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2006年9月の記事

『GWTW』通信

9月29日(金)

  もう博多に来ている。仕込み~照明合わせは快調に進み、今日も予定よりかなり早く作業を終えた。

  博多座は昨夏の『イーストウィックの魔女たち』以来。『ローマの休日』『サウンド・オブ・ミュージック』に続いて4作品目である。1999年にオープンした九州圏唯一の演劇専用大劇場で、舞台と客席との関係、舞台裏の使い勝手など、とても上手く作られている。
  博多は街自体も居心地が良く、地方公演に行くなら博多座に、と言う関係者は多い。私の演出部時代はまだ博多座のオープン前だったので残念ながら博多に長期滞在した経験はないが、私も博多座の仕事は大好きである。今日も仕事の後、照明チームと繰り出した。

  明日は音響チェック、そしてアトランタ炎上シーンのテクニカル・リハーサル・・・など。

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やっと夏休みが終わる

9月28日(木)

 まだ博多ではない。日大芸術学部の後期の授業が始まったので、所沢へ。

 私が受け持っているのは、演劇学科演出コースの1年生を対象とする「演出実習Ⅱ」である。生徒たちには夏休みの課題として、自分が演出したい戯曲を1本探しておくように言っておいたのだが、それにしても夏休みが長い。前期最後の授業が7月20日だったのだから、まるまる2ヶ月。大学の夏休みってこんなに長かったのか? 自分たちの学生時代もそうだったっけ?

 しかし夏休み2ヶ月は羨ましい。2ヶ月あったら相当色々なことができるだろう。私なんか2ヶ月の間に『プライベート・ライブズ』『風と共に去りぬ』の2本の芝居を作ってしまった。学生たちは何をして過ごしたのだろう。
 もちろん何をしようとそれぞれの自由なのだが、このまるまる自由に使える2ヶ月間を目的を持って過ごした生徒と、ただただ漫然と過ごした生徒とでは相当大きな差が付いているはずである。

 夏休みを有意義に過ごして一回り成長した生徒も、それほど成長しなかった生徒も、後期も真面目に出席する様に。

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『龍馬の妻とその夫と愛人』通信

9月27日(水)

 まだ博多ではない。スタッフは既に博多へ移動し、博多座では『風と共に去りぬ』の仕込みも始まっているのだが、私は劇団東京ヴォードヴィルショーの稽古場へ。
 三谷幸喜/作『龍馬の妻とその夫と愛人』ニューヨーク公演が間もなくで、その稽古に顔を出す。

 『龍馬の妻とその夫と愛人』については、私の旧ブログ「Show Goes On!」の2005年9月、10月、そして12月から2006年1月にかけて、それぞれ本公演と若手公演の稽古の様子が書かれているので、興味のある方はそちらをご参照頂きたい。
 が、とにもかくにもニューヨークである。私は、1ドルがまだ230円位だった大学4年の時に始めてニューヨークを訪問した。その時初めてブロードウェイのショーに触れた訳だが、その興奮と感動は今でもはっきりと覚えている。

 今回の上演はジャパン・ソサエティの招聘によるもので、会場もジャパン・ソサエティ内の劇場である。公演回数も3日間で僅かに3回だが、それでも「自分の関わった芝居がニューヨークへ渡る」なんて、$1=¥230の頃の自分が聞いたらどんなに動揺することだろう。

 公演の実現に尽くしてくださった関係者全員に、この場を借りて御礼申し上げます。

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『GWTW』通信

9月26日(火)

 稽古場最終日。

 現在同じ建物の中では、『風と共に去りぬ』の他にも『マリー・アントワネット』と『ゴルフ・ザ・ミュージカル』の稽古が行われている。どちらにも顔なじみのキャスト&スタッフが大勢いるので、休憩時間になるとそれぞれの稽古場に顔を出すのが日課となっている。
 何しろ我々の稽古場は今や80人を超す大所帯で、休憩時間になっても休憩する場所にも事を欠く。それもあって、『マリー・・・』と『ゴルフ・・・』に連日お邪魔していたのである。

 そんなことをしていたら、『ゴルフ・・・』のプロデューサー氏から、「だったらWOWWOWで『ゴルフ・・・』について喋って欲しい」と言う話が持ち上がり、で、本日稽古前に『ゴルフ・・・』の稽古場にてWOWWOW「プルミエール」の取材を受ける。
 ちなみに『ゴルフ・・・』の演出家は福島三郎さんである。念のため。

 さて、こちらは2回目のオケ付き通し。そして1ヶ月に及んだ稽古を打ち上げた。いよいよラスト・スパート、博多座に向かう。

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『GWTW』通信

9月25日(月)

 オーケストラ付き通し稽古。

 『風と共に去りぬ』では、幕開きに少女時代のスカーレットが登場するのだが、これは子役さんが演じている。博多在住の子役さんなので、今日と明日の2日間上京してもらい、集中的に稽古を行うことになっている。今日もオケ付き通しの前に抜き稽古。
 今日の通し稽古は、一昨日のピアノ通しの時より完成度も上がり、ほぼ満足の行く仕上がり。音楽の佐橋さんや照明の服部さんなど、3年ぶりで全体像に触れたクリエイティブ・チームの面々が、異口同音に「とても良くなった」と感想を述べていた。

 一昨日も書いたことだが、『風と共に去りぬ』は確かに成長している。大きな変更を行った訳でもないにも関わらず、である。
 『屋根の上のヴァイオリン弾き』が日本で初演された時、残念ながら今日の様な評価を得ることができなかった、と聞いたことがある。『屋根の上のヴァイオリン弾き』はその後再演されるまで7年掛かったのだが、その再演が初演とは見違える様な成果を上げ、今日に続く作品の再評価に繋がったのだと言う。

 再演の機会を与えられたことに心から感謝している。

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『プライベート・ライヴズ』通信 東京千秋楽

9月24日(日)

 『プライベート・ライブズ』東京公演千秋楽。

 お陰様で無事に、そして好評裏に東京公演を打ち上げることができた。ご来場くださった皆様、ありがとうございました。
 今日は久し振りに客席に座って芝居を観た。本当はスタッフたちと一緒にギャラリーから覗ければそれでよかったのだが、「客席で観なきゃだめです!」というプロデューサー氏のありがたいお言葉に従い、飯島早苗さんと仲良く並んでの観劇となった。

 芝居は、温かいお客様の反応にも助けられ、とても快調に進んだ。そして、俳優たちが付け加えたちょっとした手順やニュアンスのお陰で、一層楽しい、そして笑える舞台になっていた。
 カーテン・コールでも拍手が鳴りやまず、場内が明るくなった後も俳優たちは舞台に呼び戻された。ミュージカルでも派手な活劇でもないのにスタンディング・オベーションは珍しい。
 鳴り止まぬ拍手を何とか終わらせたかったのであろう、久世星佳さんは、飯島さんと私の2人を舞台に引っ張り上げた。もちろん打ち合わせなしの出来ごとだったので大いに面食らった。
 果たしてそんな私のエスコートで飯島さんはご不満ではなかっただろうか。唯一の心残りはそれである。

