11月12日(月)
『イーストウィックの魔女たち』が千秋楽を迎えた。まず、何よりもご来場くださった皆さんに感謝をしたい。ありがとうございました。
そしてキャスト&スタッフ、オーケストラの皆さんをはじめ、すべての公演関係者にも。お疲れ様でした。
そして、帝劇初演でも博多座での再演でもトラブルのあったフライングが、今回は見事に全公演成功した。成功して当たり前なのだが、そのために尽力してくれたフライング関係者にもお礼を言いたい。ご苦労さまでした。
既にご存知の方もいらっしゃると思うが、『イーストウィックの魔女たち』は来年旅に出る。4月下旬から5月にかけて、大阪、金沢、名古屋などを巡演する予定である。
キャストは今回の帝劇の出演者がそのまま登板することになっているが、帝劇初演以来の舞台美術は一新される。つまりニュー・ヴァージョン・イーストウィックである。既にご覧になった方も、まだご覧いただけていない方も、どうかご期待いただきたい。
ところで、公演プログラムの中で私は、
「恐らくアレックス、ジェーン、スーキーは私たち自身なのだ」
と書いた。ではフェリシア・ガブリエルとは一体誰なのだろう。
私は、フェリシアとは「イデオロギー」のことだと思っている。『イーストウィックの魔女たち』の中で、人々はフェリシアによって統率され、フェリシアを盲目的に信奉している。
ベルリンの壁が崩される以前、世界はイデオロギーによって秩序を保っていた。そしてイデオロギーはそれを批判する者を許さなかった。それはかつてのマッカーシズムなどにも明らかであろう。
だがしかし、イデオロギーが人々を束ねる力を失った現在も、人類は相変わらず世界の到る所で紛争を起こして続けている。
『イーストウィックの魔女たち』では物語の後半でフェリシアは姿を消すが、その後に来るのは個人の欲望が肥大化したグロテスクな全体主義であった。
終幕、ダリルの退場と共にコミュニティとしてのイーストウィック・タウンは消滅する。それと同時に白亜の教会が跡形もなく崩れ去るのはとても暗示的であるが、果たしてその後、イーストウィックの人々は何を縁(よすが)に生きて行くことになるのだろうか。
『イーストウィックの魔女たち』はその答えを示して幕を閉じる。
私がこのミュージカルをこよなく愛するのは、そこに人類の希望を見るからである。
それでは来年、また魔女たちとお目にかかれる時まで。
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