ミゼラブル』以後、東宝ミュージカルの作り方、興業方法も大きく変わって行く。
  アラン・ブーブリルとクロード=ミッシェル・シェーンベルグの作り出した『レ・ミゼラブル』は、それ以前に主流であった「台詞とミュージカル・ナンバーが交互に現れる」と言うミュージカルのスタイルを、「全編が音楽で進行する」と言う形に変えた。そしてトレバー・ナンとジョン・ケアードは、この大河ドラマを巨大なセットを駆使して手際良く、リアルな群像劇として演出した。非現実の世界に誘うことが特質だと思われていたミュージカルの世界に、リアリズムを持ち込んで成功したのである。
  続いて『レ・ミゼラブル』の製作チームは、ベトナム戦争を舞台とする『ミス・サイゴン』を送り出す。帝劇で1992年4月にプレビューを開始し、1年を超える大ロングランを実現した。ロンドン発の「メガ・ミュージカル」が世界を席巻したのである。

  『SFF&DFF』では『レ・ミゼラブル』から「乞食たち」「ラブリィ・レイディ」「民衆の歌」を、 『ミス・サイゴン』からは「火がついたサイゴン」「サン・アンド・ムーン」「世界が終わる夜の様に」をお送りする。

  稽古終了後、「のぞみ」の最終新大阪行に飛び乗り大阪へ。『レベッカ』通信・大阪編のはじまり!  はじまり!

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『SFF&DFF』通信(ネタバレ注意!)

5月25日(火)

  午前中は東宝ミュージカルアカデミーへ。その後『SFF&DFF』の稽古場へ。

  1970年代~80年代の東宝ミュージカルを俯瞰してみると、例えば帝劇では『ピピン』(1976年4月)、『スウィーニー・トッド』(1981年7~8月)、『シカゴ』(1985年11月)、東京宝塚劇場では『南太平洋』(1979年6月)、『ファニー・ガール』(1980年2月)、日生劇場で『シュガー』(1974年1月)、『ミズ』(1982年2月)、『ナイン』(1983年3月)、『デュエット』(1984年5月)、『プリンセス・モリー』(1986年3月)などが取り上げられている。
  実に魅力的、且つ意欲的なラインナップだといま見ても思うが、これらの新作と並行して、東宝の財産演目となった『マイ・フェア・レディ』『ラ・マンチャの男』『屋根の上のヴァイオリン弾き』『サウンド・オブ・ミュージック』『王様と私』が再演を繰り返している。

  因みに『南太平洋』は、上記東京宝塚劇場での公演以前に、新宿コマ劇場で日本初演(1966年5月)されている。コマ劇場で初演されたミュージカルをここでカウントするべきか否か大いに迷ったのだが、結論から言えば、このリストからは外してある。ここに記してきたことは、東宝が創立70年を記念して編纂した「作品リスト」に準拠しているのだが、そこにコマ劇場作品の記述が無いからである。
  コマ劇場で初演されたミュージカルには、他に『努力しないで出世する方法』 (1964年7月)、 『アニーよ銃をとれ』 (1964年11~12月)があるが、 『南太平洋』を最後にミュージカルの上演はパタリと途絶える。人気歌手を座長に据えたお芝居の路線が定着して行ったからであろう。宝塚歌劇団のコマ劇場での公演は1980年代まで続くのだが、ミュージカルの上演が再開されるのは1980年10月の『アニーよ銃をとれ』まで待たねばならない。

  『SFF&DFF』では『シカゴ』から「オール・ザット・ジャズ」、『南太平洋』から「女ほどすてきなものはない」「バリ・ハイ」「ハッピー・トーク」、『ファニー・ガール』から「ピープル」、『ナイン』から「フォーリー・ベルジェール」、『デュエット』から「They're Playing Our Song」をご披露する。

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『レベッカ』東京公演千穐楽 そして『SFF&DFF』通信(ネタバレあり!)