 打ち上げは表参道の小さなレストランで行われた。更にその後、ずーっと歌いたくてウズウズしていた葛山信吾さんが歌いに行ったことは言うまでもない。

 『プライベート・ライブズ』は、この後名古屋と大阪でも上演される。その様子は西川浩幸さんがリポートしてくれる。

 はずである。

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『GWTW』通信

9月23日(土)

 ピアノ通し稽古。

 今回は持ち時間が少なく、ややバタバタと稽古を進めて来たのだが、1回目の通し稽古としては悪くない仕上がりであった。もちろんケアレスミスは頻発したが、ドラマの骨格は、むしろ今まで以上にくっきりと浮かび上がっていた。

 日本でのオリジナル・ミュージカル作りの宿命として、台本や楽曲などの素材作りが追いつかず、稽古の進行と平行してしまうことになり易い。台本やスコアをいじりながら同時に稽古を進めることになるわけで、素材を試しながら納得の行くまで手を入れることができる反面、題材や役柄に対して客観的になりきれないこともある。
 今回の再演は前回から3年以上経過していて、そのことが俳優たちにある客観性、と言うか、ドラマとの適切な距離感を与えてくれたのではないだろうか。今日の通し稽古を見ながら、そんなことを感じていた。3年という歳月が、ドラマの骨格を浮かび上がらせる方向に作用したに違いない。

 別稽古場では今日もオケのリハーサル。明日はいよいオケ合わせである。

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『GWTW』通信

9月22日(金)

 今日で全場面の稽古を終了。この作品は場面数、登場人物がとても多いので、例え再演であっても稽古にはそれなりに時間が掛かる。が、まずは一安心。
 幾つかの場面は今回新たに手を入れた。大きな変更ではないが、ステージングやアレンジを含む修正も行った。時を経てキャストやスタッフが成長する様に、『風と共に去りぬ』も進化しているのである。

 階下の別稽古場では、音楽の佐橋俊彦さん立ち会いのもと、本日よりオーケストラのリハーサルが始まった。22名のオーケストラを指揮するのは、帝劇初演を振ってくださった伊沢一郎さんである。
 毎度毎度記していることだが、オーケストラの稽古が始まる日が稽古期間で一番わくわくする日である。音楽は年月を一瞬で飛び越える魔力を持っている。オーヴァーチュアの最初の音を聞いた瞬間に、今日も様々な感情が蘇って来たのであった。

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『GWTW』通信

9月19日(火)

 2001年の『風と共に去りぬ』初演時に、東宝演劇部の宣伝担当者からの依頼で、公式ページに演出家による稽古場日記「Gone With The Wind 日記」を連載した。それをここに再掲載しようと思う。

 僅か5年前のことだが、当時はまだインターネットを通じて興行会社が情報を発信する黎明期であり、その内容も試行錯誤が繰り返されていた。現在では作品毎に、あるいはクリエイター自らがブログを立ち上げ、その創作過程を公開することは当たり前の光景になったが、「Gone With The Wind 日記」は、東宝ではその先駆けの様なものであった。
 私にとっても、仕事に関するあれこれを公にした初めての経験であった。なので、まだ文体も固まっていないし、ちょっと肩に力が入りすぎていたりして、いま読むと相当気恥ずかしい。とにかく何を書いたらよいのか、手探り状態で書き続けた1ヶ月半であった。

 もうお分かりだろうと思うが、「Gone With The Wind 日記」はこのブログ『Show Goes On!』の原型である。この後、同じ2001年に「ジキル&ハイド日記」を東宝の公式ページに連載し、東宝版『ミー&マイガール』初演時に「ミュージカルを1度も観たことのない人のためのミュージカル講座」を書き、それらの経験とブログの発達が結びついたのである。

 この日記により、ミュージカル『風と共に去りぬ』の製作プロセスを知って頂くことができると思う。書かれた当時の臨場感を味わって頂きたいので、(本当はかなり恥ずかしいのだが)訂正を加えずにそのまま再録する。

 なお、当時私は「GWTW日記」と記したのだが、宣伝部さんに「Gone With The Wind 日記」に直された。(って、まだ根に持っていたのか?)

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Gone With The Wind 日記(総集編)

  2001年の『風と共に去りぬ』初演時に、東宝演劇部の宣伝担当者からの依頼で、公式ページに演出家による稽古場日記「Gone With The Wind 日記」を連載した。それをここに再掲載しようと思う。

 僅か5年前のことだが、当時はまだインターネットを通じて興行会社が情報を発信する黎明期であり、その内容も試行錯誤が繰り返されていた。現在では作品毎に、あるいはクリエイター自らがブログを立ち上げ、その創作過程を公開することは当たり前の光景になったが、「Gone With The Wind 日記」は、東宝ではその先駆けの様なものであった。
 私にとっても、仕事に関するあれこれを公にした初めての経験であった。なので、まだ文体も固まっていないし、ちょっと肩に力が入りすぎていたりして、いま読むと相当気恥ずかしい。とにかく何を書いたらよいのか、手探り状態で書き続けた1ヶ月半であった。

 もうお分かりだろうと思うが、「Gone With The Wind 日記」はこのブログ『Show Goes On!』の原型である。この後、同じ2001年に「ジキル&ハイド日記」を東宝の公式ページに連載し、東宝版『ミー&マイガール』初演時に「ミュージカルを1度も観たことのない人のためのミュージカル講座」を書き、それらの経験とブログの発達が結びついたのである。

 この日記により、ミュージカル『風と共に去りぬ』の製作プロセスを知って頂くことができると思う。書かれた当時の臨場感を味わって頂きたいので、(本当はかなり恥ずかしいのだが)訂正を加えずにそのまま再録する。

 なお、当時私は「GWTW日記」と記したのだが、宣伝部さんに「Gone With The Wind 日記」に直された。(って、まだ根に持っていたのか?)

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2001年5月16日(水)

    宣伝部の浅川女史より、東宝のホームページ向けのコメント取材を受ける。話の流れで、ホームページ向けに稽古場日誌を「私が書きましょう!」と宣言してしまった。これがその第一回。

    今日はスカーレットとレットの間に生まれた娘「ボニー」役の子供たちのオーディション。毎度のことだが皆びっくりするほど上手でかわいくて、選考するのに断腸の思い。
    「ドレミの歌」を歌い踊ってもらい、歌唱指導の林アキラさんと振付の上島雪夫さんがチェック、最後に簡単な場面を演じてもらってオーディションは終了。

    オーディションの後、上島さんと演出部諸氏とで、全体のミュージカル・ナンバーをどう構成するか意見交換。と言っても、2幕の楽曲はまだ全部揃っていないのだが。

2001年5月17日(木)

  美術の堀尾幸男さんを中心にセットの打合わせ。既に何度も顔を合わせているのだが、『ローマの休日』同様場面数が多いので、とても時間が掛かる。照明の服部基さんは今日が誕生日なのに、季節はずれの風邪でお気の毒。
  今日は特殊効果のスタッフも交え「アトランタ炎上」場面についても意見交換。「本物の馬」と円谷監督の「特撮映像」は今回はやりませんので、念の為。

  打合せと平行して、別稽古場では歌稽古。1幕冒頭を飾る(予定の)大合唱。迫力あっていい感じ!

