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Gone With The Wind 日記(総集編)

  2001年の『風と共に去りぬ』初演時に、東宝演劇部の宣伝担当者からの依頼で、公式ページに演出家による稽古場日記「Gone With The Wind 日記」を連載した。それをここに再掲載しようと思う。

 僅か5年前のことだが、当時はまだインターネットを通じて興行会社が情報を発信する黎明期であり、その内容も試行錯誤が繰り返されていた。現在では作品毎に、あるいはクリエイター自らがブログを立ち上げ、その創作過程を公開することは当たり前の光景になったが、「Gone With The Wind 日記」は、東宝ではその先駆けの様なものであった。
 私にとっても、仕事に関するあれこれを公にした初めての経験であった。なので、まだ文体も固まっていないし、ちょっと肩に力が入りすぎていたりして、いま読むと相当気恥ずかしい。とにかく何を書いたらよいのか、手探り状態で書き続けた1ヶ月半であった。

 もうお分かりだろうと思うが、「Gone With The Wind 日記」はこのブログ『Show Goes On!』の原型である。この後、同じ2001年に「ジキル&ハイド日記」を東宝の公式ページに連載し、東宝版『ミー&マイガール』初演時に「ミュージカルを1度も観たことのない人のためのミュージカル講座」を書き、それらの経験とブログの発達が結びついたのである。

 この日記により、ミュージカル『風と共に去りぬ』の製作プロセスを知って頂くことができると思う。書かれた当時の臨場感を味わって頂きたいので、(本当はかなり恥ずかしいのだが)訂正を加えずにそのまま再録する。

 なお、当時私は「GWTW日記」と記したのだが、宣伝部さんに「Gone With The Wind 日記」に直された。(って、まだ根に持っていたのか?)

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2001年5月16日(水)

    宣伝部の浅川女史より、東宝のホームページ向けのコメント取材を受ける。話の流れで、ホームページ向けに稽古場日誌を「私が書きましょう!」と宣言してしまった。これがその第一回。

    今日はスカーレットとレットの間に生まれた娘「ボニー」役の子供たちのオーディション。毎度のことだが皆びっくりするほど上手でかわいくて、選考するのに断腸の思い。
    「ドレミの歌」を歌い踊ってもらい、歌唱指導の林アキラさんと振付の上島雪夫さんがチェック、最後に簡単な場面を演じてもらってオーディションは終了。

    オーディションの後、上島さんと演出部諸氏とで、全体のミュージカル・ナンバーをどう構成するか意見交換。と言っても、2幕の楽曲はまだ全部揃っていないのだが。

2001年5月17日(木)

  美術の堀尾幸男さんを中心にセットの打合わせ。既に何度も顔を合わせているのだが、『ローマの休日』同様場面数が多いので、とても時間が掛かる。照明の服部基さんは今日が誕生日なのに、季節はずれの風邪でお気の毒。
  今日は特殊効果のスタッフも交え「アトランタ炎上」場面についても意見交換。「本物の馬」と円谷監督の「特撮映像」は今回はやりませんので、念の為。

  打合せと平行して、別稽古場では歌稽古。1幕冒頭を飾る(予定の)大合唱。迫力あっていい感じ!

2001年5月18日(金)

今日は打合わせも稽古も無し。ただし、演出部の皆さんは出社して、色々な調整や連絡に勤しんでいる。頭の下がる思い。

2001年5月19日(土)

  『 風・・・』以外の事をする。私の眼前には『風・・・』以外にもやらなければならない事が山積しているのである。
  例えば息子を風呂に入れること、とか。

2001年5月20日(日)

  『 風・・・』以外の事をする。私の眼前には『風・・・』以外にもやらなければならない事が山積しているのである。
  例えば妻に頼まれて掃除機を買いに行くこと、とか。

2001年5月21日(月)

  真央さんの歌稽古始まる。

  帝劇ビルの9階に稽古場があり、帝劇で上演される作品は全てこの稽古場で作られることになる。歴代の東宝ミュージカルをはじめとする様々な名作が、この稽古場から送り出されて行ったのである。
  数多の名優たちの流した汗が、この稽古場の床には染み込んでいるのだ(といっても、床はリノリウム張りですが)。

