『THE BEST/New HISTORY COMING』通信
2月13日(木)
舞台稽古2日目。
(中略)
明日は初日。現・帝劇最後の公演の幕が上がる。
2月12日(水)
舞台稽古1日目。
まずはお祓い。現・帝劇最後の公演の安全と成功を祈念する。そして舞台稽古へ。
(中略)
明日も舞台稽古。
2月11日(火)
道具調べ/照明合わせ。夕方からは並行してオーケストラと音響チームのサウンド・チェックも。
今まで何度となくここで道具調べ/照明合わせをやってきた。その毎回が時間との戦いで、「幕が開かないかもしれない」と思うような展開になったことも一度や二度ではなかった。
それらも今は懐かしく思い出す。今ではみんな「いい思い出」である。
……なんて振り返ってる場合ではなく、最後の最後も時間との戦いだぁー!!!
2月10日(月)
舞台では順調に仕込み作業が進んでいる。
今日・明日は稽古は無く、各セクションが帝劇最後の舞台の仕上げに勤しんでいる。
大道具周りの仕込みは昨日ある程度終えているので、今日は照明のフォーカス合わせがメインの作業。並行してオーケストラ・ピットの設営や音響チーム、映像チームの調整なども。
道具調べ/明かり合わせと舞台稽古の間、演出家席は客席の中央付近に仮設される。
帝劇では客席1階L列のセンター付近に設置され、台本や譜面を広げたりメモを取ったりできるようにテーブルと手元明かりも用意される。隣には演出助手の末永陽一さんが座り、マイクを握って舞台稽古を進行することになる。
今回、私の演出テーブルには菊田一夫さんが愛用された眼鏡と遺影が置かれている。
菊田さんは初代帝劇の建て替え(つまり現・帝劇の建設)に采配を振るわれた、当時の東宝の演劇担当重役である。重役であると同時に劇作家、脚本家、演出家、プロデューサーでもあり、今でも「菊田一夫演劇賞」にその名前をとどめている。シアタークリエ1階ホワイエの胸像をご記憶の方もいらっしゃるだろう。
先日発売された「帝国劇場アニバーサリーブック」でも「菊田さんが現・帝劇の実現にどれほど腐心されたか」にページが割かれている。
2月9日(日)
オケ付き通し2回目。そののちゲスト何人かのオケ合わせ。そして稽古場最終日。
現・帝劇最後の作品の最後の稽古が終了した。
終わってみれば、1月6日の稽古初日からあっという間だったように感じる。「早く初日にならないかなぁ……」と思う時もあったし、「いつまでも初日が来なければいいのになぁ……」と思う時もあったが、今は……よく分からないや。
舞台では各セクションの仕込みが始まっている。明日・明後日は稽古は休みで、私はスタッフとの作業に専念する。
さて。
『THE BEST』はコンサートなので、通常のミュージカル公演の時には控えてしまうような「歓声」や「手拍子」「指笛」などは「周りのお客様のご迷惑にならない限り大歓迎」である。
最初のナンバーの最初のキャストが登場した瞬間からカーテンコールの幕が下りる最後の瞬間まで、帝劇がライブ会場のように盛り上がったら嬉しい(でも歌の邪魔はしないでね)。
2月8日(土)
オケ合わせ3日目。
ものすごい勢いで残りの楽曲を合わせまくる。
そののちオケ付き通し。
ピアノでの通し稽古をやっていないので、これが初めての通し。ついに『THE BEST』の全貌が。
今日の時点で予想される上演時間は、休憩(25分……かな?)を入れておおよそ…… 3時間半…… 前後? ……である。
ただし、ゲストの人数や歌う楽曲、トークの流れによっては大きく増減する可能性も捨てきれない。終演後のご予定はくれぐれも時間に余裕をもってお立てくださいますように。
2月7日(金)
オケ合わせ2日目。
今日までのところは極めて順調、かつ快調に進んでいる。
が、順調、快調に進んでも終わりはなかなか見えてこない。なので明日もオケ合わせ。
そして帝劇クロージング公演の『レ・ミゼラブル』が千穐楽。
関係者の皆さん、お疲れさまでした。引き続きどうぞ良い旅を。
さて。
『レ・ミゼラブル』の撤収が済むといよいよ『THE BEST』の仕込みが始まる。
この2日間、9階稽古場には豪華なキャストが入れ代わり立ち代わり登場し、オーケストラの見事な演奏で最高の歌声を聞かせたくれた。
まるで「あの時」に戻ったような2日間であった。(3日目もあります)
2月6日(木)
オケ合わせ1日目。
『THE BEST』のオーケストラは19名編成。ゴージャスなオーケストラである。
9階の稽古場は「帝劇が公演中」だとワイヤレスマイクが使えない(その話はこのブログでも以前に何度か触れた)。なので今日も(明日も)キャストの皆さんはスタンドマイクの前で(ステージングや振付は脳内で)歌うことに。
『THE BEST』では様々なタイプの音楽が演奏されるが、その幅の広さはミュージカルが持つ多様性そのものであるように思う。今日1日、最高のオーケストラと最高の歌い手でその多様性を堪能した。
とうとう現帝劇最後のオケ合わせが始まってしまった。
2月5日(水)
アンサンブルの皆さんの振り固め。そののち大勢でがんばるナンバーのおさらい。
本番の舞台上には「稽古場では再現できない」様々な要素が結構あって、おさらいをするのにも難儀する。これは「舞台稽古が思いやられる」パターン……なのか?