5月24日(月)

  帝劇へ。『レベッカ』東京公演の千穐楽である。

  早いものである。名古屋で初日を開けてから既に3カ月が流れた。帝劇だけでも2カ月が過ぎた訳だが、毎日劇場に通っているメンバーの感じ方も我々と同じだろうか?
  それはともかく、『レベッカ』は先日、シアタークリエの初演からの通算で上演回数200回を突破した。何よりもご観劇下さった皆さんに感謝したい。本当にありがとうございました。そしてキャスト&スタッフの皆さんにも。お疲れ様でした。
  『レベッカ』はこれから大阪へと旅立つ。梅田芸術劇場メインホールで、初日は5月30日である。関西の皆さん、お待たせしました。それ以外の地方の皆さん、禁断症状が出た時は大阪へどうぞ。

  帝劇を後にして『SFF&DFF』の稽古場へ。

  1970年1~3月の帝劇は『スカーレット』を上演した。『スカーレット』『風と共に去りぬ』をミュージカル化した作品である。後に執筆された『風と共に去りぬ』の小説版の続編と同タイトルなのでややこしいが、これはそれではない(後に帝劇で続編の方の『スカーレット』も劇化、上演しているので益々ややこしい)。
  脚本を担当したのは菊田一夫で、作詞作曲にはブロードウェイからハロルド・ロームが招かれた。演出のジョー・レイトン以下、クリエイティブ・チームはアメリカから、そして日本人キャストで上演された東宝発のオリジナル・ミュージカルである。このミュージカルは後に輸出され、1972年にロンドンの由緒あるドルリー・レーン劇場で1年近くに渡って上演された。

  東宝の日生劇場での公演は1970年9月の『ラ・マンチャの男』再演からスタートした。その後日生劇場では、1971年10月に『プロミセス・プロミセス』を、1972年5月には『スイート・チャリティ』を、1974年1月には『シュガー』を、1976年8月には『オズの魔法使い―ザ・ウィズ―』を、1978年8月には『アニー』を上演している。
  いま見ても実に魅力的な作品が並んではいないだろうか。

  『SFF&DFF』では『プロミセス・プロミセス』から同名のタイトル・ソングを、『スイート・チャリティ』からは「ビッグ・スペンダー」を、『ザ・ウィズ』からは「Ease on Down the Road」を、そして『アニー』からは「トゥモロー」を取り上げる。

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『SFF&DFF』通信(今日もネタバレあり!)

5月23日(日)

  朝から晩まで『SFF&DFF』の稽古場へ。今日は12時間を稽古場で過ごした。

  『ファンタスティックス』の初演は1967年7月の芸術座。これはきっと芸術座に相応しい公演であったに違いない。シアタークリエでも観てみたい、と思うのは私だけではあるまい。
  帝劇では同年の4~5月に『心を繋ぐ6ペンス』が堂々の再演となっている。『レベッカ』がクリエから帝劇に移って再演された様なものであろうか。帝劇では更に9~10月に、昨日の日記で触れた『屋根の上のヴァイオリン弾き』が上演されている。
  そして1968年。この年の5月には帝劇で『オリバー!』を上演。これは先年の『ハロー・ドーリー!』同様の来日公演(日英親善国際公演)であった。同年の11月には帝劇で『王様と私』が再演され、そして翌1969年の4~5月の帝劇が『ラ・マンチャの男』の初演である。

  『屋根の上のヴァイオリン弾き』『ラ・マンチャの男』も、今では名作中の名作と呼ばれ再演が繰り返されているが、初演時にはその良さが理解されず、集客にも大いに苦しんだのだと言う。
  どちらの作品も、初演ながら帝劇で2カ月のロングラン公演であったのだが、そこに当時の関係者の「今こそ日本のミュージカル・ブームを本物にしなければならない」とする決意と意気込みを私は感じ取る。
  『マイ・フェア・レディ』『サウンド・オブ・ミュージック』『王様と私』と言った、優れてはいるがやや古典的な(つまり大衆性と知名度を兼ね備えた、分かり易く口当たりの良い)名作群を紹介することで日本にミュージカル・ブームを作りだした関係者たちは、「そのブームを次のステップに持ち上げるべき時期に来ている」と考えたのではないだろうか。そしてそのことを「小ぶりな劇場で試験的に」上演するのではなく、あくまでも東宝を代表する劇場で、堂々とした上演期間を確保して達成しなければならない、と感じていたのではなかっただろうか。
  極めて現代的なテーマとスタイルを持った『…ヴァイオリン弾き』『ラ・マンチャ…』が同時期に選ばれているのは、私には偶然とは思えない。そして私は、このリスクに立ち向かった当時の関係者の誇りと勇気、そして見識に尊敬の念を抱かずにはおられない。
  が、この国のミュージカル史は、残念ながら関係者たちが念じた方向には進まなかった。『屋根の上のヴァイオリン弾き』に至っては、再演まで実に8年の年月を必要とした。どちらも再演は帝劇よりひと回り小さな日生劇場で、公演期間も1カ月に短縮されて、ようやく実現に漕ぎ着けたのである(つまり総キャパシティは1/3に減らされた)。