  夜、作曲の佐橋さんと打合わせ。ミュージカルナンバー全体の構成はかなり以前にでき上がっているのだが、まだ作曲が終わっていない楽曲や、メロディはできているが、サイズやアレンジが進行中の楽曲などがあるので。
  演出部の皆さん共々アイデアを出し合い、その場で佐橋さんが即興で音にする。それを聞いてまた意見交換をして・・・。そして夜は更けて行くのである(ウソ。佐橋さんは朝型なので、夜の打ち合わせは要件のみで済ませてます)。

2001年5月22日(火)

  舞台やコンサートなどの特殊効果を手懸けている会社に「色々なこと」を相談に行く。「色々なこと」の詳細はまだ秘密。

  その後演出部の皆さんと、舞台転換について細かい部分をチェック。俳優の動線、シーンチェンジのタイミング、などを場面ごとに詳細に打合わせ。
  あまりに詳細過ぎて深夜に及び、全場面検討できずに精魂尽き果てて終わる。
  だが、こう言う地道な作業の詰み重ねが、後々物を言うのである。

2001年5月23日(水)

  今日は男性コーラスの稽古。男だけの歌声と言うのもいいものである。
  その後「マミー」役の花山さんの歌稽古。花山さんとは初仕事なのだが『シティ・オブ・エンジェルス』や『雨に唄えば』を拝見していたので、お目に掛かれる日を楽しみにしていたのだ。

  花山さんが「マミーはどのくらい老ければいいんでしょう?」とおっしゃるので「その必要は無いでしょう」とお答えした。
  今回の『風と共に去りぬ』は、できるだけ現代劇として仕上げたいので、「説明的な年寄りの演技はむしろ不必要」のつもりで申し上げたのだが、「もう十分老けてます」と誤解されたのではないか、と、一瞬ヒヤリとする。

  稽古終了後、昨晩やり残した舞台転換の打合せの続きを演出部の皆さんと。それにしても、なんと困難な題材であることよ!

2001年5月24日(木)

  『朝型』佐橋さんのお宅へお邪魔して、午前中はミュージカルナンバーの打合わせ。2幕前半で活躍する(予定の)スカーレットの躍動的なナンバーができ上がり、これもかなりいい感じ!
  午後は歌稽古。夜~深夜で美術の打合わせ。舞台美術の全体像がほぼ見えて来た。26時終了、朝から深夜まで、皆さんありがとうございました。

2001年5月25日(金)

  いよいよ出演者・スタッフに台本を配布。舞台の仕事の場合、台本ができあがると俳優の事務所の方に取りに来て頂くのだが、自分で取りに来る俳優も多いので、台本配布の場が、一転、久々の再会の場と化してしまう。
  何にしても、かつて芝居作りを共にした仲間と再会できるのは嬉しい事である。また、初めてご一緒できる方々の顔を見るのも嬉しいものである。

  芝居の準備は(とくに『風・・・』のような規模のものは)準備期間が長期に及ぶ。その初期は、演出家は非常に孤独なものである。少しづつスタッフが増え、素材が形になり、そして俳優が揃い、やがて観客を迎える日となる。

  格別初日が嬉しいのも、むベなるかなである。

2001年5月26日(土)

  今井清隆さんの歌稽古始まる。

  今井さんと私は古い付合いで、私が東宝に入ったばかりの頃、今井さんはまだミュージカルのお仕事を始める前で、一緒に名古屋の御園座へ巡業に行ったりしたこともある。
  その旅先で、夜桜の下で一緒に写っている写真があるので、今度お見せしますね、今井さん!

  その一方で、男性アンサンブルの歌稽古がキャンセルとなる。

  予定していたナンバーの譜面が間に合わなかったので。オリジナル・ミュージカルならではのハプニング。ミュージカルを作る仕事は、楽しいことばかりではない。

  秋元康さんと打合わせ。

  新たにサイズの決まったナンバーの譜面を渡して詞を発注。同時に、これまでの分について意見交換。
  秋元さんは欧米のミュージカル事情に明るい。忙しい方なのだが、よく暇を作ってはニューヨークやロンドンの舞台を見ていらっしゃる。
  雑談でよくそんな話になるのだが、今日の話題は『ラスベガス』。私も以前より訪問したい都市ナンバー・ワンなのだが、暇を作るのが実に下手クソなもので・・・・・・。

2001年5月27日(日)