2001年5月18日(金)

今日は打合わせも稽古も無し。ただし、演出部の皆さんは出社して、色々な調整や連絡に勤しんでいる。頭の下がる思い。

2001年5月19日(土)

  『 風・・・』以外の事をする。私の眼前には『風・・・』以外にもやらなければならない事が山積しているのである。
  例えば息子を風呂に入れること、とか。

2001年5月20日(日)

  『 風・・・』以外の事をする。私の眼前には『風・・・』以外にもやらなければならない事が山積しているのである。
  例えば妻に頼まれて掃除機を買いに行くこと、とか。

2001年5月21日(月)

  真央さんの歌稽古始まる。

  帝劇ビルの9階に稽古場があり、帝劇で上演される作品は全てこの稽古場で作られることになる。歴代の東宝ミュージカルをはじめとする様々な名作が、この稽古場から送り出されて行ったのである。
  数多の名優たちの流した汗が、この稽古場の床には染み込んでいるのだ(といっても、床はリノリウム張りですが)。

  夜、作曲の佐橋さんと打合わせ。ミュージカルナンバー全体の構成はかなり以前にでき上がっているのだが、まだ作曲が終わっていない楽曲や、メロディはできているが、サイズやアレンジが進行中の楽曲などがあるので。
  演出部の皆さん共々アイデアを出し合い、その場で佐橋さんが即興で音にする。それを聞いてまた意見交換をして・・・。そして夜は更けて行くのである(ウソ。佐橋さんは朝型なので、夜の打ち合わせは要件のみで済ませてます)。

2001年5月22日(火)

  舞台やコンサートなどの特殊効果を手懸けている会社に「色々なこと」を相談に行く。「色々なこと」の詳細はまだ秘密。

  その後演出部の皆さんと、舞台転換について細かい部分をチェック。俳優の動線、シーンチェンジのタイミング、などを場面ごとに詳細に打合わせ。
  あまりに詳細過ぎて深夜に及び、全場面検討できずに精魂尽き果てて終わる。
  だが、こう言う地道な作業の詰み重ねが、後々物を言うのである。

2001年5月23日(水)

  今日は男性コーラスの稽古。男だけの歌声と言うのもいいものである。
  その後「マミー」役の花山さんの歌稽古。花山さんとは初仕事なのだが『シティ・オブ・エンジェルス』や『雨に唄えば』を拝見していたので、お目に掛かれる日を楽しみにしていたのだ。

  花山さんが「マミーはどのくらい老ければいいんでしょう?」とおっしゃるので「その必要は無いでしょう」とお答えした。
  今回の『風と共に去りぬ』は、できるだけ現代劇として仕上げたいので、「説明的な年寄りの演技はむしろ不必要」のつもりで申し上げたのだが、「もう十分老けてます」と誤解されたのではないか、と、一瞬ヒヤリとする。

  稽古終了後、昨晩やり残した舞台転換の打合せの続きを演出部の皆さんと。それにしても、なんと困難な題材であることよ!

2001年5月24日(木)

  『朝型』佐橋さんのお宅へお邪魔して、午前中はミュージカルナンバーの打合わせ。2幕前半で活躍する(予定の)スカーレットの躍動的なナンバーができ上がり、これもかなりいい感じ!
  午後は歌稽古。夜~深夜で美術の打合わせ。舞台美術の全体像がほぼ見えて来た。26時終了、朝から深夜まで、皆さんありがとうございました。

2001年5月25日(金)

  いよいよ出演者・スタッフに台本を配布。舞台の仕事の場合、台本ができあがると俳優の事務所の方に取りに来て頂くのだが、自分で取りに来る俳優も多いので、台本配布の場が、一転、久々の再会の場と化してしまう。
  何にしても、かつて芝居作りを共にした仲間と再会できるのは嬉しい事である。また、初めてご一緒できる方々の顔を見るのも嬉しいものである。

  芝居の準備は(とくに『風・・・』のような規模のものは)準備期間が長期に及ぶ。その初期は、演出家は非常に孤独なものである。少しづつスタッフが増え、素材が形になり、そして俳優が揃い、やがて観客を迎える日となる。

  格別初日が嬉しいのも、むベなるかなである。

2001年5月26日(土)

  今井清隆さんの歌稽古始まる。

  今井さんと私は古い付合いで、私が東宝に入ったばかりの頃、今井さんはまだミュージカルのお仕事を始める前で、一緒に名古屋の御園座へ巡業に行ったりしたこともある。
  その旅先で、夜桜の下で一緒に写っている写真があるので、今度お見せしますね、今井さん!

  その一方で、男性アンサンブルの歌稽古がキャンセルとなる。

  予定していたナンバーの譜面が間に合わなかったので。オリジナル・ミュージカルならではのハプニング。ミュージカルを作る仕事は、楽しいことばかりではない。

  秋元康さんと打合わせ。

  新たにサイズの決まったナンバーの譜面を渡して詞を発注。同時に、これまでの分について意見交換。
  秋元さんは欧米のミュージカル事情に明るい。忙しい方なのだが、よく暇を作ってはニューヨークやロンドンの舞台を見ていらっしゃる。
  雑談でよくそんな話になるのだが、今日の話題は『ラスベガス』。私も以前より訪問したい都市ナンバー・ワンなのだが、暇を作るのが実に下手クソなもので・・・・・・。

2001年5月27日(日)

  今日は稽古は休み。久々にスタッフと顔を合わせずに、一人で演出プランを練る。心を配らねばならない要素があまりにも膨大で、途中で気が遠くなる。

2001年5月28日(月)

  日生劇場の『ラブ・センチュリー』と名古屋の『エリザベート』が昨日、帝劇の『細雪』が今日千秋楽を迎えたので、ようやく演出部の皆さんが勢揃い。明日からの全体稽古に備えて何だか頼もしい。

  今日は真央さん、今井さんの他に、寿さんと女性コーラスの歌稽古も。ベル・ワトリングと彼女の上品な『お店』の女の子たちのナンバー。
  寿さんとは昨年の大阪での『サウンド・オブ・ミュージック』に続いてのお仕事。大人の女性の魅力がひしひしと伝わって来て実に小気味良い。

2001年5月29日(火)

  午前中はまたまた佐橋さんと打合わせ。まだ仕上がっていないナンバーやリプライズでバリエーションを作りたいナンバーを打合わせ。
  何と言ってもミュージカルは音楽が命ですから。

  午後、本日よりいよいよ全体稽古開始。プロローグとなるシーンを振付の上島雪夫君と作っていく。(観劇時の興味を削がないように、以後内容には触れずにおきます)
  4時間ほど掛かって一通りのステージングが終了。作品全体のトーンが決まる場面なので、今後時間をかけて成熟させて行きたい。

  稽古の途中、忙しい中時間を割いてくださった秋元さんと追加詞の打合わせ。
  オリジナル・ミュージカルの製作過程は「作っては直す」。ひたすらその繰り返し。

2001年5月30日(水)

  お台場のフジテレビで『風・・・』の次のミュージカル『ジキル&ハイド』の製作発表。これは『J&H日記』に譲る。(できるのか、そんな日記?)