  『SFF&DFF』では『ファンタスティックス』から「Try to Remember」「Soon It's Gonna Rain」を取り上げる。

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『SFF&DFF』稽古は休み(ネタバレあり!)

5月22日(土)

  今日の稽古はOFF。

  東宝4本目のブロードウェイ・ミュージカルは『サウンド・オブ・ミュージック』である。1965年の正月公演として芸術座で2月末まで上演された。
  『サウンド・オブ・ミュージック』『マイ・フェア・レディ』と並んで繰り返し繰り返し上演されて来た東宝ミュージカルの代表的な演目である。後には帝劇や日生劇場、青山劇場などの大劇場で上演されたが、初演は芸術座であった。あの芸術座の舞台にどうやってセットとオーケストラを入れたのか、実に興味深い。これもご存じの方があれば是非ともお教え願いたい。

  東京宝塚劇場の1965年9月公演は『ハロー・ドーリー!』であった。が、これはメリー・マーティンが主人公のドーリー・リーヴァイ夫人を演じた来日公演(アメリカ合衆国国務省派遣文化使節団)である。
  今でこそ、海外ミュージカルの来日公演は珍しいことではないが、この企画は当時としては大英断であったに違いない。ノウハウの何も無い中で、関係者の苦労と奮闘は想像に難くない。因みにメリー・マーティンはブロードウェイの伝説的な名女優である。サウンド・オブ・ミュージック』のマリアも『南太平洋』のネリーも彼女がオリジナル・キャストである。

  同年の12月には東京宝塚劇場に『王様と私』が登場する。『王様と私』もこれまでに幾度となく再演を重ねて来た。その2カ月後の1966年2月には同劇場にて『キス・ミー、ケイト』が、同年の7~8月には芸術座で『心を繋ぐ6ペンス』が上演されている。この本数はもう完全にミュージカル・ブームと言ってよいだろう。
  『王様と私』でシャムの王様を演じたのは市川染五郎(現在の松本幸四郎)さんである。そして『心を繋ぐ6ペンス』の主人公キップスを演じたのも染五郎さん。染五郎さんはこの翌年には『屋根の上のヴァイオリン弾き』初演で仕立て屋モーテルを演じ、その2年後の1969年には遂に『ラ・マンチャの男』を演じることになる。

  今回のコンサートでは、『サウンド・オブ・ミュージック』からは「サウンド・オブ・ミュージック」「わたしの好きなもの」「ドレミの歌」を、『王様と私』からは「口笛吹いて」「仲良くしましょう」「シャル・ウィ・ダンス?」を、『キス・ミー、ケイト』からは「ソウ・イン・ラブ」を、『心を繋ぐ6ペンス』からは同名のタイトル・ソングを、『屋根の上のヴァイオリン弾き』からは「伝統(しきたり)の歌」「もしも金持ちなら」「サンライズ、サンセット」を、『ラ・マンチャの男』からは同名曲と「見果てぬ夢」を取り上げる。

  今日休んだ分、明日は朝から晩まで稽古!  の予定。

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『SFF&DFF』通信(ネタバレあり!)