  今日は稽古は休み。久々にスタッフと顔を合わせずに、一人で演出プランを練る。心を配らねばならない要素があまりにも膨大で、途中で気が遠くなる。

2001年5月28日(月)

  日生劇場の『ラブ・センチュリー』と名古屋の『エリザベート』が昨日、帝劇の『細雪』が今日千秋楽を迎えたので、ようやく演出部の皆さんが勢揃い。明日からの全体稽古に備えて何だか頼もしい。

  今日は真央さん、今井さんの他に、寿さんと女性コーラスの歌稽古も。ベル・ワトリングと彼女の上品な『お店』の女の子たちのナンバー。
  寿さんとは昨年の大阪での『サウンド・オブ・ミュージック』に続いてのお仕事。大人の女性の魅力がひしひしと伝わって来て実に小気味良い。

2001年5月29日(火)

  午前中はまたまた佐橋さんと打合わせ。まだ仕上がっていないナンバーやリプライズでバリエーションを作りたいナンバーを打合わせ。
  何と言ってもミュージカルは音楽が命ですから。

  午後、本日よりいよいよ全体稽古開始。プロローグとなるシーンを振付の上島雪夫君と作っていく。(観劇時の興味を削がないように、以後内容には触れずにおきます)
  4時間ほど掛かって一通りのステージングが終了。作品全体のトーンが決まる場面なので、今後時間をかけて成熟させて行きたい。

  稽古の途中、忙しい中時間を割いてくださった秋元さんと追加詞の打合わせ。
  オリジナル・ミュージカルの製作過程は「作っては直す」。ひたすらその繰り返し。

2001年5月30日(水)

  お台場のフジテレビで『風・・・』の次のミュージカル『ジキル&ハイド』の製作発表。これは『J&H日記』に譲る。(できるのか、そんな日記?)

  夜、照明・服部さん、音響・大坪さんと、演出部の皆さんで打合わせ。観客の目に付きにくい部分だが、スピーカーの設置位置やそのカムフラージュの方法、ステージ脇の照明機材の基地をどう作るかなど、『風・・・』を現代のミュージカルにするべく智恵を絞っているのだ。

2001年5月31日(木)

  日比谷公園の松本楼で、来年の芝居『鹿鳴館』の製作発表。これは『鹿鳴館日記』に譲る。(できるのか、そんな日記?)

  5月も今日で終わり。いよいよ一番嫌いなシーズン(梅雨)がやって来る!

2001年6月1日(金)

  スカーレットの最初の登場場面を作る。色々な手を試してみて、二転三転。

  衣裳の緒方さんとデザインの確認。緒方さんは、わが国の舞台衣裳界の重鎮。『サウンド・オブ・ミュージック』『南太平洋』に続いて3度目の仕事になる。
  コスチュームプレイで現実感を失わないようにデザインするのは至難の技なのだが、緒方さんはその辺りのさじ加減が素晴らしい。

  稽古後、堀越さんと台本直しの意見交換。「作っては直す」を本日も実践してます。

2001年6月2日(土)

  昨日までに作ったシーンをおさらいした後、主要人物が一堂に会する園遊会のシーンを作る。時間としてはごく短い場面なのだが、大勢を同時に動かすので、稽古にはとても時間が掛かる。
  こうしてほとんどのキャストが顔を揃えると、さすがに雰囲気があって、とても贅沢なミュージカルだと思えてくる。
  この作品を任された幸運につくづく感謝。
 
  夜はまたまた佐橋さんの所へお邪魔して音楽の打合わせ。音楽チームだけでなく、美術チームも衣裳チームも稽古と同時進行で、ひと月後に迫った初日を睨んで準備作業はいよいよ佳境に。

2001年6月3日(日)

  平日、日曜の区別もなく稽古は続く。(ホントはお休み欲しい!)
  コーラスの譜面が幾つか上がってきたので、今日はその歌稽古。

  明日以後の稽古に備えて、音楽チームとサイズやキューの確認。これをデリケートにやっておかないと、ドラマからミュージカル・ナンバーへの移行がギクシャクしてしまい、タモリさんの言う『恥ずかしいミュージカル』になってしまうのだ。

2001年6月4日(月)