  夜、照明・服部さん、音響・大坪さんと、演出部の皆さんで打合わせ。観客の目に付きにくい部分だが、スピーカーの設置位置やそのカムフラージュの方法、ステージ脇の照明機材の基地をどう作るかなど、『風・・・』を現代のミュージカルにするべく智恵を絞っているのだ。

2001年5月31日(木)

  日比谷公園の松本楼で、来年の芝居『鹿鳴館』の製作発表。これは『鹿鳴館日記』に譲る。(できるのか、そんな日記?)

  5月も今日で終わり。いよいよ一番嫌いなシーズン(梅雨)がやって来る!

2001年6月1日(金)

  スカーレットの最初の登場場面を作る。色々な手を試してみて、二転三転。

  衣裳の緒方さんとデザインの確認。緒方さんは、わが国の舞台衣裳界の重鎮。『サウンド・オブ・ミュージック』『南太平洋』に続いて3度目の仕事になる。
  コスチュームプレイで現実感を失わないようにデザインするのは至難の技なのだが、緒方さんはその辺りのさじ加減が素晴らしい。

  稽古後、堀越さんと台本直しの意見交換。「作っては直す」を本日も実践してます。

2001年6月2日(土)

  昨日までに作ったシーンをおさらいした後、主要人物が一堂に会する園遊会のシーンを作る。時間としてはごく短い場面なのだが、大勢を同時に動かすので、稽古にはとても時間が掛かる。
  こうしてほとんどのキャストが顔を揃えると、さすがに雰囲気があって、とても贅沢なミュージカルだと思えてくる。
  この作品を任された幸運につくづく感謝。
 
  夜はまたまた佐橋さんの所へお邪魔して音楽の打合わせ。音楽チームだけでなく、美術チームも衣裳チームも稽古と同時進行で、ひと月後に迫った初日を睨んで準備作業はいよいよ佳境に。

2001年6月3日(日)

  平日、日曜の区別もなく稽古は続く。(ホントはお休み欲しい!)
  コーラスの譜面が幾つか上がってきたので、今日はその歌稽古。

  明日以後の稽古に備えて、音楽チームとサイズやキューの確認。これをデリケートにやっておかないと、ドラマからミュージカル・ナンバーへの移行がギクシャクしてしまい、タモリさんの言う『恥ずかしいミュージカル』になってしまうのだ。

2001年6月4日(月)

  園遊会シーンのおさらいとその続き。南北戦争開戦までは漕ぎつけたぞ。

  稽古後、大道具の発注。美術デザイナーの堀尾さんを中心に、大道具会社の担当者、劇場大道具の棟梁、特殊効果会社の担当者、演出部の美術担当者たちが、堀尾さんの図面を基に大道具の素材、製作方法、仕上げなど、仕様の細部を詰めて行く。

規模が大きく、場面数も膨大なので、智恵と時間が幾らあっても足りない。些細な使い勝手も含めて検討して、またまた午前様。
  皆様、本当に申し訳ない。でも、今日だけでは発注しきれていないので、近いうちにまた次回を。

2001年6月5日(火)

  稽古予定を順調に消化して、スカーレットはタラを離れアトランタへと向かった。

  1幕前半のハイライトとなるダンス場面を上島君が振付。上島雪夫君は現在日本を代表する売れっ子振付師。『サウンド・オブ・ミュージック』『南太平洋』『I Do! I Do!』『シェルブールの雨傘』など、ご一緒したミュージカルは多い。
  彼はドラマから発想して振りを作ってくれるので、芝居からミュージカル・シーンへの移行がスムーズだし、作品全体の統一感も出せるので大助かりである。
  引く手数多なワケである。

2001年6月6日(水)

  昨日の続きを稽古。今日は殊の他時間が掛かってたしまった。

  新作を開ける場合、これはストレートプレイの場合でも変わらないのだが、机上で「成立する」と判断していたプランでも、実際に場面を作ってみると、思ったようには効果を上げられないことがある。
  その時、力技でもそのプランを成立させるのか、新たなプランを構想したほうが良いのか・・・。

  演出家に、胃の休まる暇はない。

2001年6月7日(木)

  今日で1幕の半分程度まで進む。明日から1幕の後半へ。華やかな場面、引き締まった芝居、緊張感あるシーン、ホッとする部分が良いバランスで配置され、見ごたえは十分(だと思うんだけど)。

2001年6月8日(金)

  稽古前半は、2人とか3人の静かな場面、後半では3、40人の大場面を作る。

  『風・・・』だけに、大人数を活用する場面がふんだんに出て来る。そうした場面は、稽古の手間も掛かるし、演出家の消耗も激しいのである。

2001年6月9日(土)

  稽古は休み。改めて2幕の想を練る。

2001年6月10日(日)

  演出部の皆さんには本当にお世話になっている。稽古前、俳優たちが入って来るずっと前に着到して稽古用の道具を作ったり、稽古後も深夜に及ぶまで、翌日のためにテキストやスコアを直したり、舞台模型を作って場面を検討したり・・・。

  私自身、東宝演劇部の演出部出身なので、照れ臭くて日頃言葉にし難いのだが、ホント、感謝してます。(今日も深夜帰宅になってしまったので、その罪滅ぼしに・・・)

2001年6月11日(月)

  稽古前、演劇雑誌『レプリーク』の取材で萩尾瞳さんにインタビューを受ける。この作品が多くの方々に注目されていることを改めて知り、身の引き締まる思い。

  稽古では1幕のラストまで辿り着く。ちょっとホッとしたのは事実だが、「九十九里を持って道半ばとすべし」と、森繁久彌さんに教わったので、浮き足立たぬよう自戒。

  稽古と平行して行われていた大道具の発注、第2回。今日もまた深夜、26時終了。
  本当に、皆様お疲れ様でした&ありがとうございました。

2001年6月12日(火)

  顔寄せ。スタッフ、キャストはじめ、東宝の演劇担当重役、劇場の正副支配人、宣伝担当など、公演関係者が一堂に会するセレモニー。
  本来は稽古初日にするものだろうが、現在では今日のように、稽古開始後の能率の良い日に行われる場合がほとんど。

2001年6月13日(水)

  1幕を台本順に、プロローグより全シーン当たる。まだまだ荒削りだが、繋げてみるとドラマとしてやはり見ごたえがある。
  我々に残された時間は決して多くないが、2幕も全力投球して作る決意。

2001年6月14日(木)

  東京會舘で製作発表風キャンペーン。作品冒頭を飾るナンバー『赤き大地よ』を林アキラさんとアンサンブル選抜チームが合唱。その後扮装した4人、真央さん、山口さん、今井さん、杜さんが入場、脚本の堀越さん、作曲の佐橋さん、作詞の秋元さんに私が加わって写真撮影と質疑応答。

  キャンペーンの後、今日から2幕の稽古に入る。

2001年6月15日(金)

  気がつけば初日まであと3週間。粛々と2幕の稽古は続く。

  この日記が日を追うごとに簡潔になっているような気がする。なぜだろう?