5月21日(金)

  『SFF&DFF』の稽古場へ。

  『マイ・フェア・レディ』に続いて東宝が上演したブロードウェイ・ミュージカルは『カーニバル』である。『マイ・フェア・レディ』が1963年9月の東京宝塚劇場で、『カーニバル』はそれに遅れること僅か1ケ月、10月の芸術座での上演であった。
  『カーニバル』はミュージカル映画『リリー』を舞台化した作品であるが、『リリー』の楽曲をそのまま使用するのではなく、ボブ・メリルが新たに楽曲を書き下ろしている。それはともかく、『マイ・フェア・レディ』が2500名収容の東京宝塚劇場でひと月の公演であったのに対して、『カーニバル』は750人の芸術座で1週間足らず公演であった。
  が、2カ月続けてブロードウェイのヒット・ミュージカルを並べたところに、当時の東宝関係者のミュージカルに賭ける意気込みを私は感じる。一方では大型ミュージカルを、他方では小品を、というスタイルも現在の帝劇とシアタークリエの関係を見る様で実に興味深い。

  『マイ・フェア・レディ』初演は、関係者の危惧を良い方に裏切り大ヒット、早くも翌年の正月には再演の運びとなる。日本に翻訳ミュージカルが定着したのである。続いて東宝が取り上げたのは『ノー・ストリングス』である。
  『ノー・ストリングス』は、オスカー・ハマースタイン亡き後、リチャード・ロジャースが初めて作詞も兼ねたミュージカルである。これは1964年6月から8月まで芸術座で上演された。
  『ノー・ストリングス』も決して派手なミュージカルではない。が、敢えて大衆的な作品よりも野心的な物を取り上げる姿勢に、『この森で天使はバスを降りた』などをシアタークリエで取り上げるのと同様の感覚を私は感じるのである。

  今回のコンサートでは『マイ・フェア・レディ』から「なんてすばらしい」「運が良けりゃ」「夜明けまで踊り明かそう」を取り上げる。そして『ノー・ストリングス』からは「The Sweetest Sounds」を。
  そうそう、『ノー・ストリングス』は既に上演から46年が経過しており、当時の資料が殆んど残っていない。何かご存知の方がいらっしゃればご教示いただけるとありがたい。

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『SFF&DFF』通信

5月20日(木)

  午前中は日藝所沢。

  ある台本を使って、その舞台の「絵」を書いて来るのが宿題であった。
  これは、台本に書かれている僅かなヒントを手掛かりにして設定を正確に読み取る力、その場所や時代に関する知識、その2つを「演劇的に」再構築するセンス、そしてそれを劇場のルールや寸法で表す能力が求められる宿題なのであった。
  それぞれが個性的、且つユニークな絵を書いて来てくれたが、上記の4点についてはまだまだと言わざるを得ない。が、今年度の生徒たちは前向きだし明るいし、全体としてのまとまりも悪くない。なのでこちらとしては授業も進めやすい。
  先々が楽しみな学年である。

  午後は『SFF&DFF』の稽古場へ。

  昨日の日記で「あと2日は必要だ」と思われた作業を1日で終える。
  このコンサートでは、1963年の『マイ・フェア・レディ』以来東宝が上演してきた数々のミュージカルから、代表的なミュージカル・ナンバーを80曲以上、一気にお聞かせすることになっている。公式ページにも予定される楽曲のいくつかが記されているが、この日記でも少しづつ楽曲のことに触れて行こうと思う。

※内容を知りたくない方は以下はご覧にならない様に。

  公式ページに記載されている作品の他に登場するのは『ラ・マンチャの男』『イーストウィックの魔女たち』『シラノ』『『キス・ミー、ケイト』『回転木馬』『アニー』『スイート・チャリティ』『ファニー・ガール』『プロミセス・プロミセス』『ザ・ウィズ』『エニシング・ゴーズ』『アイリーン』『チャーリー・ガール』『ラブ・コール』『ノー・ストリングス』『心を繋ぐ6ペンス』『レベッカ』『シー・ラヴズ・ミー』『ガイズ・アンド・ドールズ』『ブラッド・ブラザーズ」『デュエット』(順不同)である。それぞれから1~3曲程度が披露されることになる。
  「え、これも東宝ミュージカル?」と思われる様な作品も含まれていると思うが、これも東宝ミュージカルだったのである。

  具体的な楽曲については明日以降で触れて行く。今日のところは、上記作品からどのナンバーが使われるのか、想像を逞しくしてお楽しみいただきたい。

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『SFF&DFF』通信

5月19日(水)

  『SFF&DFF』の稽古場へ。

  昨日打ち合わせた楽曲サイズの叩き台を出演者一同に報告。その後、場面ごとに出演者に集まってもらい、その楽曲の背景を説明したり、演出上の狙いなどを伝えたりする。そして参考にオリジナルの録音を聞いたり、そのナンバーをどの様に立体化するか、などのアイデアを交換。
  今日1日掛かって、全体の1/3のナンバーの打ち合わせを終えた。と言うことは、この作業を終えるのにあと2日は必要だ、と言うことなのか?

