『ラ・カージュ・オ・フォール』通信
11月30日(日)
稽古場最終日。2回目のオケ付き通し稽古。
オーケストラが稽古場にやって来てからは、さすがに今の稽古場は手狭である。
通し稽古中の私は、背中すれすれにオーケストラを背負い、目の前の手が届く距離に「私は私」を熱唱する市村さんがいる、と言う有様である。真島さんが鞭を振り回す場面では恐怖さえ感じる。が、私は『ラ・カージュ・オ・フォール』の観客なのだ、と考え直せば、こんなに贅沢な環境はないだろう。
そんな稽古場とも今日でお別れである。稽古終りに担当プロデューサーのひとり、宮崎さんが挨拶をされた。
9年前の『ラ・カージュ・オ・フォール』の公演が終わってから、何とかもう1度『ラ・カージュ・オ・フォール』を上演したい、しかし上演できないかもしれない、そう思っていたのがこうして実現したことの喜び・・・、宮崎さんはそんな話をされた。
そして宮崎さんは「私的には今回の『ラ・カージュ・オ・フォール』はミュージカル生活45周年記念です」とおっしゃった。
1963年の『マイ・フェア・レディ』日本初演は、日本の翻訳ミュージカルの歴史がそこから始まった、と言う記念碑的な公演である。宮崎さんはその『マイ・フェア・レディ』に携わっていらした。以来、今日まで45年間、数々のミュージカルを手掛けて来られたのである。
私たちの仕事は、こうした先人たちの苦闘の末にある。私たちの使命は、先人たちの残してくれたものをしっかりと受け継ぎ、次の世代に手渡して行くことだと思っている。
『ラ・カージュ・オ・フォール』もしっかりと受け継いで行きたい。
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