  園遊会シーンのおさらいとその続き。南北戦争開戦までは漕ぎつけたぞ。

  稽古後、大道具の発注。美術デザイナーの堀尾さんを中心に、大道具会社の担当者、劇場大道具の棟梁、特殊効果会社の担当者、演出部の美術担当者たちが、堀尾さんの図面を基に大道具の素材、製作方法、仕上げなど、仕様の細部を詰めて行く。

規模が大きく、場面数も膨大なので、智恵と時間が幾らあっても足りない。些細な使い勝手も含めて検討して、またまた午前様。
  皆様、本当に申し訳ない。でも、今日だけでは発注しきれていないので、近いうちにまた次回を。

2001年6月5日(火)

  稽古予定を順調に消化して、スカーレットはタラを離れアトランタへと向かった。

  1幕前半のハイライトとなるダンス場面を上島君が振付。上島雪夫君は現在日本を代表する売れっ子振付師。『サウンド・オブ・ミュージック』『南太平洋』『I Do! I Do!』『シェルブールの雨傘』など、ご一緒したミュージカルは多い。
  彼はドラマから発想して振りを作ってくれるので、芝居からミュージカル・シーンへの移行がスムーズだし、作品全体の統一感も出せるので大助かりである。
  引く手数多なワケである。

2001年6月6日(水)

  昨日の続きを稽古。今日は殊の他時間が掛かってたしまった。

  新作を開ける場合、これはストレートプレイの場合でも変わらないのだが、机上で「成立する」と判断していたプランでも、実際に場面を作ってみると、思ったようには効果を上げられないことがある。
  その時、力技でもそのプランを成立させるのか、新たなプランを構想したほうが良いのか・・・。

  演出家に、胃の休まる暇はない。

2001年6月7日(木)

  今日で1幕の半分程度まで進む。明日から1幕の後半へ。華やかな場面、引き締まった芝居、緊張感あるシーン、ホッとする部分が良いバランスで配置され、見ごたえは十分(だと思うんだけど)。

2001年6月8日(金)

  稽古前半は、2人とか3人の静かな場面、後半では3、40人の大場面を作る。

  『風・・・』だけに、大人数を活用する場面がふんだんに出て来る。そうした場面は、稽古の手間も掛かるし、演出家の消耗も激しいのである。

2001年6月9日(土)

  稽古は休み。改めて2幕の想を練る。

2001年6月10日(日)

  演出部の皆さんには本当にお世話になっている。稽古前、俳優たちが入って来るずっと前に着到して稽古用の道具を作ったり、稽古後も深夜に及ぶまで、翌日のためにテキストやスコアを直したり、舞台模型を作って場面を検討したり・・・。

  私自身、東宝演劇部の演出部出身なので、照れ臭くて日頃言葉にし難いのだが、ホント、感謝してます。(今日も深夜帰宅になってしまったので、その罪滅ぼしに・・・)

2001年6月11日(月)

  稽古前、演劇雑誌『レプリーク』の取材で萩尾瞳さんにインタビューを受ける。この作品が多くの方々に注目されていることを改めて知り、身の引き締まる思い。

  稽古では1幕のラストまで辿り着く。ちょっとホッとしたのは事実だが、「九十九里を持って道半ばとすべし」と、森繁久彌さんに教わったので、浮き足立たぬよう自戒。

  稽古と平行して行われていた大道具の発注、第2回。今日もまた深夜、26時終了。
  本当に、皆様お疲れ様でした&ありがとうございました。

2001年6月12日(火)

  顔寄せ。スタッフ、キャストはじめ、東宝の演劇担当重役、劇場の正副支配人、宣伝担当など、公演関係者が一堂に会するセレモニー。
  本来は稽古初日にするものだろうが、現在では今日のように、稽古開始後の能率の良い日に行われる場合がほとんど。

2001年6月13日(水)

  1幕を台本順に、プロローグより全シーン当たる。まだまだ荒削りだが、繋げてみるとドラマとしてやはり見ごたえがある。
  我々に残された時間は決して多くないが、2幕も全力投球して作る決意。

2001年6月14日(木)

  東京會舘で製作発表風キャンペーン。作品冒頭を飾るナンバー『赤き大地よ』を林アキラさんとアンサンブル選抜チームが合唱。その後扮装した4人、真央さん、山口さん、今井さん、杜さんが入場、脚本の堀越さん、作曲の佐橋さん、作詞の秋元さんに私が加わって写真撮影と質疑応答。

  キャンペーンの後、今日から2幕の稽古に入る。

2001年6月15日(金)

  気がつけば初日まであと3週間。粛々と2幕の稽古は続く。

  この日記が日を追うごとに簡潔になっているような気がする。なぜだろう?