  と言うことだな。

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『SFF&DFF』通信

5月18日(火)

  午前中は東宝ミュージカルアカデミー。『SFF&DFF』ではなく、現役の5期生のクラスである。

  午後は『SFF&DFF』の稽古場へ。と言っても、ミュージカル・ナンバーのステージング中の本隊には加わらず、別室で、舞台監督の落石さん、音楽助手の松崎さんと共に、譜面の山と格闘。
  何しろ90~100分で82曲である。どのナンバーもフル・コーラスで披露する訳にはいかない。ではどこを残すのか。その作業を1日がかりで行う。ナンバーを短くするくらいなら曲数を減らせばいいじゃないか、という考え方ももちろんあるのだが、今回のショーでは、この圧倒的な楽曲数が重要なのだ、と思っている。

  稽古後は1年後の仕事の打ち合わせ。珍しくストレート・プレイである。

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『SFF&DFF』通信

5月17日(月)

  『SFF&DFF』の稽古場へ。

  まず「SFF&DFF」とは何か?
  シアタークリエで6月6日に行われるコンサート(詳細はこちら)のタイトル『ing or the utre and ance or the uture』が長いので、誰が言い出すでもなく、その頭文字を取って「SFF&DFF」と記す様になった。私もそれに便乗することにするのである。
  既に出演者のブログなどに稽古の様子が記されているので、そちらをご覧になった方もいらっしゃると思うが、 『ナンシー』の初日と『レベッカ』のトークショウを抱えていた私は、それらを終えて、ようやく今日から稽古に加わることができたのである。

  このショーは、1963年の『マイ・フェア・レディ』から今日までの間に東宝が上演して来た数々のミュージカルの中から、代表的なミュージカル・ナンバーを集めてご披露させていただこう、と言う、言わば東宝版『ザッツ・エンタテインメント』である。
  まだ稽古がスタートしたばかりなので確定的なことは言えないのだが、上演時間は90分~100分程度で休憩なしのノンストップ、曲数は今のところ82曲を準備している。

  『SFF&DFF』通信が始まったばかりなのに大変恐縮なのだが、実はチケットが既に完売となってしまった。楽しみにしてくださっていて、まだチケットを入手されていない皆さん、本当にごめんなさい。
  そして幸運にもチケットを入手することができた皆さん、キャスト&スタッフ一同、全身全霊を捧げて素敵なショーにしたいと思っていますので、どうぞお楽しみに。

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『レベッカ』トークショウ

5月16日(日)

  帝劇へ。

  監事室より久し振りに『レベッカ』を観る。
  監事室と言うのは客席後方にあるガラス張りの小部屋のことで、帝劇では1階席後方のやや上手寄りにある。ガラス張りなので台詞や音楽を生で聞くことはできないが、その分、中で喋っても客席には聞こえない。もっとも、今日は私ひとりで観劇したので喋る相手も無かったのだが。

  今日の『レベッカ』は終演後に今月2回目のトークショウ。
  前回9日のトークショウは松澤重雄さんの司会進行であったが、今日の司会進行は私。でも何で私?  それはともかく、今日のトークショウ出演者は大塚ちひろさん、涼風真世さん、石川禅さん、吉野圭吾さんの4名であった。
  トークショウの内容と私のダメダメ振りは、既にUPされている東宝の公式映像をご覧いただきたいのだが、今日はリンク張らないよ。

  帝劇での『レベッカ』も残すところ1週間である。まだご覧になっていない方はどうぞお早めに。

  トークショウ終了後はシアタークリエへ。6月6日のコンサートに向けて、照明を担当して下さる津久井修一さんと打ち合わせ。持ち時間が限られている中でどこまでできるのか?

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『ナンシー』通信 初日!