そして稽古ピアノの皆さんは本日をもって任務完了。まだ音楽班として「オーケストラの奏でる音楽の仕上がりに目を配る」役割が残っているのだが、何はともあれお疲れさまでした!
稽古後は、そのオーケストラのお引っ越し。9階稽古場にオーケストラがやって来た!
2月4日(火)
ほぼ全場面をあたる。あたりながら、まだ段取りのついていなかった個所をひとつずつ潰す。可能な個所は極力繋げてやってみる。やや長時間の稽古となる。見応え、聴き応えはかなりある。
稽古で粘れるのは明日までである。明後日からオーケストラとの合わせに突入するからである。待ちに待った日である。
初日まで10日である。
2月2日(日)
まだ手を着けていなかったソロ曲やデュエット曲などを形にする。ゲストの皆さんも入れ代わり立ち代わり顔を出してくれる。懐かしい再会も連日あって、『THE BEST』の演出をやらせてもらって最高に幸せ。
大変なことも少なくないけど。
稽古後は照明/舞台進行打ち合わせ。コンサートにしてはなかなか手ごわい……なぁ。
で、明日は稽古OFF。現帝劇最後の「稽古OFF」である。皆さん、どうぞ良い休日を。
2月1日(土)
合流できていなかった人を「ステージングの済んでいるナンバー」にはめ込む日。並行して衣裳の仮縫いも。
9階の稽古場で過ごす時間がどんどん長くなっている。稽古時間が長くなっているからであるが、私が時間より早く稽古場に来てしまうからでもある。
稽古前の時間、私は「その日の稽古をどう進めるか」や「先々のプラン」を考えるために稽古場近くのコーヒーショップやファミレスなどでひとときを過ごし、それから稽古場に向かうことにしている。
『THE BEST』でも当初はそうしていたのだが、ここのところはコーヒーショップやファミレスをスキップして稽古場に出勤してしまう。帝劇の稽古場は落ち着くし、広いし、電源に困らないし、公演の資料や舞台セットのミニチュアも置いてあるし、自販機も冷蔵庫もあるし……
でも稽古場で過ごす時間が長くなっている一番の理由は帝劇に1分でも長くいたいから……です。
明日からオーケストラのリハーサルが始まる(別稽古場でね)。そして明日の朝は「東京都内でも雪になるかも知れない」と気象庁が報せている。
皆さん、どうぞお気をつけて。
1月31日(金)
今までの稽古で取りこぼしていた部分を解消。そしてブラッシュアップ。
今日は振付チームの3人が順番に担当ナンバーをブラッシュアップしてくれたのだが、3人とも粘る粘る。
粘れる……というのは、この仕事でやって行くためには不可欠な「才能」だと思う(ほめてます。いや尊敬してます)。振り返って自分は……
足元にも及ばないなぁ……。
今日は『レ・ミゼラブル』がお休みだったこともあって出席率が高かった。
そのせいもあるだろうが、稽古場内の親密度……というか打ち解け具合……というか、稽古場のムードやテンションがとてもいい状態に上がってきたように思う。限られた残り時間の中で処理しなければならないことは山積みであるが、このカンパニーなら大丈夫だろう。
さて。
1月もおしまい。初日まで2週間である。
1月30日(木)
大勢でがんばるナンバーをいくつかステージング。その合間にソロ曲も何曲か。
大勢でやるナンバーは見ていても楽しい。やっている皆さんも楽しそうである。少なくとも涼風真世さんは「楽しい」とおっしゃっている。
昨日も触れたが、やるべきことが増えたので(人が増えたからね)稽古の終了時刻もそれなりに遅くなる。遅くなればそれなりにお腹も空く。前もっての食料の確保が生死を分ける(死にません)。
話は変わる。
『THE BEST』は2幕構成で、途中に25分の(と現時点では予想されるが確定ではない)休憩が入る。上演時間は……3~4時間の間……ではなかろうか? おおよその目途がついたらご報告したい。
おおよそでも目途のつく時が来れば……の話であるが。
(前日よりつづく)そして帝劇での演出作品17本目が『THE BEST』である。『THE BEST』は、帝劇と帝劇で上演されたすべてのミュージカル、そしてそれらに携わった関係者全員へのラブレターである。皆さんのおかげで日本のミュージカルはここまでくることができました。(つづかない)
1月29日(水)
ツアーに出ていたキャストが続々と帰ってきてくれて、稽古場がますます賑やかに。
というわけで、さっそく「全員が登場するナンバー」をステージング。それから帰ってきた皆さんの「まだ手を付けていなかったナンバー」もステージング。更に「アンサンブルさんが先行していたナンバー」にレギュラーキャストの皆さんをドッキング。
稽古でやるべきことが一気に増えて、稽古場は賑やかになっただけでなく慌ただしくもなった。ショー・ビジネスらしくなってきた!(追い込まれるとアドレナリンが出るタイプ?)