2001年6月16日(土)

  2幕中盤の幾つかのミュージカルナンバーを作る。ちょっとてこずって(?)21時を回る。
  キャストの皆さん、途中でご飯食べさせて上げなくてご免ね。

2001年6月17日(日)

  アンサンブルの皆さんの衣裳合わせ。余りにも恐ろしくて数えていないのだが、衣裳の総点数は、恐らく300着は下らないのではないだろうか?

  今回、南軍北軍の軍服は、ニューヨークのコスチューム・ショップから取り寄せている。以前、今回と同じデザイナーの緒方さんと『南太平洋』を上演した際に、第二時大戦当時の軍服を同じショップで調達したことがある。
  考証がしっかりしている上に、コストも抑えられるのである。

2001年6月18日(月)

  レットがスカーレットにプロポーズするシーンまで、ようやく漕ぎつけた。稽古は連日20時、21時といった状態。

  こうした稽古場を仕切り、全体のスケジュールを作ってくれるのが演出補の寺崎君。『エリザベート』も『カルメン』も私の『サウンド・オブ・ミュージック』も、全て寺崎君が演出部のチーフを勤めている。
  もちろん私の右腕となって、様々な場面で智恵を出してもくれるし、良き相談相手でもある。この仕事には珍しく酒をほとんど飲まないのが、私にとってはありがたい。

2001年6月19日(火)

  連日、長時間に渡って根を詰めた稽古を続けているので、さすがに私もちょっとバテ気味。
  私だけではないだろう、スタッフ・キャスト共にしんどい時期に違いない。どうか皆さん、我々に励ましのメッセージを!(といっても宛先が分かりませんが・・・)

  2幕も半分まで辿り着いた。あとはこの大河ドラマを最高にカッコ良く締めくくることに全力投球するのみ。

2001年6月20日(水)

  プロデューサーの坂本さんに、チケットの売れ行きを聞く。日によっては良い席がほとんど無いなど、かなり好調な様子で、一安心。
  既にお買い求め下さった皆様、ありがとうございました。期待に背かぬ作品になるよう、精一杯がんばります。
  まだの方、そんな具合ですので、良いお席はどうぞお早めに。

  稽古は2幕も後半に突入、主要人物たちが最後のドラマを繰り広げている。が、この所の陽気とハード・スケジュールのせいか、体調を崩しかけているキャストも多い。
  時節柄、皆さんもご自愛ください。

2001年6月21日(木)

  プリシー役の植田チコさんは、稽古場入りが異常に早い。通常稽古は13時スタートなのだが、2時間前にはもう身体を動かしている。

  そう言う私も今回は早々と稽古場入りしている。こう見えて私はかなり心配性なので、新しい場面の稽古に入る日の朝は、家でゆっくりしていることができない。
  早めに家を出て馴染みのコーヒー・ハウスで台本を開くのだが、ここでも集中が続かない。こちらも早々に切り上げて、結局稽古場に入る時間はチコさんと大差ない・・・と言うオチである。

2001年6月22日(金)

  あくまでも取り敢えず、ですが、ラストシーンまで辿り着く。これで完成、という精度ではもちろんないのだが、なんとなくホッとする。気がつけば初日までちょうど二週間。
  これから先は、個々のシーンをブラッシュ・アップすることと、全体の流れを作ることに稽古の重点が移る。

  現在、佐橋さんが、稽古場で決定したサイズを元にオーケストラのスコアを怒涛の勢いで執筆中。
  更に衣裳の仮縫いとフィッティングが怒涛の勢いで、大道具の製作と舞台転換の打合せが同じく怒涛の勢いで、現在進行中。

2001年6月23日(土)

  2幕を一通りさらう。6月13日に1幕をやった様に。

  稽古後照明の服部さん、助手の新井さん、演出部の皆さんと、照明打合わせ。各場面の照明をどういう考え方でデザインするか、キューをどう作るか、シーンチェンジはどのタイミングで、何を見せながら行うか。
  明りを実際に作るのはもちろん劇場に入ってからだが、この段階でのミーティングを綿密にしておかないと、劇場に入ってからの作業が効率良く行えないのである。

  余談ながら、本日も午前様。ホント、もう、申し訳ない・・・。

2001年6月24日(日)

  おおっ!?  ホームページがリニューアルしているっ!