5月14日(金)

  今日は午後からの劇場入りだったので、午前中は来年に予定されている作品の台本を読む。文芸大作である。

  さて、午後からTHEATRE1010へ。台詞と音楽の関係を確認するために3か所ほどを舞台で合わせる。その後は、舞台を出演者の皆さんに開放して、自由に使用してもらう。
  16時30分、舞台にて初日のお祓(はら)い。7月4日まで続く『ナンシー』の安全と成功を祈願する。
  18時15分、昨日のゲネプロの後に思い付いて追加発注した劇伴音楽が届いたので、急遽舞台で芝居と合わせる。急な注文に応えてくれた大崎さんに感謝。
  18時30分開場。大勢のお客様にお越しいただく。
  19時05分、『ナンシー』開演。あたたかいお客様で胸を撫で下ろす。
  20時30分、終演。カーテン・コールでの挨拶は予定していなかったのだが、緞帳が下りて客席が明るくなっても、今日のお客様は立ち上がろうとせず、惜しみの無い拍手を続けてくださった。なので急きょ緞帳を飛ばし、西村雅彦さんがカンパニーを代表してご挨拶。更に西村さんの指名で全員がご挨拶。ようやく幕を下ろすことができた。
  終演後、楽屋ロビーにて初日の乾杯。飯島直子さんの初舞台を一同で祝福。昨日の日記で念じた通りの幸先の良いスタートになった。

  これで『ナンシー』通信はお終いである。ご愛読本当にありがとうございました。
  『ナンシー』一座は7月4日まで、北海道から九州までを旅する。お近くへ立ち寄った際は、どうか温かいご声援を。

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『ナンシー』通信

5月13日(木)

  今日もTHEATRE 1010へ。

  念のために記しておくが、THEATRE 1010は、「しあたーせんじゅ」と読む。「しあたーイチマルイチマル」でも「しあたーせんじゅう」でもない。
  今日は正午より舞台にて、扮装有りで舞台稽古。幕開きからカーテン・コールまで、要所、要所で止めながら全場面をあたる。大休憩を挟んだ後、18時よりゲネプロ。劇場で通して初めて見えてくることも多く、収穫の多いゲネプロであった。
  ゲネプロの後は駄目出しを簡単に済ませ、長い1日を終える。明日はいよいよ初日である。

  幸先の良いスタートを切れます様に!

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『ナンシー』通信 そしてシアタークリエ

5月12日(水)

  朝からTHEATRE1010へ。

  舞台上の作業の大方は昨日中に終わっている。今日は照明のデザイン修正と音響チームのサウンド・チェック、そしてスタッフ全体でのテクニカル・リハーサルがメニューの中心であった。
  ここのところ大型ミュージカルの仕事ばかりが続いていたので、ストレートプレイは本当に久し振りである。しかも『ナンシー』は出演者7人、ワン・シチュエーションのワン・セットである。劇場に入ってからも、戦場の様なミュージカルの現場とは打って変わって、落ち着いた、余裕のある、文化的とすら言いたくなる様なスケジュールで全体が進行している。
  スタッフ・ワークがひと段落したところで、舞台に出演者の皆さんを迎え入れた。舞台稽古は明日からなのだが、余裕のある今日の内に、舞台上・舞台裏の説明(オリエンテーション)を済ませてしまおう、と言うことである。

  話は変わるが、6月にやらせていただくことになったコンサートの詳細が発表された(こちらから)。
  6月のシアタークリエはミュージカル関係のコンサートが目白押しである。こう言うコンサートがクリエのレパートリーとして定着して行ってくれたら、こんなに嬉しいことは無いのだが。

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『ナンシー』短信

5月11日(火)

  午前中は東宝ミュージカルアカデミーへ。毎週火曜日定例のレッスン。

  午後はTHEATRE1010へ。朝から仕込み作業が始まっており、昼過ぎには大道具はほぼ建ち上がっていた。途中、同劇場の稽古場を訪れていた照明デザイナーの高見さんが覗きに来てくれる。

  夜は6月のコンサートのミーティング。準備が追いつかない!