(前日よりつづく)帝劇での演出作品16本目は舞台『キングダム』(2023年2月公演)である。実写映画版でもお馴染みの大人気コミックの舞台化で、豪華なキャストが一瞬「ミュージカルか!?」と錯覚させるがミュージカルではない。骨太なドラマと目の前で繰り広げられる激しいアクションが大きな見せ場となっていた。
舞台『キングダム』は現・帝劇最後の新作ストレートプレイであった。心がけたことは「原作ファンの皆さんの期待に応えること」、そして「帝劇に相応しいスケールを維持すること」。キャストの熱演とクリエイティブ・チームの創意によってそれは達成できていたのではないかと思う。(つづく)
1月27日(月)
歌稽古。そして振り付け/ステージングとそのブラッシュアップ。
今日は今までの中では一番大勢がそろった稽古であった。みんながそろうとやはり楽しい。
話は変わる。
帝劇の楽屋口は地下1階、先日閉店した「丸亀製麺」の左側にある。そこには“帝国劇場楽屋口”と書かれた鉄扉があって、そこを抜けると1月13日のブログに記した「かつて楽屋食堂があった廊下」に通じている。
楽屋口は、コロナ禍以前はファンの皆さんがお目当てのキャストの入り待ち/出待ちをする風景がよく見られた場所である。井上芳雄さんを出迎える皆さんの列が“プリンスロード”などと称されて話題になったこともあった。
しかしコロナ禍以降、現在では入り待ちも出待ちも禁止されている。なので、楽屋口前での滞留はご遠慮くださいますように。
(前日よりつづく)帝劇での演出作品15本目は『My Story-素敵な仲間たち―』(2020年9月17日・18日)である。2020年は「新型コロナ感染症が社会のあらゆることを止めてしまった」年である。劇場を取り巻く環境も一変してしまったことはまだ記憶に新しい。帝劇でも予定されていた『エリザベート』『ミス・サイゴン』が公演を中止し、『ジャージー・ボーイズ』はコンサートに形を変えて上演された。
帝劇が通常公演を再開したのは10月の『ローマの休日』からで、9月はまだ通常通りの公演は行われていなかった。『My Story ―素敵な仲間たち―』はその9月を埋める形で急遽企画された2日間/4ステージだけのトークショーであった。ホストは山口祐一郎さんで、ゲストは浦井健治さん&保坂知寿さん、加藤和樹さん&平方元基さん、そして中川晃教さんであった。
この年以降、土壇場になっての公演中止やキャストの休演、代役での上演……などが各地の劇場で続くことになる。帝劇にも受難の日々であった。(つづく)
1月26日(日)
歌稽古。そして振り付け/ステージングのおさらいデー。
帝劇同様に今年で閉館となる劇場が都内にもうひとつある。六本木の俳優座劇場である。
俳優座劇場は1954年の開場なので今年で72年目ということになる。現在の劇場は帝劇同様2代目で1980年に落成した。こけら落とし公演は劇団俳優座による『コーカサスの白墨の輪』で、大学の友人たちと観に行ったことも懐かしい。
帝劇と俳優座劇場とで事情が異なるのは、俳優座劇場の閉館は建て替えのためではないということである。