  それはそれとして・・・。今日は衣裳合わせと仮縫い。それと劇中の声の録音。稽古は無し。

  帝劇地下六階の稽古場で、いよいよオーケストラ・リハーサル開始。指揮の伊沢さんのテキパキとした指図で、1曲1曲がどんどんと形になって行く。
  ミュージカルの仕事をしていて私が一番好きなのは、この、初めてオーケストラの演奏を聞く瞬間。  それまでの苦労が一気に報われたような、とても晴れ晴れとした気分になるので。

  伊沢さんは東宝ミュージカルではお馴染みのベテラン指揮者。『ローマの休日』初演も振っていただいた。温厚な人柄で、オーケストラを上品且つ優雅に鳴らしてくださる。
  35年前の帝劇新装開場の時に上演された菊田一夫版『風と共に去りぬ』も振っていらしたそうです。(ストレートプレイなのに、劇伴をオケが演奏していたのです)

2001年6月25日(月)

  台本順に、全場面を稽古。さすがに1幕は久し振りなので、てこずる。2幕は皆の記憶もまだ鮮明なせいか、大過無く流れる。
  全体を解散させてから幾つかの抜き稽古をして、22時終了。

  稽古場は今日を入れてもあと7日。その間に細部を仕上げ流れを作り、オーケストラとの合わせも済ませなければならない。
  個人的に不安になって来たのは上演時間。想定より、ちょっと長い・・・かな?

2001年6月26日(火)

  ホームページを覗いてびっくり!  初日まであと8日!?
  7月6日が初日ですので、皆さんお間違えのないように。

  それから、励ましのお便りを何通か本当に頂いた。大変元気づけられました。心より感謝申し上げます。

  さて、今日はいよいよ初めての通し稽古。順調な仕上がりだと思う。ただし、想定よりやや長い。今後どこまで刈り込めるだろうか・・・。

  そして、そろそろ各セクションから悲鳴が聞こえてくるようになった。
  今日も衣裳合わせや仮縫いが23時まで。照明の服部さんは、「まだ見えない部分が沢山有るんだ」と言い残して早々に稽古場を去り、大道具の棟梁の「間に合わねえかも」と言う発言が伝わって来て、オーケストラ・リハーサル中のチームからはスコアがまだ揃わないとの報告が。

  でも皆さん、どうぞご心配なく。『ローマの休日』の時はこんなもんじゃなかったからね。

2001年6月27日(水)

  いよいよオーケストラとキャストの合わせ、通称オケ合わせ。オーケストラが稽古場に入り、今までピアノだけで続けてきた稽古とようやく合体。
  幕開きより台本順に、音楽の入る場面を全て、オーケストラで当たって行く作業。

  ピアノ演奏だけでは掴めなかった様々なニュアンスが、果たしてそのシーンとマッチしているのか、キューやテンポは適切か、など、時にスコアを書き直しも厭わずに調整されて行く。

2001年6月28日(木)

  昨日、今日でオケ合わせを終える。雄大な曲、さわやかな曲、軽快な曲、しっとりした曲、華やかな曲・・・。素敵なメロディが、見事なオーケストレーションで一層素敵になった。

  この1ヶ月半、お世話になった稽古ピアニストの間野さん、宇賀村さん、お疲れ様でした。皆さん無くして今回の仕事は考えられませんでした。有難うございました。
  國井さんには引き続き、ピットの中で千秋楽まで面倒をおかけします。よろしくお願いします。

2001年6月29日(金)

  初日まであと1週間。残す所、稽古場は後3日。今日からオーケストラ入りの通し稽古(通称『オケ付き通し』)。
  一同、見事な集中力で、今までで最良の出来。が、これで満足することなく、通し稽古の後、何シーンかを抜き稽古。

  今日の通し稽古を見て、この仕事を引き受けて良かったと、つくづく思いました。

2001年6月30日(土)

  『屋根の上のヴァイオリン弾き』千秋楽。『屋根・・・』のセットが撤去されると『風・・・』の仕込みがスタートする。劇場では、今夜は徹夜で入れ替え作業が続くのである。

  稽古場では予定上演時間に収める為の悪戦苦闘が続く。これは簡単なことではない。

2001年7月1日(日)