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『ナンシー』通信

5月10日(月)

  6回目の通し稽古。

  『ナンシー』の稽古場も今日で最後である。4週間前、稽古場へ通う川沿いの道には桜が咲き誇っていた。今では青葉が目にも眩しい。
  今日の通しも悪くはなかった。でもちょっと噛み噛みだったかなあ。まあ、そういう日もあるさ。
  通し後は手短に駄目出し。その後、2シーンほど細部を調整、そしてカーテン・コールの段取りを付けて稽古場での全行程を終了。早めに稽古場をスタッフに明け渡す。

  明日からはいよいよTHEATRE1010である。と言っても、キャストの皆さんはお休み。終日スタッフ・ワークである。

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『ナンシー』通信

5月9日(日)

  4回目の通し稽古。

  このチームは相変わらず貪欲である。ここに来てまだ新しいことを試している。その結果、芝居の手順やミザンセーヌもやり直すことになるのだが、作品は確実に良くなる。
  通しの後、駄目出し。
  今までは様々な可能性を残した駄目出しを心掛けていたのだが、そろそろ色々な事に決着をつけ無ければならない。何かを捨て、そうでない何かを確実に得る、駄目出しの方向性も今やそちらを向いている。そして……

  5回目の通し稽古。

  今日は2回公演である。本番が開けば1日に2回と言う日もあるので、そのシミュレーションも兼ねている。何より、ついさっき演じた記憶が鮮明に残っているので、芝居の微調整も全員がイメージを共有したままで行えるのが利点である。
  何にせよ、大変良い仕上がりの2回目であった。なので終了後の駄目出しも手短に終了。明日はこれが再現可能なのか、そのことを検証することになる。

  明日は稽古場最終日。

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『ナンシー』通信

5月8日(土)

  今日はお天気が良かったなあ。
それはともかく……。

  3回目の通し稽古。

  色々な部分が大きく進化した。上手く噛み合わなかった箇所が無かった訳ではないが、今日の通しは、この芝居とこの出演者のポテンシャルの高さを改めて教えてくれた。
  既に初日まで1週間を切った。稽古場も明日、明後日の2日限りであるが、このタイミングでのこの化け方は願ってもないことである。

  稽古後は6月のコンサートのことで緊急ミーティング。ささやかなコンサートではあるが、密度だけは濃くしたい。で。ついつい深夜まで。お疲れ様でした。

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『ナンシー』通信

5月7日(金)

  2回目の通し稽古。

  前回の通し稽古が全体的にやや単調であったことを反省して、今日は「メリハリ」や「間を取ること」などを重視してみた。結果、そこらじゅうに「間」ができてしまうと言う誤算はあったが、『ナンシー』が目指すべき方向は全員で共有することができたと思う。
  通しの後は駄目出しと確認作業を入念に。明日も通す。明後日も。その次の日も。

  嬉しいニュースをひとつ。『ナンシー』の音響デザイナー、秀島正一さんのお宅に赤ちゃんが誕生した。5月8日の予定であったのが、5日も早く生まれたのだそうだ。おめでとう、パパ!

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『ナンシー』はお休み

5月6日(木)

  『ナンシー』の稽古は休みだが、私は休みではない。
  世間ではゴールデン・ウィークが終わり、大学の授業も今日から再開されるのである。なので今日も所沢。こっちは連休とは無縁だったのに。

  今日は前半で、「舞台が開幕する時、そこにどれだけの人間が関わっているのか、その人たちは何をする人たちなのか、それらの人々と演出家にはどのような接点があるのだろうか」みたいな考察を行う。後半は、前回とは別の2人芝居を「演出」して貰う。

  授業後は今日もミュージカルの音源と格闘(こちらの日記参照)。つい聞き惚れてしまい、仕事が遅々として進まない。与えられた期間内で要領良く仕上げてしまえば良いのかもしれないが、「折角やるんだから」「どうせやるなら」……、と、つい欲が出てしまう。

  関係者の皆様、もう少しだけお待ちください。

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『ナンシー』通信

5月5日(水)

  初めての通し稽古。

  部分部分で稽古するのと全体を通すのとでは、見る側の受ける印象も全く違うし、俳優の生理やテンションも異なって来る。だから通して稽古する訳であるが。
  初めての通しとしては悪くない出来であったと思う。今までの稽古で丁寧に積み上げてきたことが成果として表れていた。テンポも快調であったが、同時に、あまりにもテンポ良く行き過ぎているのでは、とも感じた。今後はその辺りを調整することが稽古の課題となって来るだろう。
  出演者の皆さんは、とにかく芝居に関しては実に真面目である。休憩になっても芝居のことばかり話している。