歴史のある劇場がまたひとつ幕を閉じる。最終公演『嵐 THE TEMPEST』の千穐楽は4月19日(土)と告知されている。
寂しい限りである。
(前日よりつづく)帝劇での演出作品14本目は『シスター・アクト~天使にラブ・ソングを~』(2014年6~7月公演)である。『シスター・アクト~天使にラブ・ソングを~』のタイトルが使われたのは実は初演の時だけで、再演以降は『天使にラブ・ソングを~シスター・アクト~』と前後が入れ替わって今日に至る。
ウーピー・ゴールドバーグさん主演のコメディ映画を原作とする陽気、且つ感動的なミュージカルで、音楽はアラン・メンケンさん、作詞はグレン・スレイターさんである。ウェストエンド、ブロードウェイの他、ドイツ、オーストリア、フランス、イタリア、オランダ、韓国……など各国で上演され人気を呼んだ。日本では2016年、2019年、2022年、2023年と再演を重ね、東宝のレパートリーの一翼を担う1本となった。主人公のデロリス役は森公美子さんと瀬奈じゅんさんのダブルキャストでスタートし、後に蘭寿とむさん、朝夏まなとさんが加わった。
2011年に上演された『風と共に去りぬ』『細雪』の2本を最後に、歴史ある帝劇でのストレートプレイの上演は途絶える。次にストレートプレイが上演されるのは『千と千尋の神隠し』(2022年)まで待たねばならない。(つづく)
1月25日(土)
歌稽古。
今日も新たに顔を出してくださった方が。中にはこのコンサートのお陰で久しぶりにお目にかかれた方も。今はまだ1人ずつバラバラにいらっしゃているが、皆さんが一堂に会する日もそう遠くないだろう。
そしてアンサンブルさんの衣裳合わせ。
1人1人の点数は決して多くはないのだが、それなりの人数なのでやはり一日仕事に。
今日は階段を使わなかったなぁ……。
(前日よりつづく)帝劇での演出作品13本目は『エニシング・ゴーズ』(2013年10月公演)である。『エニシング・ゴーズ』は1934年に初演されたブロードウェイ・ミュージカルのクラッシックで、現在上演されているのは1987年のリヴァイヴァルに際して改定されたヴァージョンである。日本初演は1989年で、私たちの帝劇版は日本では3ヴァージョン目の『エニシング・ゴーズ』であった。
他愛ないドタバタなストーリーがコール・ポーター作詞・作曲の名曲に乗って繰り広げられるコメディであるが、こういう作品の上演が実は一番難しいと感じる。ロマンティックなデュエット、エキサイティングなタップダンス、1930年代のファッション、そしてジョーク満載の台詞。どれひとつとっても現代の日本で上手くやるのは難しい。
その困難に果敢に挑戦したキャストの皆さん……瀬奈じゅんさん、鹿賀丈史さん、田代万里生さん、保坂知寿さん、大澄賢也さん、吉野圭吾さん、すみれさん、玉置成実さん……の奮闘に拍手。(つづく)
1月24日(金)
歌稽古。そして振り付け。
今日までに振付チームが担当する場面の8割程度に手を付けた感じである。だんだん完成形に近づいてきた!
そして今日も色々な方が顔を出してくださった。で、今日はちょっぴり遅い時刻まで。お付き合いくださった皆さん、ありがとうございました!