2001年6月16日(土)

  2幕中盤の幾つかのミュージカルナンバーを作る。ちょっとてこずって(?)21時を回る。
  キャストの皆さん、途中でご飯食べさせて上げなくてご免ね。

2001年6月17日(日)

  アンサンブルの皆さんの衣裳合わせ。余りにも恐ろしくて数えていないのだが、衣裳の総点数は、恐らく300着は下らないのではないだろうか?

  今回、南軍北軍の軍服は、ニューヨークのコスチューム・ショップから取り寄せている。以前、今回と同じデザイナーの緒方さんと『南太平洋』を上演した際に、第二時大戦当時の軍服を同じショップで調達したことがある。
  考証がしっかりしている上に、コストも抑えられるのである。

2001年6月18日(月)

  レットがスカーレットにプロポーズするシーンまで、ようやく漕ぎつけた。稽古は連日20時、21時といった状態。

  こうした稽古場を仕切り、全体のスケジュールを作ってくれるのが演出補の寺崎君。『エリザベート』も『カルメン』も私の『サウンド・オブ・ミュージック』も、全て寺崎君が演出部のチーフを勤めている。
  もちろん私の右腕となって、様々な場面で智恵を出してもくれるし、良き相談相手でもある。この仕事には珍しく酒をほとんど飲まないのが、私にとってはありがたい。

2001年6月19日(火)

  連日、長時間に渡って根を詰めた稽古を続けているので、さすがに私もちょっとバテ気味。
  私だけではないだろう、スタッフ・キャスト共にしんどい時期に違いない。どうか皆さん、我々に励ましのメッセージを!(といっても宛先が分かりませんが・・・)

  2幕も半分まで辿り着いた。あとはこの大河ドラマを最高にカッコ良く締めくくることに全力投球するのみ。

2001年6月20日(水)

  プロデューサーの坂本さんに、チケットの売れ行きを聞く。日によっては良い席がほとんど無いなど、かなり好調な様子で、一安心。
  既にお買い求め下さった皆様、ありがとうございました。期待に背かぬ作品になるよう、精一杯がんばります。
  まだの方、そんな具合ですので、良いお席はどうぞお早めに。

  稽古は2幕も後半に突入、主要人物たちが最後のドラマを繰り広げている。が、この所の陽気とハード・スケジュールのせいか、体調を崩しかけているキャストも多い。
  時節柄、皆さんもご自愛ください。

2001年6月21日(木)

  プリシー役の植田チコさんは、稽古場入りが異常に早い。通常稽古は13時スタートなのだが、2時間前にはもう身体を動かしている。

  そう言う私も今回は早々と稽古場入りしている。こう見えて私はかなり心配性なので、新しい場面の稽古に入る日の朝は、家でゆっくりしていることができない。
  早めに家を出て馴染みのコーヒー・ハウスで台本を開くのだが、ここでも集中が続かない。こちらも早々に切り上げて、結局稽古場に入る時間はチコさんと大差ない・・・と言うオチである。

2001年6月22日(金)

  あくまでも取り敢えず、ですが、ラストシーンまで辿り着く。これで完成、という精度ではもちろんないのだが、なんとなくホッとする。気がつけば初日までちょうど二週間。
  これから先は、個々のシーンをブラッシュ・アップすることと、全体の流れを作ることに稽古の重点が移る。

  現在、佐橋さんが、稽古場で決定したサイズを元にオーケストラのスコアを怒涛の勢いで執筆中。
  更に衣裳の仮縫いとフィッティングが怒涛の勢いで、大道具の製作と舞台転換の打合せが同じく怒涛の勢いで、現在進行中。

2001年6月23日(土)

  2幕を一通りさらう。6月13日に1幕をやった様に。

  稽古後照明の服部さん、助手の新井さん、演出部の皆さんと、照明打合わせ。各場面の照明をどういう考え方でデザインするか、キューをどう作るか、シーンチェンジはどのタイミングで、何を見せながら行うか。
  明りを実際に作るのはもちろん劇場に入ってからだが、この段階でのミーティングを綿密にしておかないと、劇場に入ってからの作業が効率良く行えないのである。

  余談ながら、本日も午前様。ホント、もう、申し訳ない・・・。

2001年6月24日(日)

  おおっ!?  ホームページがリニューアルしているっ!

  それはそれとして・・・。今日は衣裳合わせと仮縫い。それと劇中の声の録音。稽古は無し。

  帝劇地下六階の稽古場で、いよいよオーケストラ・リハーサル開始。指揮の伊沢さんのテキパキとした指図で、1曲1曲がどんどんと形になって行く。
  ミュージカルの仕事をしていて私が一番好きなのは、この、初めてオーケストラの演奏を聞く瞬間。  それまでの苦労が一気に報われたような、とても晴れ晴れとした気分になるので。

  伊沢さんは東宝ミュージカルではお馴染みのベテラン指揮者。『ローマの休日』初演も振っていただいた。温厚な人柄で、オーケストラを上品且つ優雅に鳴らしてくださる。
  35年前の帝劇新装開場の時に上演された菊田一夫版『風と共に去りぬ』も振っていらしたそうです。(ストレートプレイなのに、劇伴をオケが演奏していたのです)

2001年6月25日(月)

  台本順に、全場面を稽古。さすがに1幕は久し振りなので、てこずる。2幕は皆の記憶もまだ鮮明なせいか、大過無く流れる。
  全体を解散させてから幾つかの抜き稽古をして、22時終了。

  稽古場は今日を入れてもあと7日。その間に細部を仕上げ流れを作り、オーケストラとの合わせも済ませなければならない。
  個人的に不安になって来たのは上演時間。想定より、ちょっと長い・・・かな?