  稽古後は照明打ち合わせ。

  照明デザイナーは佐野道洋さん。佐野さんとは『エデンの南』『大騒動の小さな家』『どんまいマインド』などでご一緒した。
  実は佐野さんと私は日大藝術学部の同級生である。学生時代に、渋谷にあった小劇場で、私の演出、佐野さんの照明で、三谷(幸喜)君が書いて出演もした小さなミュージカルを上演したこともある。
  四半世紀が流れた今、こうしてお互いがプロとして再会できるのは本当に嬉しい。

  井口プロデューサー、ありがとね。

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『ナンシー』通信

5月4日(火)

  前半を整理した後、後半をおさらい。

  効果音や音楽が少しづつ揃い始めた。なので、それをはめ込みつつ、芝居のブラッシュ・アップ作業に勤しむ。
  コメディの稽古で難しさを感じるのは、果たして今やっていることが観客の笑いに結びつくのか、それが良く分からないと言う部分である。私も俳優たちも、それぞれが経験から「これが面白い筈だ」と信じて取り組んでいるのだが、当然ながら稽古場には観客はおらず、したがって笑い声もめったに起こらない。
  ストーリーを知っているスタッフたちが笑うのは、アクシデントが起きた時か、いつもと違う思い付きが試された時である。なので、この笑いを当てにしていると、芝居がどんどん内輪受け、或いは楽屋落ちに向かってしまうし。

  コメディの稽古はつくづく難しい。

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『ナンシー』通信

5月3日(月)

  幕開きに戻って前半をおさらい。

  立ち稽古初期に付けた手順やミザンセーヌの内、今となってはその必要が感じられない、と言う部分を修正しつつ小返し。
  どんな芝居でもそうだが、立ち稽古が始まって2、3日は、様子見、と言うか、試運転、と言うか……、何をするにも、何かを決めるのも、手探り状態である。なので、こうして稽古が進んだ段階で初期に作ったシーンを見直すと、やはり色々と陳腐化していて、見ていても何だか気恥ずかしい。
  そう感じる部分は潔く捨てる。そして、時の流れに負けなかった部分が、芝居として生き延びて行くことになる。

  明日は後半をさらう予定。

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『ナンシー』通信

5月2日(日)

  6月に、ミュージカルを素材としたささやかなショー、と言うかコンサート、と言うか……、をやることになったので(詳細は近々お伝えできると思います)、連日大量の楽曲を聞いている。中には10年振りくらいに聞くものもあって、思わず懐かしくなって仕事を忘れて聞き惚れてしまったり、記憶の底に格納されていた当時のことが生々しく蘇ってきたりして、それはそれで結構感動的である。
  ミュージカルの楽曲を系統立てて聞いていると色々なことが見えて来る。その「見えてきたこと」をショーに生かすことができれば良いのだが。

  さて、『ナンシー』は立ち稽古。ラスト近辺をおさらい。

  『ナンシー』はコメディだが、どのシーンでどの程度羽目を外すのか、そのさじ加減が結構難しい。
  登場人物にはそれぞれ性格や動機が設定されているが、それに忠実過ぎても場面が重たくなり過ぎる。と言って、弾け過ぎても、そもそもがナンセンスなシチュエーションなので、話のウソ臭さが目立ってしまう。今はそれで試行錯誤中である。

  明日は久し振りに幕開きに戻る。ラストが見通せたので、それを踏まえてもう一度頭からブラッシュ・アップするつもり。

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『ナンシー』通信

4月30日(金)

  立ち稽古。ラストシーンまで辿り着く。

  『ナンシー』は東京のシアター1010で初日を開けた後、北は北海道から南は九州まで、全国24か所での公演が予定されている(詳細はこちら)。ツアー中盤にある東京・紀伊国屋サザンシアターでの公演を除けば、各地とも1日~2日の上演である。
  会場によっては、既にチケットの残席が少なくなっている所もあると聞く。サザンシアターも土曜、日曜はチケットが取り辛くなっているそうで、こちらは比較的ウィーク・デーがお薦めらしい。『ナンシー』をご覧いただくご予定の方は、チケットの手配はどうぞお早めに。

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