今日は9階稽古場とB4稽古場の間を2往復した。エレベーターを使わずにである。
降りる時だけですが。
(前日よりつづく)帝劇での演出作品12本目は『ニューヨークに行きたい!!』(2011年10~11月公演)である。『ニューヨークに行きたい!!』はドイツのハンブルクで初演されたミュージカル・コメディで、シンガー/ソングライターのウド・ユルゲンスさんのポピュラーソングを全編に散りばめた賑やかなジュークボックス・ミュージカルだった。
主人公のTVキャスター=リサは瀬奈じゅんさん、反目し合うバツイチのカメラマン=アクセルは橋本さとしさんで、近年のミュージカルには珍しい現代劇でもあった(そしてファンタジーでもない)。
2011年は12月に『ダンス オブ ヴァンパイア』の再演も行われ、この年私は帝劇で4作品を演出したことになる。本来ならば100周年を祝福する1年になるはずであったが、図らずも「演劇の役割」を改めて考える大切な1年となった。この年のことは決して忘れてはならないと思う。(つづく)
1月23日(木)
歌稽古。そして振り付け。
ゲストの皆さんも少しずつ顔を出してくださっている。
ゲストの皆さんが登場するのは最大でも「2日間3ステージ」なので、基本的には稽古が必要となるような内容は想定していない。と言って「ぶっつけ本番」と言うわけには行かないので、顔を出していただいて段取りや譜面などの確認をするのである(確認ついでに歌っていかれる方も)。
話は変わる。
稽古中、演出家はどうしても運動不足になりやすい。座って見ている時間が長いし、ついケイタリングに手を出してしまうからであるが、このままではとんでもないことになりそうなので、今後はエレベーターを使わないことに決めた。
降りる時だけですが。
あと急いでない時。
(内容に触れずにブログを埋めるのは難しいなぁ……)
(前日よりつづく)帝劇での演出作品11本目は『三銃士』(2011年7~8月公演)である。『三銃士』はアレクサンドル・デュマの小説を原作としてオランダで作られたミュージカルである。ドイツやハンガリーでも上演された後、日本に上陸した。
主人公のダルタニャンを井上芳雄さんが演じ、三銃士には橋本さとしさん、石井一孝さん、岸祐二さんが配された。他に山口祐一郎さんや瀬奈じゅんさんも加わるという豪華キャストで、ダルタニャンの恋と挫折と友情と冒険が描かれた。
2011年は帝劇の100周年であると共に東日本大震災の年でもあった。震災直後はガソリンや食料品が不足し、公共交通機関の運行は間引かれ、計画停電が行われるなど、気軽に観劇に出かけるような雰囲気とは程遠い状況であったように思う。
そのような中で『風と共に去りぬ』も、それに続く『三銃士』も上演された。『風と共に去りぬ』では戦禍で焼け野原となった古郷タラに立ち尽くすスカーレットと、不屈の精神でそこから立ち上がる姿が描かれた。『三銃士』ではダルタニアンの父が「勇気、誇り、そして分かち合う心が人生を生きるに値するものにする」と息子に指針を与えた。
演劇に携わる私たちが演劇に勇気と希望を与えられていた。(つづく)
1月22日(水)
歌稽古。
お休み無しだった振付助手の松島さんと大久保さんにようやく訪れた休日。どうぞ良い休日を。
そして新妻聖子さんのゲスト出演が新たに発表された。新妻さんは先日、第二子となる男の子のご出産をご報告されていた(おめでとうございます!)。
どうぞお楽しみに。
(前日よりつづく)帝劇での演出作品10本目は『風と共に去りぬ』(2011年6~7月公演)である。これは2001年に初演されたミュージカル版ではなく、堀越眞さんの新脚本で新たに製作されたストレートプレイ版である。主人公のスカーレット・オハラを米倉涼子さんが、レット・バトラーを寺脇康文さんが演じた。
私たちクリエイティブ・チームのテーマは「かつて上演された『風と共に去りぬ』を再現する」ことにはなく、目指したのは「現代に相応しい“大劇場のストレートプレイ”はどうあるべきか」であった。
現・帝劇と『風と共に去りぬ』に浅からぬ縁があることは1月14日のブログでも触れた。先日発売になった『帝国劇場アニバーサリーブック』も“帝劇開場と『風と共に去りぬ』のエピソード”に紙幅を割いている。
2011年は帝劇開場100周年(初代帝劇からです)の記念イヤーだったのだが、この年にこの作品が選ばれたことには理由があったのである。(つづく)
1月21日(火)
歌稽古。そして振り付け。
振付チーム5人の中でただひとり登場していなかった本間憲一さんがついに稽古場に。陽気で賑やかなナンバーが、本間マジックで(またそれか……)
振付チームにお願いをしているナンバーの大半はアンサンブルの皆さんが活躍するナンバーである。これまでに手を付けたそれらの場面を観た感想は「ミュージカルがもっと好きになる!」である(個人の感想です)。