2001年6月26日(火)

  ホームページを覗いてびっくり!  初日まであと8日!?
  7月6日が初日ですので、皆さんお間違えのないように。

  それから、励ましのお便りを何通か本当に頂いた。大変元気づけられました。心より感謝申し上げます。

  さて、今日はいよいよ初めての通し稽古。順調な仕上がりだと思う。ただし、想定よりやや長い。今後どこまで刈り込めるだろうか・・・。

  そして、そろそろ各セクションから悲鳴が聞こえてくるようになった。
  今日も衣裳合わせや仮縫いが23時まで。照明の服部さんは、「まだ見えない部分が沢山有るんだ」と言い残して早々に稽古場を去り、大道具の棟梁の「間に合わねえかも」と言う発言が伝わって来て、オーケストラ・リハーサル中のチームからはスコアがまだ揃わないとの報告が。

  でも皆さん、どうぞご心配なく。『ローマの休日』の時はこんなもんじゃなかったからね。

2001年6月27日(水)

  いよいよオーケストラとキャストの合わせ、通称オケ合わせ。オーケストラが稽古場に入り、今までピアノだけで続けてきた稽古とようやく合体。
  幕開きより台本順に、音楽の入る場面を全て、オーケストラで当たって行く作業。

  ピアノ演奏だけでは掴めなかった様々なニュアンスが、果たしてそのシーンとマッチしているのか、キューやテンポは適切か、など、時にスコアを書き直しも厭わずに調整されて行く。

2001年6月28日(木)

  昨日、今日でオケ合わせを終える。雄大な曲、さわやかな曲、軽快な曲、しっとりした曲、華やかな曲・・・。素敵なメロディが、見事なオーケストレーションで一層素敵になった。

  この1ヶ月半、お世話になった稽古ピアニストの間野さん、宇賀村さん、お疲れ様でした。皆さん無くして今回の仕事は考えられませんでした。有難うございました。
  國井さんには引き続き、ピットの中で千秋楽まで面倒をおかけします。よろしくお願いします。

2001年6月29日(金)

  初日まであと1週間。残す所、稽古場は後3日。今日からオーケストラ入りの通し稽古(通称『オケ付き通し』)。
  一同、見事な集中力で、今までで最良の出来。が、これで満足することなく、通し稽古の後、何シーンかを抜き稽古。

  今日の通し稽古を見て、この仕事を引き受けて良かったと、つくづく思いました。

2001年6月30日(土)

  『屋根の上のヴァイオリン弾き』千秋楽。『屋根・・・』のセットが撤去されると『風・・・』の仕込みがスタートする。劇場では、今夜は徹夜で入れ替え作業が続くのである。

  稽古場では予定上演時間に収める為の悪戦苦闘が続く。これは簡単なことではない。

2001年7月1日(日)

  7月に入った。稽古場最終日、最後のオケ付き通し稽古。稽古場でできることは全てやった。後はこの大作を舞台に降ろし、劇場のマジックで包んで皆さんにお届けするばかりである。

  劇場スタッフは今日からが戦争である。膨大なセットと複雑な舞台転換、それを司る照明のデザイン。全てはまだこれからの作業なのである。

2001年7月2日(月)

  お昼より劇場にて道具調べ・照明合わせ。稽古は休み。
  舞台上に各場面のセットを実際に飾り、仕様通りに仕上がっているか、使い勝手はどうか、小道具をどう飾るか・・・などを、美術家(今回なら堀尾さん)を中心にチェックするのが道具調べ。
そのセットに照明をどう当てて行くか、照明家(今回なら服部さん)がデザインして行くのが照明合わせ。
  途中、アトランタの炎上場面が上手く行かず、終了は28時30分。劇場から出ると、既に空は白んでいた。

  この文章を書いているのは朝の5時。

2001年7月3日(火)

  午前中はサウンドチェック。ピットに実際にオーケストラが入り、演奏しながらバランスを決めて行く作業。

  午後はテクニカル・リハーサル、通称テク・リハ。キャストが入らない以外は本番通りに、舞台進行のキューを一つ一つ追いかけて確認する作業。
  これを精密にやっておかないと、舞台稽古に思わぬ時間が取られたり、事故を引き起こしかねない。

  今回の『風・・・』は舞台の進行が複雑なので、テク・リハに大変時間が掛かる。全場面片付いた訳でもないのに、本日も終了は26時30分。大道具さんは更にその後、直しの作業。

2001年7月4日(水)

  舞台稽古初日。プロローグから台本順に、各場面を当たって行く。
  セットの使い勝手、キャストの立ち位置、出入りなどを確認しつつ、照明、音響、オーケストラ、その他様々な舞台効果を本番同様に遂行して調整する。

  2幕2場まで辿り着いて、以下は明日。引き続き、テクリハの残りを消化。
  何だか自慢しているみたいだが、楽屋口を出て地上に出ると、またまた東の空がうっすらと白み始めていた。

2001年7月5日(木)

  舞台稽古2日目、まず昨日の続きをやり終える。然る後、最終的に全幕通しの舞台稽古を行う段取り。

  『ローマの休日』青山劇場の初演では、最後の通し舞台稽古の開始が24時近くとなり、幕が降りたのは初日の朝、27時近くになっていた。未明の青山劇場前に100台を越すタクシーが行列を作っていた、という逸話が残っている。

  果たして今日は・・・

  5日中に終了することができた、とだけ申し上げておく。

2001年7月6日(金)

  初日。5分ほど遅れて開演。果たして皆さんのご期待に応えることができたのか?
  正直に言えば、今の私には良くわかりません。ただ、ようやく重い重い荷物を肩から下ろすことができてホッとしている、と言うのが、帰宅してこれを書いている現在の心境です。

  明日以降、少し冷静になって、或いはご覧になった方々の声が届いたりすると、色々と手直したい部分が出てくるのかもしれません。

  今日は致命的なトラブルこそ有りませんでしたが、私から見ると、もう手に汗握りまくる初日でした。
  とは言え、やはり手塩にかけた舞台の初日は何よりも嬉しいものです。この場を借りて、公演関係者全員にお礼を申し上げます。
  それと、この拙い日記にお付合いくださった皆さんにも。もう、何度途中で辞めてしまおうと思ったことか。

  でも、今日劇場で「日記読んでいました」と、何人もの方々から声を掛けていただいて、あ、作り手と観客が接点を持つことは悪くないものだな、と目から鱗が何枚も落ちました。

  私の仕事は劇場に足を運んでくださった皆さんに楽しんでいただける作品を作ることですから、こんな形で皆さんと接点を持つことができたことは、私には大きな収穫でした。

  さしあたって、この日記をいつまで続ければ良いのか、聞いていないので分からないのですが、本日で第1部は終了と勝手にさせていただきます。
  でも宣伝部さんのお許しがあるようならば、不定期に更新させていただこうとは思っているのですが。

(了)

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『GWTW』通信

9月18日(月)

 ミュージカル『風と共に去りぬ』は、帝劇初演とそれ以降とでヴァージョンが異なっている。改訂は台本、ミュージカル・ナンバーから舞台美術まで多岐にわたって行われた。
 前作『ローマの休日』の時にも、上演の度に繰り返し手直しが行われたのだが、『風と共に去りぬ』は、帝劇初演から次の大阪梅田コマ劇場での再演まで1年以上間が空いていたこともあり、かなり大規模な改訂を一気にやり遂げた感じであった。大阪以降の再演は、この時の「梅田コマヴァージョン」にほぼ準じている。今回の博多座版もである。

 前回、最後に『風と共に去りぬ』が帝劇で上演されてから今回の博多座再演までの間には3年の年月が流れている。そのせいか、稽古に入ってみて幾度となく「あれ・・・?」という瞬間に出くわした。
 「あれ・・・?」というのは、「この場面に出ていたっけ?」であったり、「そっちに退場するんだっけ?」であったり、「こんなこと、やってなかったっけ?」と言った類のことである。