  7月に入った。稽古場最終日、最後のオケ付き通し稽古。稽古場でできることは全てやった。後はこの大作を舞台に降ろし、劇場のマジックで包んで皆さんにお届けするばかりである。

  劇場スタッフは今日からが戦争である。膨大なセットと複雑な舞台転換、それを司る照明のデザイン。全てはまだこれからの作業なのである。

2001年7月2日(月)

  お昼より劇場にて道具調べ・照明合わせ。稽古は休み。
  舞台上に各場面のセットを実際に飾り、仕様通りに仕上がっているか、使い勝手はどうか、小道具をどう飾るか・・・などを、美術家(今回なら堀尾さん)を中心にチェックするのが道具調べ。
そのセットに照明をどう当てて行くか、照明家(今回なら服部さん)がデザインして行くのが照明合わせ。
  途中、アトランタの炎上場面が上手く行かず、終了は28時30分。劇場から出ると、既に空は白んでいた。

  この文章を書いているのは朝の5時。

2001年7月3日(火)

  午前中はサウンドチェック。ピットに実際にオーケストラが入り、演奏しながらバランスを決めて行く作業。

  午後はテクニカル・リハーサル、通称テク・リハ。キャストが入らない以外は本番通りに、舞台進行のキューを一つ一つ追いかけて確認する作業。
  これを精密にやっておかないと、舞台稽古に思わぬ時間が取られたり、事故を引き起こしかねない。

  今回の『風・・・』は舞台の進行が複雑なので、テク・リハに大変時間が掛かる。全場面片付いた訳でもないのに、本日も終了は26時30分。大道具さんは更にその後、直しの作業。

2001年7月4日(水)

  舞台稽古初日。プロローグから台本順に、各場面を当たって行く。
  セットの使い勝手、キャストの立ち位置、出入りなどを確認しつつ、照明、音響、オーケストラ、その他様々な舞台効果を本番同様に遂行して調整する。

  2幕2場まで辿り着いて、以下は明日。引き続き、テクリハの残りを消化。
  何だか自慢しているみたいだが、楽屋口を出て地上に出ると、またまた東の空がうっすらと白み始めていた。

2001年7月5日(木)

  舞台稽古2日目、まず昨日の続きをやり終える。然る後、最終的に全幕通しの舞台稽古を行う段取り。

  『ローマの休日』青山劇場の初演では、最後の通し舞台稽古の開始が24時近くとなり、幕が降りたのは初日の朝、27時近くになっていた。未明の青山劇場前に100台を越すタクシーが行列を作っていた、という逸話が残っている。

  果たして今日は・・・

  5日中に終了することができた、とだけ申し上げておく。

2001年7月6日(金)

  初日。5分ほど遅れて開演。果たして皆さんのご期待に応えることができたのか?
  正直に言えば、今の私には良くわかりません。ただ、ようやく重い重い荷物を肩から下ろすことができてホッとしている、と言うのが、帰宅してこれを書いている現在の心境です。

  明日以降、少し冷静になって、或いはご覧になった方々の声が届いたりすると、色々と手直したい部分が出てくるのかもしれません。

  今日は致命的なトラブルこそ有りませんでしたが、私から見ると、もう手に汗握りまくる初日でした。
  とは言え、やはり手塩にかけた舞台の初日は何よりも嬉しいものです。この場を借りて、公演関係者全員にお礼を申し上げます。
  それと、この拙い日記にお付合いくださった皆さんにも。もう、何度途中で辞めてしまおうと思ったことか。

  でも、今日劇場で「日記読んでいました」と、何人もの方々から声を掛けていただいて、あ、作り手と観客が接点を持つことは悪くないものだな、と目から鱗が何枚も落ちました。

  私の仕事は劇場に足を運んでくださった皆さんに楽しんでいただける作品を作ることですから、こんな形で皆さんと接点を持つことができたことは、私には大きな収穫でした。

  さしあたって、この日記をいつまで続ければ良いのか、聞いていないので分からないのですが、本日で第1部は終了と勝手にさせていただきます。
  でも宣伝部さんのお許しがあるようならば、不定期に更新させていただこうとは思っているのですが。

(了)

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