(前日よりつづく)帝劇での演出作品9本目は『レベッカ』(2010年4~5月公演)である。『レベッカ』は『エリザベート』『モーツァルト!』に続くミヒャエル・クンツェさん(脚本・作詞)とシルヴェスター・リーヴァイさん(音楽)による新作であったが、日本初演(2008年)にあたって選ばれた劇場はシアタークリエであった。ウィーンで大劇場作品として生み出された『レベッカ』を、大劇場的なスペクタクルを抑制して「人間ドラマ」として上演しようという試みであった。
2010年の再演にあたって劇場が帝劇に変わり(梅田芸術劇場メインホール、中日劇場でも)、帝劇のスケールを生かした大劇場版が新たに作られた。更に2019年の再々演ではクリエに戻り、それが3つ目のヴァージョン(初演とは異なる新演出版)である。
これを「演出家泣かせ」と言う。(言いません!)(つづく)
1月19日(日)
終日振り付け。
昨日も今日もよく踊った。なので明日は稽古OFF。
帝劇ビルは地上9階、地下6階建てで、楽屋は5階~8階に設けられている。楽屋はライトコートを中心「ロ」の字型に配置されていて、なので窓があるし、窓を開ければお隣やお向かいの住人と会話もできる。4階には衣裳部屋と床山部屋(とこやまべや。日本髪のかつらを扱うスタッフを「床山さん」と呼んだことから。今はヘアメイクさんの仕事部屋)があり、そこで衣裳やウィッグのメンテナンスが行われている。
衣裳やウィッグを着脱する際にはキャストが4階に出向くこともあるし、衣裳さんやヘアメイクさんが楽屋に来てくれることもある(舞台袖や舞台裏で、と言う場合も)。
楽屋フロアから1階の舞台へはエレベーター2基を利用する。開演中は運転係さんが配置され、舞台の進行に合わせて必要なタイミングにエレベーターを差し向けてくれる。もし乗り損ねたり来なかったりした時は階段を駆け下りる(または駆け登る)ことになる。
本番中は公演が優先なので、稽古場利用の皆さんはタイミングが悪いと何台ものエレベーターをやり過ごすことになる。
帝劇あるある……のひとつである。
(前日よりつづく)帝劇での演出作品8本目は『パイレート・クイーン』(2009年11~12月公演)である。『パイレート・クイーン』は『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』のアラン・ブーブリルさんとクロード=ミッシェル・シェーンベルクさんによるミュージカルであるが、その2作品とは異なり『パイレート・クイーン』の日本版はクローンではない独自演出となった。
主人公の“海賊の女王”グレイス・オマリーを保坂知寿さんが、彼女に思いを寄せるティアナンを山口祐一郎さんが演じ、「ゴールデン・コンビの復活」と話題になった。また劇中でアイリッシュダンスが大きくフィーチャーされるため、その振付にキャロル・リーヴィ・ジョイスさんが招かれ、アイルランド人ダンサー4名も参加した。
海外のクリエイターとの共同作業も既に珍しいことではなくなっていた。(つづく)
1月18日(土)
振り付け/ステージング。
お! 初めて今までと違う稽古メニューだ。
『イーストウィックの魔女たち』の話をもう少し。
キャメロン・マッキントッシュさんは『イーストウィック……』が帝劇で上演されることを危惧されていた。帝劇と言う劇場には『レ・ミゼラブル』や『ミス・サイゴン』のような壮大でドラマティックな作品が相応しいと感じていらしたからである。
『レ・ミ……』や『……サイゴン』のようにオリジナル公演と同じ演出で上演される作品を「クローン」と呼ぶのだが、『イーストウィック……』の日本版はクローンではなく独自の日本版を作ることが決まっていた。
マッキントッシュさんは日本版の演出を担当する私にこう尋ねた。「帝劇でどうやってミュージカル・コメディを演出するつもりなのか?」 その回答が私たちの日本版である。
脚本・作詞のジョン・デンプセイさんと音楽のダナ・P・ロウさんが初日をご観劇くださり、大喜びされたことが私たちに勇気と自信を与えてくれた。
(前日よりつづく)帝劇での演出作品7本目は『ダンス オブ ヴァンパイア』(2006年7~8)である。『エリザベート』『モーツァルト!』に続くウィーン劇場協会製作のミュージカル第3弾で、脚本・作詞は『エリザ……』『モー……』同様ミヒャエル・クンツェさん、音楽はその2作とは異なりジム・スタインマンさんである。
後に『ダンス オブ ヴァンパイア』は繰り返し再演される人気作になるのだが、初日近辺の客席には空席も見受けられ「まだ様子見」という空気も漂っていた。それが日増しにお客様が増え、千穐楽には当日券を求めるお客様が1200人に及んだらしい。