 それは初演ヴァージョンと再演ヴァージョンがごちゃ混ぜになって記憶に残っていることに起因する混乱であった。やはり苦労した初演の時のことの方が強く残っているらしく、それが「あれ・・・?」という違和感を引き起こしたのである。
 そう感じたのは私だけでなく、以前も参加していた人はほとんど全員、スタッフも出演者も、例外なく同じ感覚を味わった様である。

 人の記憶ほど当てにならないものはない。

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『GWTW』通信

9月17日(日)

 1963年の『マイ・フェア・レディ』初演以来、東宝は翻訳ミュージカルのパイオニアとして数々の名作、話題作を上演して来た。が、その一方でオリジナルでミュージカルを製作する試みは、数える程しかリストに残されていない。
 パラマウント映画『ローマの休日』を素材に日本人クリエイターの手でオリジナル・ミュージカルを作る、という企画がいつ、どのようにして出て来たものなのか、残念ながら私は知らない。私はその事実を1996年9月の新聞報道によって知ったのであった。私がその演出を担当する様に命じられたのは翌年の5月のことである。

 1年半の準備期間を経て、ミュージカル『ローマの休日』は1998年10月1日に青山劇場でワールド・プレミアが行われた。幸いなことにこの公演は好評を博し、『ローマの休日』はその後大阪、名古屋、博多で上演され、2000年の3、4月には帝劇に凱旋した。更にその後韓国へ輸出され、韓国人スタッフ&キャストによる上演も行われたのである。
 その好評を受けて(だろうと私は想像しているが)、東宝発のオリジナル・ミュージカル第2弾として企画されたのが『風と共に去りぬ』であった(のだろうと私は理解している)。

 脚本は『ローマの休日』も手掛けた堀越真さんで、菊田一夫の一連の脚本を元にはしているが、実際は堀越さんによる「ほぼ」書き下ろしである。
 音楽(作曲、編曲、オーケストレーション、音楽監督)は佐橋俊彦さん。今年の『ウルトラマンメビウス』、去年の『仮面ライダー響鬼』など、テレビの世界でも売れっ子だが、『テニスの王子様』『こちら葛飾区亀有公園前派出所』など、こつこつとミュージカル作りも続けてきた才人である。『風と共に去りぬ』の縁で、『ミー&マイガール』の音楽監督も引き受けて貰った。
 そして作詞はあの秋元康さんである。若い頃よりブロードウェイやラスベガスで本物のショーを観て来ただけあって、ミュージカルについての見識も想像していた以上に深い方であった。出来上がった『風と共に去りぬ』の歌詞は「いわゆるミュージカル風」というものとは異質であるが、それこそが秋元さんがこだわったことである。(続く)

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『GWTW』通信

9月16日(土)

 ミュージカル『スカーレット』は1970年1月2日に帝劇でオープンした。菊田一夫が担当したのは製作・脚本で、演出・振付にはジョー・レイトンが、作詞・作曲にはハロルド・ロームがブロードウェイより招かれた。

 ジョー・レイトンは『サウンド・オブ・ミュージック』(振付)や『ワンス・アポン・ア・マットレス』(振付)、『バーナム』(演出・振付)などを手掛けた才人で、『ノー・ストリングス』(演出・振付)と『George M!』(演出・振付)でトニー賞の最優秀振付賞を受賞している。
 ハロルド・ロームには『Pins and Needles』『Call Me Mister』などのブロードウェイ作品があるが、日本で比較的知られているのは『ファニー』だろうか。
 ミュージカル『スカーレット』の製作に当たっては、他にも美術、照明、衣裳、編曲などのスタッフがアメリカより招かれた。そして帝劇の様々な部屋が占拠され、昼夜を問わぬ作業が続けられたらしい。

 このミュージカル『スカーレット』は1972年にはロンドンに上陸し、由緒あるドルリー・レーン劇場で5月3日から翌年の4月7日まで上演されている(タイトルは『Scarlett』ではなく『Gone With The Wind』に戻された)。これは日本発のオリジナル・ミュージカルの初めての輸出だったのではないだろうか。ミュージカルの上演に関しては、日本は未だに輸入超過のままである。

 ややこしいのは、後に発表された『風と共に去りぬ』の続編小説(アレクサンドラ・リプリー/作)が同じ『スカーレット』と言うタイトルで、『スカーレット』と言う題名のままで帝劇で舞台化(1996年)もされていることである。
 菊田版のストレート・プレイ『風と共に去りぬ』は初演の後も「総集編」が作られたり(1968年帝劇)、再演も行われたり(1974年、1987年)したのだが、ウエストエンドにまで進出した菊田版ミュージカル『スカーレット』の方は、その後国内で上演された記録が見あたらない。

 『風と共に去りぬ』を新しくミュージカルにしたい、と聞かされたのは『ローマの休日』をミュージカル化してようやく一息ついた頃のことであった。(続く)

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『GWTW』通信

9月15日(金)

 帝国劇場は1911年に開場した日本初の洋式劇場である。現在の帝劇は2代目で、1966年の9月に竣工した。そのオープニングとして、10月の歌舞伎公演に続いて11月3日から上演されたのが菊田一夫/脚本・演出による『風と共に去りぬ』で、これが世界初の舞台化であった。
 この公演は翌年の4月2日まで続く大ロングラン公演だったのだが、この時上演されたのは「第1部」と銘打たれた前編で、ここではスカーレットのアトランタからの帰郷までが描かれた。後編に当たる「第2部完結編」は1967年の6月1日から帝劇で、こちらも3ヶ月に渡るロングラン興行であった。

 現在の帝劇は、この時の『風と共に去りぬ』上演を想定して様々な舞台機構や設備が設計されたと聞く。地下6階にも及ぶ奈落、2層になった巨大な迫り、直径9間(けん)にも及ぶ回り舞台、舞台上下(かみしも)からセットを乗せたまま入ってくるスライディング・ステージ、奈落でセットごと舞台を差し替えるワゴン・ステージ、舞台後方からの映像投影を可能にするリア・スクリーンと映写室・・・。
 これらを駆使した『風と共に去りぬ』に、当時の観客は度肝を抜かれたに違いない。アトランタを脱出する場面の背景には、円谷英二による特撮の炎上シーンが用いられ、スカーレットたちを乗せた馬車を引いたのは生きた本物の馬であった。
 ピットにはオーケストラも入っていたが、この時の『風と共に去りぬ』はミュージカルではなかった。当時はストレート・プレイの劇伴を生のオーケストラが演奏することがあったのである。

 この舞台化の成功を受けて、当時東宝の演劇担当重役でもあった菊田一夫は『風と共に去りぬ』のミュージカル化に着手する。(続く)

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『GWTW』通信

9月14日(木)

 いま稽古中なのは、ミュージカル『風と共に去りぬ』である。この作品は、『ローマの休日』に続く東宝発のオリジナル・ミュージカルとして2001年の7、8月に帝劇で初演された。その後大阪、名古屋、再び帝劇でも上演され、今回は博多座である。