キャストの魅力と作品本来の力が認知された結果だと思うが、それには公式サイトの果たした役割も大きかっただろう。「リー君」と名乗るコーモリが稽古場や舞台裏の様子を脱力感満載にレポートする……それが予想外に好評を博した。
このブログにもこの時期くらいから以降は多くの記事が残されている。ネットの波が演劇界にも波及し、マスコミの取材を経なくても作り手の思いをお客様に届けることが可能になったのである。(つづく)
1月17日(金)
歌稽古。そして振り付け/ステージング。
帝国劇場は他のどの劇場とも異なる舞台機構を持っている。
回り舞台(我々は「盆」と呼ぶ)は直径が9間(けん。1間は約181.8cm)で、大半の大劇場が備える「8間盆」よりひと回り大きい。
盆の中には「迫り(せり)」と呼ばれる昇降装置が設けられていて、キャストや大道具・小道具などを乗せて昇降する。「大迫り(おおぜり)」が2基、「中迫り(ちゅうぜり)」が2基あり、4基のすべてが2階建て構造になっている。帝劇の奈落が深いのは(最下層は地下6階になる)2階建ての迫りを可能にするためである。
更に、盆の外には「小迫り(こぜり)」が4基あり、その内の2基は上下(かみしも=舞台に向かって右側と左側)の花道に設置されている。花道の小迫りは特に「スッポン」と呼ばれる。
その他にもスライディング・ステージ、ワゴン・ステージ、傾斜ステージ……などを備えていたのだが、長年の間に使われなくなったり、撤去されてしまった舞台機構もある。
近年は劇場の舞台機構を利用しない作品も増えた。帝劇自慢の舞台機構を実際にはご覧になったことのない方も少なくないのではなかろうか。
(前日よりつづく)帝劇での演出作品6本目は『イーストウィックの魔女たち』(2003年12月)である。『イーストウィックの魔女たち』は、『レ・ミゼラブル』や『ミス・サイゴン』をプロデュースしたキャメロン・マッキントッシュさん製作の、『レ・ミ……』や『……サイゴン』とはかなり毛色の異なるミュージカルであった。
ピューリッツァー賞作家、ジョン・アップダイク氏の同名の小説と、その映画版を原作としたダークなミュージカル・コメディで、一路真輝さん、涼風真世さん、森公美子さんの3人が帝劇の客席上空をフライングする場面が話題となった。その3人の住む街に現れる謎の男=ダリルを陣内孝則さんが演じた。
この頃になると帝劇で上演されるミュージカルも名作の再演だけでなく、新しい作品、野心的な作品、ブロードウェイ以外で製作された作品……が増えて行く。
この年(2003年)帝劇で上演された作品は8本。そのうちミュージカルは6本、10か月がミュージカルであった。(つづく)
1月16日(木)
歌稽古。そして振り付け。
我々が9階で稽古している間に1階ロビーでは「新・帝劇」の概要発表が行われた(『レ・ミゼラブル』はお休み)。
様々な媒体が写真付きでその様子をレポートしてくださっているので、ご興味のある方は「新・帝国劇場」で検索してみていただきたい。ここには本日公開された『新たな「帝劇」へ』と題されたムービーへのリンクを張っておきますので、どうぞご覧ください。
(前日の続き)帝劇での演出作品5本目は『ミー&マイガール』(2003年3月公演)である。『ミー&マイガール』は日本では宝塚歌劇団の上演でお馴染みであるが、帝劇版はそのヴァージョンとは翻訳も訳詞も舞台美術も衣裳も振付も照明も異なる……つまり演出の異なる「帝劇版」であった。
主人公のビルとサリーを演じたのは唐沢寿明さんと木村佳乃さんで、2006年の再演から井上芳雄さんと笹本玲奈さんにバトンタッチした。帝劇のスケールを生かした壮大な舞台美術と玉野和紀さんによるバラエティに富んだダンスナンバーが大きな見せ場となっていた。
因みに、私は歌劇団の『ミー&マイガール』東京公演では舞台監督でした。(剣幸さん時代の話です)(つづく)
1月15日(水)
歌稽古。そして振り付け/ステージング。
気が付けば初日までひと月を切っている。今のところ稽古は順調に進んでいるが、初日までにやらなければならないことは山積みである。がんばらねば。
「がんばれ~!」がより正しいような気もするが……。
そうこうしているうちに『THE BEST/New HISTORY COMING』のLIVE配信の詳細が発表になった。帝劇にいらっしゃらない方、いらっしゃるけど足りない方はご検討ください。詳細はこちらからどうぞ。
そして大千穐楽には映画館でのライブビューイングも。こちらからどうぞ。
(前日よりつづく)帝劇での演出作品4本目は『チャーリー・ガール』(2002年4月)である。『チャーリー・ガール』は日本ではあまり知られていない作品だと思うが、1965年にロンドンで初演されて2201回続演された大ヒットミュージカル・コメディである。
宝塚歌劇団花組のトップスターだった愛華みれさん(VISAカードのCMを務めていらした)の退団後の初主演作品で、錦織一清さん、森公美子さん、初風諄さん、太川陽介さん、鈴木綜馬さんなど賑やかな顔ぶれが揃った楽しいミュージカルだった。
作者のロス・テイラーさんと音楽のジョン・テイラーさんが来日されて初日をご観劇くださったことも良き思い出である。終演後、帝劇のロビーで開かれたパーティでロス・テイラーさんがおっしゃった言葉は忘れられない。
テイラーさんは前年(2001年)の9月にニューヨークで起きた同時多発テロに触れて「こんな時に劇場が果たさなければならない役割があるはずです。」(つづく)
1月14日(火)
歌稽古。そして振り付け。
毎日同じことを記しているが、毎日同じことをやっているのでご理解いただきたい。明日以降も同じことをやって行くので、明日以降も同じことを記すことになるはずである。
そうこうしている内に帝劇ビルB1の「丸亀製麺」が本日をもって営業を終了。これから先、B1では「ナチュラルローソン」だけが頼みの綱である。ナチュロは「2月28日(金)までの営業」を宣言している。
頼りにしてます。
(前日の続き)帝劇での演出作品3本目はミュージカル『風と共に去りぬ』(2001年7~8月)である。『風と共に去りぬ』は現・帝劇にとても所縁のある作品で、菊田一夫さんの製作・脚本・演出による世界初の舞台化は現・帝劇開場時の目玉作品であった。ただしそれはミュージカルではない。
そのストレートプレイ版の『風と共に去りぬ』の成功を受けてミュージカル化されたのが『スカーレット』(1970年1~3月公演)で、その『スカーレット』とは別に新たにミュージカル化された(2つ目の)ヴァージョンが私たちの『風と共に去りぬ』である(ややこしくてすみません)。
私たちの『風と共に去りぬ』は『ローマの休日』の成功を受けての「オリジナル・ミュージカル第2弾」と言う位置づけであった。主人公のスカーレット・オハラは大地真央さん、レット・バトラーは山口祐一郎さんで、『ローマの休日』のコンビが続投していることからもそのことが伺える。
帝劇をはじめとする大劇場のレパートリーがミュージカルに移行していく中で「翻訳ミュージカルではないオリジナルのミュージカルを作る」機運が高まり、「その努力を単発で終わらせない」意識も生まれてくるのである。(つづく)
1月13日(月)
歌稽古。そして振り付け。
今日の振付担当は麻咲梨乃さん。華やかでゴージャスなナンバーが、麻咲マジックで(以下省略)。麻咲さんとこの稽古場で『チャーリー・ガール』に取り組んでから20年以上も経つのだなぁ……。
帝劇にかつて「楽屋食堂」が存在したことをご存知の方は、私より上の世代か私と年齢がそう違わない方たちではないかと思う。地下1階の楽屋口を入り幕内事務所や着到板を通り過ぎた左側、現在のプロデューサー室の辺りが食堂で、スタッフルームの辺りが厨房であった。
ハンバーグや生姜焼きなどの定食が主なメニューだったように思うが……記憶はかなり怪しい。「ナターシャ」と呼ばれる名物女将がお手伝いの女性と切り盛りしていて、ナターシャは口は悪かったが味は悪くなかったように思う。
当時は2回公演が多かったので、キャストも裏方も昼夜の間などに重宝したが、帝劇のレパートリーがミュージカルにシフトして行く流れの中で(2回公演は減り、開演時刻も変わった)廃止された。
楽食はいつまで存在していたのだろう……? ナターシャと呼ばれていたのはなぜだろう……?
ご記憶の方はご一報いただけると嬉しい。
(前日よりつづく)『春朧』に続く帝劇での演出作品はミュージカル『ローマの休日』(2000年3~4月公演)である。『ローマの休日』は1998年10月に青山劇場(2015年閉館)で世界初演されたオリジナル・ミュージカルで、大地真央さんがアン王女を、山口祐一郎さんが新聞記者のジョー・ブラッドレーを演じた。東京公演の後、大阪、名古屋、博多と上演を重ね、2000年に帝劇に凱旋した。
帝劇公演からは演出をヴァージョンアップ。新曲が書き下ろされたり、舞台美術も(スペイン広場の大階段など)帝劇に相応しいスケールにアップデートされた。私にとっては『サウンド・オブ・ミュージック』(1998年3~4月日生劇場公演)に次ぐミュージカルの演出で、以後ミュージカルの依頼が続くことになる。
この年(2000年)帝劇では『エリザベート』と『SHOCK』(当初の題名は『MILLENNIUM SHOCK』)が初演され、『レ・ミゼラブル』は8度目の再演を行っている。時代は確実にミュージカルに向かっていた。(つづく)
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