 マーガレット・ミッチェルによる原作小説が刊行されたのは1936年のことで、4ヶ月で70万部を売り、同年のピュリッツァー賞を受賞した当時の大ベストセラーである。今でも新潮文庫で読むことができるが、これは全5冊に及ぶ大河小説である。

 一般に馴染みが深いのは映画版の『風と共に去りぬ』であろうが、1939年に映画化されて同年のアカデミー賞を8部門で受賞した、上映時間4時間に迫る超大作である。日本でこの映画が公開されたのは、第2次世界大戦の影響で1952年のことであるが、以来繰り返し上映されて、その都度新しいファンを生み出して来た。

 このベストセラー小説を世界で初めて舞台化したのが菊田一夫で、それは1966年のことであった。(続く)

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新劇場

 日比谷の芸術座跡に2007年11月にオープンする東宝の新劇場の詳細が発表された。劇場名はシアタークリエで、詳しくは東宝のホームページをご覧頂きたいのだが、何はともあれ、おめでたいことである。

 こけら落としの作品は三谷幸喜の新作で『恐れを知らぬ川上音二郎一座』、第2弾には『放浪記』が予定されている。第3弾は・・・どうか正式発表をお待ち頂きたい。

 演劇に携わる者のひとりとして、新しい劇場の誕生を素直に喜びたいと思う。そして22年間東宝演劇部に所属して来た者として、大いに誇らしい。シアタークリエの成功と発展を心より願っている。

 なお、私の「芸術座の想い出」はここに。

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『プライベート・ライヴズ』初日通信

9月4日(月)

 スタッフは、朝から相変わらず細かな調整を続けている。俳優チームは午後出勤で、日課のアクション・シーンと、昨日のゲネプロで色々なことが多く起こった1幕を軽く当たる。

 そして初日。19時を5分押して開演。20分の休憩を挟んで約2時間半の仕上がりであった。
 お客様はよく笑ってくださった。『プライベート・ライブズ』はコメディなので、何はともあれお客様に笑って頂けて一安心であった。カーテン・コールでも暖かな拍手を頂戴し、1度目のコールが終わった後、俳優たちは再び舞台に呼び戻された。これは想定していなかったことであった。

 劇場の退出時間が迫っていたので、近くのお店に移動してから初日の乾杯。とても楽しいひとときで、あっという間に過ぎた。プロデューサーのお2人、祖父江さんと山家さんが殊の外喜んでくださっていたのが印象的であった。

 これで『プライベート・ライブズ』通信はひとまず終了である。とても後味の良い、洒落たコメディに仕上がっていると思うので、どうか青山円形劇場にお出掛け頂きたい。

 西川さんの稽古場リポートは劇場リポートに衣替えして継続されているが、果たしていつまで続くのか。衣ちゃんのホームページぴらのへやはへなちょこのふにゃちょこのままである。
 飯島大先生の「顔を洗って出直して来い!」、じゃなかった顔を洗って出直しますは続くだろうが、しかし『プライベート・ライブズ』ばかりに関わり合ってもいられまい。・・・いられるのか?

 大先生と言えば、自転車キンクリートの方に執筆されているコラムじて菌な雑文の方に、私についての文章を寄せてくださっている。恐らくこれは我が国初の、そして恐らく2度と無い「演出家・山田和也論」である。
 文章が長いのが玉にキズだが、まあ、ご興味のある方はどうぞ。

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『プライベート・ライヴズ』通信

9月3日(日)

 舞台稽古2日目。

 今日も朝から照明の直し、音響の調整などスタッフの作業。そして午後、アクションと3幕の抜き稽古を稽古着で。
 昨日の舞台稽古で全場面当たれているのだが、夜の通し稽古の前に舞台に馴染んでおきたい、と言う声が多かったので3幕を軽く当たっておくことにした。

 18時より通し舞台稽古。業界ではこれを「ゲネプロ」、または「ゲネ」、「GP」などと言う。これはドイツ語 Generalprobe(ゲネラルプローベ)の略だが、でも何故ドイツ語?
 ゲネでは色々なことがあり、中でも○んちゃんがかなり楽しいことをやってくれたが、ゲネでトラブルが多い方が初日に上手く行く、と言うジンクスが舞台裏にはあるので、これはむしろ良い兆候である。
 『ダンス オブ ヴァンパイア』の作者、ミハイル・クンツェさんから聞いた話だが、ドイツにも全く同じジンクスがあるのだそうだ。舞台の世界にもグローバル・スタンダード化が押し寄せて来ている・・・と言う話ではないなあ。

 それはともかく、明日は初日。どうか沢山のお客様にご来場頂きたいと思う。

 面白いよ。

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『プライベート・ライヴズ』通信

9月2日(土)

 照明、音響の調整などの後、舞台稽古。

 各幕を、1回目は止めながら段取りを確認しつつ、2回目は止めずに当たる。私も1回目は客席を歩き回って様々な角度から、2回目はじっくりと腰を据えて見た。
 1カ所に座って見ていても、ちょっと視線をずらすだけで、様々な席に散って座っているスタッフの反応が目に入る。人の反応が気になる演出家にとっては、それだけでも円形劇場は楽しい。

 観客も、舞台を観ていると自動的に反対側の観客の反応が目に入ってくる、と言う不思議な体験をすることになる訳だが、未体験の方、これ、かなり面白いよ。

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『プライベート・ライヴズ』通信

9月1日(土)

 フォーカス合わせ。道具調べ、照明合わせ。サウンド・チェック。

 1幕の照明合わせとサウンド・チェックで円形劇場の難しさを思い知らされた。が、概ね作業は順調である。昨日は子供たちの声でかまびすしかったロビーも、今日はこどもの城が休館なので、まるで別の場所の様である。

 舞台が近い、と昨日も書いたが、何しろ最後尾が5列目である。27列目の帝劇は言うに及ばず、あのPARCO劇場でも17列目であるから、その近さがお分かりいただけるだろう。

 明日から舞台稽古が始まる。

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『プライベート・ライヴズ』通信

8月31日(木)

 搬入、仕込み。照明のフォーカス合わせ。

 青山円形劇場1日目。劇場は「こどもの城」の3階にあるので、1歩外に出ると、そこには子供の為の施設、造形スタジオやプレイルームがあり、夏休みの児童たちが走り回っている。なので搬入作業は「こどもの城」が開館する前、9時から10時の間に終えなければならない。
 無事に搬入を終え、照明の吊り込み、基本舞台の仕込み・・・と作業は続く。ほぼ実寸で1ヶ月間稽古して来たので、組み上がった舞台を見てもほぼイメージ通りという印象である。ただ、それにしても舞台が近い。
 これももちろん想定通りなのだが、稽古場と違って客席に段差が付いているので、殊更近くに感じるのかもしれない。舞台と客席が近いのはこの劇場の特性だし、だからこそこの劇場を選んだのだが。

 予定の作業を順調に消化して1日目は終了。明日はフォーカス合わせの続き、そして道具調べ・照明合わせ。

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